第4話「減薬」

第四話

「減薬」




 優希が現れるようになった時期に、うつのクスリによる治療法が見直される時代になった。


 テレビでも、大量にクスリを投与する現在の治療法を疑問視する内容の報道番組等が流される様になり、通っている精神科医でも処方される薬の量が格段に減ってきていた。


 生来子供好きだった亜希子は、子供を産むことを諦める事が出来なかった。


 しかし、現状のままクスリ漬けになっていてはとても子供は望めない。


 医者から処方されるクスリの量は減っていたが、亜希子は更に、独自に減薬する道を選んだ。


 妻はどうしても子供が欲しかったのだ。


 クスリを処方された量飲んでいれば、亜希子はそこそこ動く事が出来る。

 ※この場合の『動く事』は『朝起きる』『着替える』『しばらく起きていられる』このレベルだ。


 結婚当初は『そのうち治るだろう』と思っていた。


 そのうち『いつ治るのかな?』に変わり、3年経ち、5年経ち、全国放送のテレビに出演する様な東京の立派な精神科医の先生を訪ねたり、名古屋の催眠療法のセラピーを受けてみたりもした。


 名古屋の先生とは、亜希子との相性が合わずポシャってしまったが、東京の先生はとても素晴らしい効果が出た。


 が、何分お金が続かず断念した。交通費も診察料もとってもお高いのだ。


 東京に行ったら一泊しないと亜希子の体力が付いていかないし、せっかく行ったなら美味しいもの食べたいしね。

 貯金切り崩して行ったけど、5回行けたっけか?


 そんな経緯もあって、亜希子は減薬に踏み切った。

 長い戦いの始まりだった。



 【減薬】。飲んでいるクスリを減らす事だ。


 一般的な人からすれば大したことが無い様に思う。


 風邪薬とか、何かの薬を飲み忘れたからと言って、直ぐに体調が悪くなったりした経験をした人は少ないと思うので、『減薬したから何?』と感じる人がほとんどだろう。

 僕もそう思っていた。


 しかし、【向精神薬】系の脳のフィルターをすり抜けて、脳に直接作用する薬は勝手が違う。

 1回でも飲み忘れたら人間としての活動がマイナスになるので、動けなくなってしまうのだ。


 抗うつ剤は何種類も飲んだ。

 どれも内容量は10ミリ~5ミリ。一錠の中には、有効成分はほんのちょっとしか入っていないが、めちゃめちゃ効く。


 だいたい朝・晩で飲んで、薬の成分が1回で半日をカバーする様に飲むパターンが多い。

 それを『朝抜こう』というのは言語道断、【飲まなければ動けない】のだ。


 抗うつ剤を半分に割るのです。『それでは動けない』のであれば、4分の3にカットします。


 クスリを抜くと『頭痛』『発汗』『倦怠感』『何処かしらの身体の痛み』『幻聴』『幻覚』など、何かしらの症状が1~複数襲ってきます。

 それに耐えて動ける程度に抜くのです。


 それが約2週間~1カ月間、半年掛かったこともあったと思う。少し欠けた状態でも十分に動ける状態に身体が馴染むまで、その状態を続けます。


 そして十分な状態になったと感じたら、『またクスリをカットする』または主治医と相談して『少し弱いクスリに移行する』のだ。

 弱いクスリに慣れたら、またカットする。


 本人的にはほぼ四六時中しんどい状態が永遠に続く感じだったでしょう。


 体調の浮き沈みもあるし、女性の場合には生理もあるので、一定にクスリが効くわけではない。


 とても体調が悪くなる時もかなりあります。

 そんなときは『頓服』で出されている睡眠薬を飲んで寝てしまうことにしていました。


 その睡眠薬も強力なので、割って飲んでいました。




 『体力が無い』と言っても、ピンとこないと思うので、どんな状態だったのか、例を挙げてみます。


 東京の先生の所に行くとか、二人で旅行に行ったりする時があります。


 お出かけの予定が決まっているので、その日に向かって3日~1週間は温存体力の為に、ほぼ寝て過ごします。



 USJに行った時の話しです。


 何日も寝溜めをして、朝早く起きて新幹線と電車を乗り継いで、頑張って11時に到着しました!


 来たぜUSJ!


 USJでは最初にウォーターワールドを見に行きました。


 飛行機がドーンと飛び出して湖に着水し、水柱がバシャー、火柱がバーンと立ち上がるド派手演出の演目です。


 ご存知の通り、ウォーターワールドはアトラクションでは無く、観劇なので基本座っているだけです。


 客席に座って30分ほど観劇してから会場を出ました。


 そこで動けなくなりました。


 電車・新幹線・名古屋駅・大阪駅のたくさんの人の中に居ることは、普通の人なら何でもない事なのですが、妻にとってはとてもエネルギーを消耗する事なのでした。


 そして火柱や水柱の音や熱や光が彼女の平行感覚を狂わせたようです。


 正直、「えーっ? ウォーターワールド見ただけじゃん!」って思ったさ。


 しかし動けないものはしょうがない。

 キャストを探して、救護室に連れて行ってもらいました。


 スタッフのお姉さんは車椅子を用意してくれて、ブースの裏に入って、スタッフ用の通路を通って、気分はバックヤード体験でした。


 救護室で5時まで寝ていました。


 何とか動けるようになったので、ゾンビの徘徊には間に合いました。


 この年に初めてUSJがバイオハザードイベントを開催したので、バイオハザードにどハマリしていた亜希子を連れて来たのです。


 バイオハザードイベントは、かろうじて亜希子と一緒に回る事ができました。

 でも喜んで回っていたので良かった。


 次の日の朝、亜希子はまた動けませんでした。


 ホテルに言って、チェックアウトを伸ばしてもらい、ギリギリ動けるようになったのでタクシーを呼んでもらい、大阪駅まで移動したところでまた動けなくなりました。


 ここでも救護室で過ごしました。

 昼になり、1時・2時・3時・4時になり、

『ひょっとしたら今日は帰れないかもしれない』

 不安が頭をよぎるが、5時に何とか動けるまでに回復した。


 新幹線に乗って名古屋までたどり着いた。

 

 ぐったりしている亜希子の肩を担いでエレベーターに乗る。


 エレベーターが下の階に着き、外で待っていた人々が、降りる僕たちを無視して乗り込もうとしてきたから、亜希子の肩を担いでいな

い左手で『退け!』と手を振った。


 人の動きがピタッと止まり、モーゼの海のように人が割れていったのは気持ちよかった。


 その後名古屋駅構内の蕎麦屋の待合で1時間ほど休ませてもらい、蕎麦を食べ、新幹線のこだまと鈍行列車を乗り継いで、ギリギリ夜中の12時に家に着いた。




 東京の先生の所に通っている時も、山手線に乗っている途中で【突発性失声症】 になった。


 どんなに頑張っても声がほとんど出ないのだ。


 人混みの所為せいだ。


 新幹線は座席の感覚が確保されているし、比較的静かな時が多いので大丈夫らしいのだが、在来線はかなりのストレスになる。




 一度外に出るとこんな状態なのです。

 中々の大冒険っす。




 そうして徐々に徐々に、3年か4年掛かってクスリを抜いていきました。




 ちなみにここ10年くらいは亜希子は電車に乗っていません。

 遠出は車で行くことにしました。


 車なら乗せさえすれば、とりあえず帰って来られる。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


〈あとがき〉


 


 ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。


 宜しければ、♡で応援。


 ★★★で応援をよろしくお願いいたします。


 みなさまの暖かい応援をお待ちしております。


 応援して頂けますと頑張れます。



 応援してくださいました方、さらに重ねて御礼申し上げあげます。


 誠にありがとうございます。


 感謝しております。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る