第3話「優希」

第三話

「優希」




「あたしの名前の漢字は『優しい希(のぞみ)』って書いて『優希(ゆき)』なんだって。お姉さんが教えてくれたよ。最近お姉さんが一緒に遊んでくれるの」


 けっこうな頻度で出てくる様になったゆきが、漢字で書くと『優希』だと教えてくれた。

 先日出てきた人格は『お姉さん』と呼ばれているらしい。


 僕は優希が出てくると、かくれんぼをしたり、猫と遊んだり、塗り絵で遊ばせたりしていた。


 お姉さんもたまに出てきて僕のことを『もっとしっかりしろ』と叱ったり、亜希子の昔のことを話してくれたりして帰っていく。


 それと関係があるのかどうかは判らないが、亜希子は悪夢の他にも幻聴やめまい・酷い頭痛に悩まされる様になった。


 あくまでも僕が亜希子を観察していての話しだが、彼女たちサブ人格が出てくると脳がフル回転をしている様で、サブ人格たちは頭痛を訴えて帰っていく。


 主人格の亜希子に戻ったあとも、その頭痛は長い間妻を苦しめている様に思う。



 ネットで解離性同一性障害について調べたところ、患者の意識(?)の中に何層かの階層があって、一番上に居る人格はこちらの世界に出て来やすく、下層に行けば行くほど『休眠状態』になっていく。と言う記事を読んだ。


 昔読んだ【24人のビリー・ミリガン】には、『人格たちの中には一人だけ、全ての人格の記憶を持つサブ人格が居る』と言う話しがあった。


 『全ての記憶を統括する人格』の話しは、ネットにも載っていた。


 他にもいくつか解離性同一性障害の情報を読んではいたが、特にその情報を亜希子や優希に話すことはしていなかった。


 だから僕が知っている情報を亜希子たちは知っている筈は無いのだが、優希は似たような事を話していたのだ。


「優希、こっちに来る前はどんな所に居るの?」


 僕は興味本位で聞いてみた。


「一人でお部屋に居るの」

「部屋があるんだ?」

「たくさんのお部屋が並んでて、 そこにあたしのお部屋があるの。最近はお姉さんがあたしのお部屋に来て、色々教えてくれるよ」


 ネットにもビリー・ミリガンにも『各人格の部屋がある』と言う情報は載っていなかったが、【24人のビリー・ミリガン】では、サブ人格の中でも理性的な人格たちが集まって話し合いをするシーンがあった。


 優希の話しでは、部屋がたくさんあるロビーのような場所でお姉さんと記憶を統括する人と話した事があると言っていた。


「部屋では何をしているの?」

「寝んねしたり、ご本読んだりしてるの。でもいつも同じご本だから、退屈なの」


 話しを聞いていると部屋から急にこちらに来たり、悪夢の世界を経由してからこっちに来たりする様だ。


 慣れて来るとこっちに来たいと願う事で、亜希子が寝た時にこっちに出て来られるみたいだが、その願いが100%叶うワケではないらしい。



 僕の前に出てきたサブ人格の中で、優希は一番活動的な人格だった。


 夜に優希を連れ出して、車でコンビニに行った事もある。


 優希の外見は亜希子だが、中身は小学生くらいの小さな女の子の人格なので、喋ると舌足らずな話し方で、かなりギャップがある。

 優希の話し方を聞いた人は、違和感を感じ得ずにはいられないだろう。


 ひょっとしたらアブない人に感じるかもしれない。


 だから『喋らないように』と念を押していたのだが、コンビニで並んでいるケーキを見て、

「わぁぁぁ」

 とぴょんぴょん飛んで喜んだので、ちょっと焦った。


 飛び跳ねて喜んでいるのが、優希の年齢通りの子供ならなんの問題もないのだが、身長160センチの比較的背の大きい大人の女性が、コンビニのケーキを見て飛び跳ねて喜んでいるのだ。

 どう見てもヤバい人だよね。


 それ以来、ドライブに出掛けても何処かに寄る様なことはしないようにした。


 コンビニはその1回しか行っていないが、夜のドライブ自体は3回くらい行ったと思う。


 優希はとても無邪気で、子供がいない僕には、子供と遊ぶ感覚が味わえたのだ。


 とは言え、亜希子が目覚めた時に、彼女が違和感を感じるほどに物を食べてあったとか、服が着替えてあるとか、おかしな事になっているワケにはいかないので、そこは気を使った。



 ある日、不意にお姉さんが出てきた。


「あなた、優希に私たちのことを色々と聞くのは止めなさい」


「え?・・・あぁ、・・・ごめんなさい」


 そうだな。確かにこちらの様子は向こうから伺っているって聞いてたっけ。


 お姉さんは亜希子が20~22歳くらいの時に生まれた人格だと思う。

 妻はその時不倫に巻き込まれていて、大変な状態だったらしいので、亜希子を庇護する為に生まれた人格なのだと思う。


 お姉さん自身の年齢は、恐らく25~30歳くらいだろうと推察している。

 お姉さんの声は低く、静かに喋る。

 とてもキッチリした性格で、色々なものに怒っていることが多い。

 でも面倒見がよく、芯は優しく暖かいものを感じる。


 僕は優希の様に、お姉さんとも仲良くなりたかった。

 実際には仲良くなる程の回数を、喋ることが出来なかったが。




 亜希子がたくさんのクスリを飲んでいるので、お風呂は必ず二人で入る。

 お風呂の中で血管が拡張して寝てしまうことが多々あるからだ。


 寝てしまうと言うと微笑ましいが、正確には『気絶状態』または『睡眠系のクスリが急に効き出して寝てしまう』に陥るので、非常に危険な状態なのだ。


 実際にぶくぶくぶくっと息を吐きながら、みるみる上半身が浴槽の底に沈んで行く様子を、目の前で何度も見た。

 その度に慌てて掴まえて、沈みゆく上半身を引き上げ、気合いで浴槽から亜希子を持ち上げて、洗い場のイスに座らせる。


 気絶している人間を水の中から持ち上げると言うのはかなりの重労働で、気を緩めた拍子に浴槽で足を滑らせるワケにもいかない。

 二人で転倒して、昏倒などしたら洒落にならない。


 そんな事があるので、お風呂は二人で入るのだ。


 ちなみに僕もお風呂で気を失って何冊かのマンガ本を水没させた。

 ドライヤーで乾かしたけど、本がボンバー状態で、1ページ1ページアイロン掛けもしてみたが、直らなかった。


 亜希子にめちゃめちゃ怒られたが、お風呂って寝ちゃうよね。



 僕も亜希子もよく寝てしまうお風呂だから、サブ人格たちはかなりの頻度で現れる。

 亜希子がお風呂で寝てしまった時は、僕が浴槽の中で後ろから抱っこして、彼女の身体が温まるまで身体を支持する。


 すると75%くらいの確率でサブ人格がこちらにやって来る。

 やって来たサブ人格の内のほとんどは優希だ。


 僕はお風呂で優希と遊ぶ為に水鉄砲やシャボン玉のセットを買った。

 もちろん亜希子は優希の存在を知らないので、妻には『亜希子とお風呂で遊ぶ為に買った』と言って、実際にお風呂でシャボン玉や水鉄砲で遊んだ。


 シャボン玉は我ながらとても素晴らしいアイテムだと思った。

 どんなに遊んでも痕跡が残らない。

 サブ人格の事は亜希子本人にも内緒なのだ。


「私たちのことを優希を使って詮索するのは止めなさい」

「私たちのことをこの子(亜希子)に知らせてはいけない」

「私たちはあなたを見ているわ」


 それがお姉さんとの約束でもあるからだ。




「殺される。殺される。助けて」


 亜希子はこの当時悪夢にうなされる事が多かった。

 お風呂の中では特に気を失う事が多いので、悪夢の確率も多い。


 僕は彼女を抱っこしながら、トントンと身体を叩く事くらいしかできない。


「みんな死んじゃうよ。助けて」


 この状態になると、悪夢の世界を体験してきた優希がこちらにやって来る。


「大丈夫だよ。ここにはもう君を殺す人は来ないよ」

「怖い人来ない?」

「あぁ、来ないよ。ここには僕と優希とショコラしか居ないお家だよ。だから安心して寝て良いんだよ」

「寝んねすると怖い人が見える。寝んねしたくない」


 優希は寝てしまうと、今湯船に浸かっていると言う現実にも関わらず、目の前の世界が人殺したちが跋扈する世界にオーバーラップして変化するらしいのだ。

 『夢でうなされている人と会話している様な状態』と言えば何となく分かってもらえるだろうか?

 そんな状態なのに、優希の目は覚めていて、僕と会話できているのに、彼女の目には浴室とは違う景色が映っているらしいのだ。



 亜希子はこの当時、毎日髪の毛を洗わないと気が済まない時だったので、亜希子が気絶したり人格交代をしている間は、僕が彼女の髪を洗わなくてはならない。


 亜希子が戻って来た時に、髪を洗ってないとなると、凄く怒るからだ。


 優希が出ている時は、彼女が協力的なので助かる。

 しかし意識が完全に無い場合には、亜希子を椅子に座らせている状態を保つだけでも大変だ。


 イスに座らせる前に、浴槽から人一人を抱き上げて浴槽を跨ぐだけでもひと仕事なのに。


 ぐったりして、頭がガックンガックンなっている人を支えながらシャワーを持って頭洗うのは至難の業です。


 どこぞの生物学者が人間には腕が四本あるべきだと言っていたのに賛成だ!


 試行錯誤する内に、シャワーを壁の高い位置に掛け、僕の体で彼女の体を支えつつ、両手で頭を洗うという技を覚えました。


 この後、体を洗ってから脱衣場で体を拭き、パンツを履かせてパジャマを着せて(気絶している人に服を着せるのめっちゃ難しい)、亜希子の背中まである長い髪をドライヤーで乾かすこと30分。

 そしてソファーに寝かせます。

 場合によっては2階の寝室までおんぶしていくこともありました。


 気絶状態の人間の世話をそこまでやるのはかなりの重労働で、毎回ぐったりです。軽く一時間以上掛かるし。



 しかし多くの場合は優希が出てきているので、頭を洗っている間は身体をピシッとしてくれているので助かります。

 優希はまだパジャマを上手く着られないので、パジャマのパンツを履かせるのも脚を一本一本

「はい、右足上げて」「次は左足上げて」と時間が掛かります。


 そう言えばお風呂で『お姉さん』が出てきたことは無いと思う。

 お姉さんが出てきてくれたら一連のことは全て自分でやってくれたと思うのに。


 ちなみに最近出てきている子は直ぐに帰って行くし、サブ人格が帰ると主人格が目を覚ますので、ここまで苦労はもうしていません。

 だいたい頭を洗っている間に帰って行くことが多いです。

 





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


〈あとがき〉


 


 ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。


 宜しければ、


 ♡で応援。


 ★★★で応援をよろしくお願いいたします。


 みなさまの暖かい応援をお待ちしております。


 応援して頂けますと頑張れます。



 応援してくださいました方、さらに重ねて御礼申し上げあげます。


 誠にありがとうございます。


 感謝しております。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

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