第2話「『彼女』はやって来た」
第二話
「『彼女』はやって来た」
亜希子はクスリの所為で寝ている事が多くなった。
『ご飯ができた』と2階に居る亜希子を呼びに行ったあの日、彼女はやって来た。
「おやまにあーめがふぅりましたぁ、あぁとかぁらあぁとかぁらふっきてぇ」
彼女はたどたどしい声で【あめふりくまのこ】を唄っていた。
唄いながら彼女は、亜希子の化粧台で紙吹雪を作って、自分に降らせていた。
「ふふふふ」
彼女は楽しそうに笑っていた。
「ご飯だよ。下で一緒に食べよう」
僕が声を掛けると、振り返った彼女はしばらく僕を見て、怪訝な顔で
「だぁれ?」
と誰何してきた。
妻の亜希子が、僕に向かって『誰?』と聞いてきたのだ。
意味を測りかねたが、クスリで意識が混濁しているのだと思い、丁寧に返す事にした。
「僕は舞斗。君の旦那さんだよ?」
亜希子は僕が言った言葉を考えているようだった。
「・・・舞斗? ・・・お父さんとお母さんは?」
『お父さんとお母さんは?』という彼女の質問にまたも面を食らってしまったが、これも丁寧に答えることにした。
「僕たちは結婚したんだ。この家に二人で住んでいるんだよ。お義父さんとお義母さんは少し遠くに住んでいるんだ。今はもう夜だから、会いにいくことはできないよ」
「お母さんに会えないの? 学校は?」
「学校はもう行かなくていいんだよ」
その時の僕は亜希子がクスリの所為か何かで、子供返りしているのかと思った。
子供返りは極度のストレスなどの要因によって、自我を一旦凍結して、子供の頃の自分が表面に現れる状態だ。
言葉も舌足らずになって 、記憶もその当時のままで、本当に子供の様だ。
「あった(頭)痛い。痛いよ。痛い」
子供返りした亜希子と少し話しをしていたが、頭が痛くなってきた様なので、寝かせ付けるのが良いかと思った。
「あった痛いなら、少し寝んねする?」
子供の亜希子は小さく頷いてベッドに横たわった。
ベッドに横になった亜希子に、僕はトントンと軽くゆったりしたリズムで背中をたたいた。
僕も子供の時に母親からトントンされたので、そうするのが正解な気がして、子供還りをしている亜希子にしてみたのだ。
亜希子は気持ちよさそうにして、しばらくしたら完全に眠りに落ちた。
更にしばらくしたあと、亜希子が目を覚まし、僕を見て起き上がった。
「あれ? あたし眠っちゃってた?」
「寝てたよ。さぁ、下に行ってご飯を食べよう」
目を覚ました妻は元通りの亜希子だ。
言葉もしっかりしているし、眼に力がある。
「・・・頭痛い」
「寝ているときもそう言ってたよ。かなりキツいみたいだね」
亜希子は子供の頃から病弱で、色々な病気を自分で体験しているので、普段から『脚が痛い。肩が痛い。眼が痛い。めまいがする。肋間神経痛が酷くなってきた』などと、四六時中どこかが痛いのが通常状態なので、大人の亜希子は痛みに非常に強い。
だから、その彼女が『頭が痛い』と口に出して言うときは、かなり痛い部類に入る。
この頃から亜希子は悪夢を見る様になってきたのだった。
一番の原因は睡眠薬と抗うつ薬。(だと思っています。亜希子を見ていてそう思っただけで、医学的根拠などは調べていません)
クスリの力で脳に働きかけ、強制的に眠らせているわけですから、質の良い睡眠ではありません。
その上常日頃から『不安』に支配されているので、まともな精神状態ではないのです。
夜中に僕を起こし、
「たくさん人が死ぬ夢を見た」
「誰かに連れて行かれそうな夢を見た」
「子供の頃遊んでいた友達と遊んでいたら、変な人が現れて、友達が殺されちゃった」
などなど、そんなときは僕を起こすので、手を握ったり、背中をさすったりして落ち着かせます。
あれから、子供返りした亜希子はポツポツと出てくる様になり、最初の頃はただぼぅっとして受け答えもいまいちできなかった彼女も、回数が増えてきたらだんだんハッキリと自我が出来てきた様に感じた。
妻が僕のことを『まーくん』と呼ぶのに対して、彼女は『舞斗』と呼ぶ様になり、『自分は子供なのに、結婚してこの人と住んでいるんだ。お父さんとお母さんは近くに居らず、頼れるのはこの人だけなんだ』と言うことは認識したようです。
子供の亜希子は、ベースが子供の頃の彼女なだけあって、服の趣味などが一緒だ。
亜希子と同じ様に甘い物が好きで、スカートが好き。
同居人のネコ【ショコラ】も大好きで、直ぐに抱っこをしたがる。
当のショコラは抱っこが大嫌いだが。
彼女は亜希子が眠ると出てくる。
【亜希子】という身体には意識(自我?)が一つしか入れない様で、『彼女』が出てきた場合、『彼女』が眠ってしまわないと亜希子はこちらに出てこられない。
彼女は日中も出てきてはいる様だが、家から出掛けることは無く、ショコラと遊んでまた寝込んで帰って行くそうだ。
彼女は【キッキとラッラ】が凄く好きだと言う話しなので、ある日亜希子に聞いてみた。
「子供の頃キッキとラッラが好きだった?」
「母親がキッキとラッラのノートを買ってきたりしていて、一時期たくさんあったよ。好きだったかどうかは覚えてない」
意外にも亜希子はキッキとラッラに思い入れが無い様だ。
僕は確信した。
彼女は子供返りしているのでは無く、【解離性同一性障害】昔風に言えば、【多重人格】なのだと。
実はその昔、解離性同一性障害が「多重人格」と呼ばれていた時代、僕は「多重人格」という症状に興味があって、何冊かの本を読んだことがある。
その本の知識から考えると、目の前に居る子供の頃の亜希子は、その年齢の時に何らかの【過度の精神的ストレス】を与えられて、亜希子の心が壊れない様に、亜希子を守るために生まれてきた人格だ。
僕が思うに、両親の干渉が激しく辛い思いをしていた亜希子の心を休ませるために、別人格にすり替わってそのストレスを亜希子の代わりに受け止めるために、彼女は生まれたのだろう。
彼女の人生の中でも何度かすり替わっていたとは思うが、それはたぶん家族にも分からないところで、回数も少なかったのだと思う。
『長女だからと言う理由で甘えさせてもらえなかった』と亜希子は言っていた。
『彼女』はたぶん親の愛に飢えているのだと思った。
だから『彼女』が出てきたら甘やかすことにした。
「君の名前を教えてくれる?」
僕は自分の気付きを証明したくなって、子供還りした亜希子に名前を尋ねた。
多重人格の本の中に【24人のビリー・ミリガン】と言う本があるのだが、その本の主人格ビリーのサブ人格は全員が全員、名前と年齢・経歴・声色をそれぞれ持っていたからだ。
「・・・・・・あたしは『ゆき』だよ」
少しの沈黙の後、彼女は答えた。
やっぱり彼女は単純な子供還りでは無く、亜希子のサブ人格だったのだ。
僕は不謹慎ではあるが、多重人格症を目の当たりにして興奮した。
ゆきを喜ばせる為に、お菓子を買ってきて家の中に隠し、彼女が出てきたら食べさせてあげた。
亜希子に分からない様にお菓子を隠し、食べた痕跡を残さない様にするのは、非常に気を遣う。
キッキとラッラの塗り絵を買ってあげたらとても喜んで、色鉛筆をテーブルに広げて色を塗り始めた。
改めて驚いたのだが、色の塗り方が小さい子のそれだった。
塗り方の雑さ加減、線のはみ出し加減、大人が小さい子の真似をしてこの雑な塗り方をしても、この絶妙な雑さ加減は再現できないだろう。
頭では子供の人格だと解っているのだが、演技でできるレベルではない、本物の子供感を目の当たりにすると、やはり衝撃を受けた。
亜希子はゆきの存在を知らない。
ゆきが出てくるようになって1ヶ月以上経ったある日、リビングで不意に亜希子に呼び止められた。
「あなたには感謝しているわ」
「どうしたんだい? 急に」
「知ってる? あの子人に面と向かって怒ったことないのよ。それなのに、あの子はあなたに対してとても怒る。それって凄いことなのよ」
亜希子は静かに話し始めた。
亜希子より少し声が低い。
これは、更に別の人格が現れた瞬間だ。
「君は誰?」
僕が聞くと、
「名前はないわ」
彼女は静かに応えた。
「あなたは私たちにとって希望なの。私たちはずっとこの子を守ってきたわ。今まで色々な人がこの子のそばに来たけれど、誰も信用できなかった。ホテルに連れていかれたときは、私が無理やり入れ替わって、あの子の代わりにその男を罵倒してホテルを出て、車を運転して帰ってきたことも何度かあるわ」
えっと、いきなり突っ込みどころ満載の凄い情報が飛び交っているんだが・・・。
「そ、そうなんだ。君はずっと亜希子を守ってくれていたんだね」
「あなたは少し期待が持てるからこうして出てきてあげたの、でもまだ信用したわけじゃないわ。私たちはこの子の中で見ているから、期待を裏切らないでね」
そう言って彼女はソファーで眠りに入り、亜希子と入れ替わった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
〈あとがき〉
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。
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みなさまの暖かい応援をお待ちしております。
応援して頂けますと頑張れます。
応援してくださいました方、さらに重ねて御礼申し上げあげます。
誠にありがとうございます。
感謝しております。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
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