観察日記『妻と13人の別人格との共同生活』

じょえ

第1話「うつ」

観察日記『妻と13人の別人格との共同生活』


著:じょえ





 月が明るい夏のある夜。


 僕が2階の寝室に、妻の亜希子あきこを呼びに行った時だ。


 彼女は寝室の化粧台の机に向かって、何かのチラシを鼻歌混じりに唄いながら千切っていた。

 歌は童謡の【あめふりくまのこ】だった。


 僕が寝室の入り口で亜希子の様子を見ていると、彼女は鼻歌を歌いながら、細かく千切ったチラシをパッと目の前で散らせて、その紙が雪のように舞い落ちる様を見て、


「ふふふふふ」

 と笑っていた。


 僕は亜希子のその様子に、なにか違和感を感じたが、『たぶんクスリが効いていて、ぼおっとしているのだろう』と、楽しそうに唄っている妻を見ていたのだ。


「だぁれ?」


 亜希子が振り返り、僕に気付いてそう聞いてきた。

 言葉がちょっとたどたどしい。


「???・・・僕だよ。舞斗まいとだよ?」


 僕は彼女の言う『だれ?』の意味するところが解らず、クスリが効いていて、記憶が混濁こんだくしているのかと思った。


 この当時のうつ病の治療は、大量のクスリを処方する事だったから、ダウン系のクスリが効いていて、意識が朦朧もうろうとすることが多々あるからだ。


 僕の妻は、僕と結婚する前から重度のうつ病患者なのです。


 うつだと知っていて結婚しました。


 


 


「お帰りなさい。料理を作って待っていたわ」


 新婚当初、亜希子は無理をして頑張っていたのだが、その時の僕はまだ、

 「彼女が必要以上に頑張っている」

 という事実には気づいていなかった。


 家に妻が居るのだから、洗濯は終わっていて、掃除もちょちょいとしてあり、帰ってきたらご飯が出来ていても、それは『全く普通のこと・当然のこと』だと思っていた。


 動けないうつ病患者にとって、それらを『ごく希に動ける時にだけやる』ではなく、『毎日やる』と言うことは、非常にキツい仕事なのだ。


 その『キツイ』の原因の一つは【脳】からのエンドレスに続く『叱責』『罵倒』。

 『なぜ動けない?』『なぜこんな事が出来ないんだ?』『なぜ・・・・?』『なぜ・・・・?』『情けない!』

  と、【脳】が自分自身の【心や身体】に罵声を浴びせ続ける。


 自分自身が嫌になってくる。


 そして住んでいる環境が悪いと、親や家族も含めて、『他人』から『仮病』だって思われているのが、判るからツライ。

 『自分』と『他人』との乖離かいりは激しくなり、解って貰えない辛さは増すばかり。


 すると、【脳】からの自分自身への戒めは更に強くなる。


 彼女が『うつという病気』だと言うことは、頭では解っている。


 『洗濯が出来ていない』とか『料理が出来ていない』など、それは『うつ』の人にとっては当然のことなので、日々の家事ができないことで怒りが湧いてくることは無い。


「無理はしなくて良いよ」

 とも言っている。


 しかし、僕が許しても、亜希子は自分自身を許せない。

 彼女の【脳】が亜希子を許さないからだ。

 その原因の一つは『躾に厳しい、真面目な親』であることが多い。

 親が良かれと思って『アレはダメ』『これはダメ』『しっかりしなさい』『何でこんなこともできないの!』と叱れば叱るほど、ダメと言われればダメと言われるほど、脳が萎縮して『ダメな子』になっていってしまう。


 そして脳にはその『躾に厳しい、真面目な親』が住み着いてしまう。


 それからは1年365日、24時間フルタイムで親が監視に就くことになる。


 子供はそれに応えようと必死に頑張る。

 それこそ120%150%の力で頑張った結果、ある日突然動けなくなってしまう。


 つい昨日まで150%のパワーでガンガン仕事をこなしていた誇れる自分が、100%すらほど遠い、動けなくなってしまった自分のギャップに自分自身が付いて来られない上に、『何故こんなことができないんだ?』と叱りつけてくる【脳】。


 うつ病患者にはこんなことがグルグルグルグル回っているんです。

 

 

 当時はまだ『うつ』と言う言葉が認知されていない時代。


 昨日一緒に遊んだ友達が『今日は体調が悪い』と休んでいる。

 帰りに様子を見に行くと、会話はできるし熱は無い。そんなに体調も悪そうに見えない。


『それって・・・』他人から見ると単に仮病としか映らない。


 でも事実、学校や仕事に行こうとすると動けなくなってしまうのだ。


 そこで休められれば良いのだが、当人が生真面目だったり、他人の目を極度に気にしたりする性格だったりする場合、身体に鞭打って頑張って登校・出勤をしてしまうのだ。


 その結果、ある日心が壊れてしまって、通常の生活もままならない事態に陥るのだ。


 その状態は、他人はもちろん、ともすれば自分自身にさえ理解してもらえない。

 『理解されない』と言うことが一番の問題。

 それがあの当時のうつ。




 結婚してから三ヶ月が過ぎ、亜希子は徐々に寝ている事が多くなった。


 食事は何とか作ってくれるが、片付けや洗濯物を畳んだりするのは僕の役目になった。


 完璧主義者の彼女と、てきとー・いーかげんな僕。


 ケンカもするようになった。


 洗濯物の干し方の順番が違う・洗濯物の畳み方が違う・ドアが開いていた・このタオルはこの位置・などなど、ちょっとした事でケンカの理由は絶えない。


 ま、そのちょっとした事を、僕が出来ないからケンカになるのだが。


 うつを発症するような人はクソ真面目や完璧主義者が多い。


 妻も御多分に漏れず完璧主義者だ。

 そしてその完璧主義を人に押し付けるタイプだ。

 押し付けた相手が、自分の思うようにやってないとイラッとする。



 うつが重度である場合、一日の大半をクスリで寝てしまっているので、一緒に暮らしていく上ではそんなにたいへんでは無い。


 『そんなにたいへんでは無い』と言うとちょっと語弊ごへいを招くが、決してうつの人と暮らしていくのが楽だなどと言っているわけではない。


 それはある程度元気になってから、『うつが引き起こす色々な状況』に比べたら『クスリ漬けで寝込んでいてくれた方がましだった』という意味である。


 しかし今にして思えば、この『寝込む』という状況があったからこそ、うつに対しての心構えや勉強が出来て、本番を耐えられたのかもしれない。




 『うつ』は前頭葉にある『悲しみ』を司る部分が暴走してしまって、耐えがたい『不安』『悲しみ』『恐怖』というストレスを脳にぶつけ続けている状態です。

 本人は常に恐慌状態です。


 その『不安』を和らげるために、あまり考えない様にする『抗不安薬』が、うつのクスリのメインです。

 『睡眠障害』を起こす人も多いし、不安や恐怖から『寝逃げ』するためにも『睡眠薬』も処方されます。

 たくさんのクスリを飲むので『胃腸薬』も処方されます。

 「このクスリの成分でこんな副作用が出るために、このクスリも出しましょう」といった感じで、クスリにクスリを重ねるので、朝昼晩15錠ずつ飲んでいた時期もありました。


「1回でこんなに飲むのよ。笑えるね、マーくん」


 亜希子はおどけて言って、僕も一緒に笑いますが、正直引くほどの量です。


 一度診察に行って、一ヶ月分のお薬をもらってくると、買い物袋一杯になる様な、そんな時代だったのです。


 でもクスリを飲んでいると動けます。


 クスリが切れると途端にガクッとなるので、クスリは止められません。





 結婚して1年近くが経ち、亜希子はクスリの力を借りて、少し元気に動ける様になりました。

 うつ病患者はここからが本番です。


 基本『不安』に捕らわれている状態を、『クスリ』で動ける様にしているので、クスリの作用によってアップダウンが激しいのです。


 ある日仕事から帰ったら、亜希子が左手をはさみひどく切っていて、血だらけの鋏が床に落ちていました。

 鋏で切ったと言っても、手首を切り落としたりしたわけでは無く、腱も血管も全て無事でしたが、かなり深く切っていました。


 クスリが切れて、自分を戒め続けている【脳】の言葉に負けたのでしょう。


「私がこんなに幸せで良いはずが無い」


 そんな理由で左手を切ったのです。


 「軽く自殺気分を味わえる」ので、リストカットは日常茶飯事ですが、この日は酷かった。

 切っている間はそこに集中できるので、イヤなことは全部忘れられるそうです。





 大量のクスリは僕が管理しています。


 ふと魔が差して、大量の『抗不安薬』や『睡眠薬』を一度に飲んでしまわない様にです。


 『オーバードーズ』ってヤツですが、結婚する前に一度、亜希子は実家でオーバードーズをしました。

 直ぐに救急車で運ばれて『胃洗浄』でした。

 『胃洗浄』はかなりキツいって言ってました。

 

 その経験があるので、亜希子は僕にクスリの管理を頼んだのです。

 自分で管理していたら、いつ魔が差すか分からないから。





 常に不安定な状態の亜希子ですので、ケンカもよくします。


 ケンカして夜中に飛び出して行ってしまうことも何度かありました。


 一度などは車で出ていって、入水自殺をするために夜中の海に身体半分まで入っていったこともありました。


 ドラマでは『恋人が飛び出して行ってしまっても、思い出の場所に行ったら逢えた』なんてシーンはよくありますが、現実は歩きで出て行っても車で出ていっても、どこに行ったかなんて見当も付かない。

 直ぐ近くの駐車場の片隅で、真冬に丸くなって震えていても、公園のベンチで座り続けていても、夜の暗い中、何処にどう行ったかなんて1時間2時間探し続けても全く判りません。


 歩いて行ける範囲に都合良く『思い出の場所』なんかありません。


 携帯電話を持って行くことだけが救いです。

 定期的に鳴らしますが、あまり鳴らし続けて電池が切れない様に気をつけます。

 携帯だけが命綱なんです。


 車でライトを当てながらグルグル探しますが、それで見つけられた試しはありませんでした。


 2時間ほどすると、ふと電話に出てくれるので、正直それだけが頼りです。

 電話に出てくれなければアウトですが、出る気が無いならそもそも携帯持って家出しないから、探させるというプロセスが必要なのです。


 『不安』を打ち消すために『愛を確認』する作業なのです。






 首を吊ろうとしたり、吊ったりしたことも何度かありました。


 夫婦二人暮らしの隔離された世界で、ずっとそんな事を繰り返していると、


『いっそこのまま死んでくれたらラクになる・・・。重度のうつ病患者が自殺しただけだから・・・・。助けるのがちょとだけ遅れたんだよ・・・・』


 悪魔がささやくこともあります。






 こんな状態だから、彼らは僕の家にやってきたのでしょう。





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


〈あとがき〉

『うつ』について、少しでもご理解いただければ幸いです。


この話しは、あくまでも私個人の主観でのみ語っております。


経験談をお話しすることはできますが、それが正しいとか間違っているとかはお答えできません。

 


 ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。


 宜しければ、


 ♡で応援。


 ★★★で応援をよろしくお願いいたします。


 みなさまの暖かい応援をお待ちしております。


 応援して頂けますと頑張れます。



 応援してくださいました方、さらに重ねて御礼申し上げあげます。


 誠にありがとうございます。


 感謝しております。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


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