Goodbye song

増田朋美

Goodbye song

やっと、冬らしい寒さが時折確認できるようになってきた。寒いと嫌だなあという人もいるが、中には、正常に季節が動いてくれて嬉しいなあと思ってしまう人もいることだろう。そんな中でも、人間のすることは、変わらずにつづいていて、出会いもあれば別れもあると言うことでもあった。

ある日、ジャックさんと武史くんが、製鉄所を訪れた。いつもの通り、どうしたらいいのかわからなくて、ため息をついているジャックさんと、小学校1年生らしく、元気一杯の武史くん。ジャック親子が製鉄所に来るときは、大体そのパターンである。

製鉄所の玄関はインターフォンが、なかった。だからジャックさんは、すぐにドアを開けて、ごめんくださいと言ってしまった。すると、製鉄所を管理しているジョチさんがでてきて、

「どうされたんですか?実はいま大事なお客さんが来ておりまして。」

といった。ジャックさんは、外国人らしく、すぐにがっかりした顔をした。すると武史くんが、

「大事なお客さんって誰のこと?」

と聞いた。

「はい。小濱秀明さんが来ているんです。福島の郡山から。」

ジョチさんが答えると、

「小濱さんは、どうして富士にきているの?」

と、武史くんは、すぐに聞いた。

「静岡の美術館で行われる展示会に出品されるので、その展示会のチラシを持ってきてくれたんですよ。」

ジョチさんが答えると、

「僕も展示会に行ってみたいな。」

と、武史くんは、嬉しそうにいった。

「でも、滅多にこっちへは来られないわけですし、僕達は、出直しましょうか?」

ジャックさんがそう言うが、

「僕もチラシをもらいたいなあ。」

と、武史くんが言った。そこでジョチさんは、まあ、お入りなさいと言って、二人を製鉄所の建物の中に入れた。二人は、ジョチさんに連れられて、製鉄所の食堂へ行く。食堂には、左腕を欠損した小濱秀明がいて、隣に珍しく、水穂さんが座っていた。水穂さんの近くには由紀子がいた。水穂さんは、多分、由紀子が、したのだと思うけど、背中に座布団を当ててもらっていた。

「やあ、どうもです。すみません、長居をしてしまいましたね。」

と、ジャックさんたちに気がついた秀明は、申し訳無さそうに言った。

「小濱さん、僕にも展示会のチラシをちょうだい?」

武史くんがそう言うと、秀明は、ああ、ありがとうございます、といって、カバンの中から一枚チラシを取り出して、武史くんに渡した。どうも展示物の内容からしてみると、シュールレアリスムの絵画展のようなのだが、チラシには、現実を無視した、風景画が、たくさん乗っている。

「僕もやっと、古賀春江さんの絵に近いものをかくことができました。今回はその仲間をあつめて、複数人で行う展示会です。おヒマがありましたら、ぜひ見にきてください。」

古賀春江かあ。現実を無視して、自由自在に書くことを、確立させた画家だ。でも、そういうもので、大成するには、どうしたら良いのかなぁと、ジャックさんは思うときがある。武史くんだって、明日の神話のような絵を描いて、何回も学校からよびだされている。いまは、厄介物扱いだ。それなのに、古賀春江さんは、どうしてこんな絵を、世界的に認められているのだろう?

「ありがとうございます。絶対にみにいくね。約束するよ!」

武史くんがにこやかに笑っているのとは対象的に、ジャックさんは、一つため息をついた。それをみた水穂さんが、何が悩んでいることがお在りですか?ときいた。やっと悩んでいることを話せると思ったジャックさんは、水穂さんに、こう切り出した。

「実はですね、武史が、学校からまた呼び出されましてね。なんでも、また授業妨害をしたというのです。学級会議が行われるときに、非常勤できてくれる、美術教師の先生の、お別れの会をしたいと発言したとか。それで、学級会議が成り立たなくなってしまったというのです。だから、謝れと言われたのですが。」

「そうですか。それは武史くんの発言そのものが悪いわけでもなくて、武史くんが発言したタイミングがまずかったのでは無いでしょうか?学級会議の議題は何だったのでしょう?」

水穂さんがそう言うと、

「それが、担任の先生にきいてみましたが、単に今月のクラス目標を決めたいだけだったというのです。」

と、ジャックさんはこたえた。

「どうもおかしな学校ですね。そういうときに注意というか、何が行けないのかとか説明をしないで、当事者を追い出せばいいというお役人根性は、今も昔も変わりませんね。」

ジョチさんは、やれやれまたかというような感じで言った。

「ほんと、学校って何をするところなんでしょうね。ちょっとでも、学校の規律を乱す人は、追い出してしまえば通用するなんて、それ、昭和の始めくらいで当の昔に終わってますよ。今はちゃんと、追い出した経緯や、理由をちゃんと説明しないと、学校から放り出されていかに傷つくか、だれも知っていそうで知らないんですよね。」

「そうですね。障害を持っているのがいかに辛いか、当事者でないとわからないのと一緒ですよね。」

ジョチさんの発言に、秀明もそれに応じた。

「理事長さん、やっぱり学校に謝ったほうがいいのでしょうか。僕は、そこがわからなくて、困っておりまして、今日はこちらへこさせてもらったわけですけどね。」

ジャックさんがそう言うと、

「謝るというより、学校側としては、人減らしをしたいだけだと思いますよ。多かれ少なかれ、そういう生徒が居てもおかしくないと思いますし。だってまだ、小学校の一年生なわけですから。」

水穂さんが、武史くんの顔を見ながら言った。

「人減らしというか、迷惑をかける生徒さんを消したいだけでしょうね。謝る必要があれば謝りますが、その代わりに、この学校に居させてくれと、交渉してみるといいと思います。子供が教育を受けられないというほど、悲しいことはありませんから。それは、どんな子でも同じですよ。障害があっても、能力が劣っていても同じです。」

ジョチさんもそういって、ジャックさんを励ました。

「決して、学校の先生に、自分が一番えらいと思わせてはいけません。それは明らかに職権乱用です。」

「でも、武史君の発言の内容も気になりますね。非常勤で教えている美術の先生とは一体どんな人物なんでしょうか?」

不意に、水穂さんが言った。

「とても、優しくて、親切だよ。よく喋る先生で、僕も絵のこととか、教えてもらったんだよ。他のみんなにも、絵の書き方とか、教えてて、描けるようになるまでずっとそばに居てくれたんだよ。」

武史君は、子供らしく嬉しそうに言った。

「どうも変な学校ですね。生徒ばかりではなく先生も選ばせる学校なんですか。とても優しくて親切な先生なら、そのまま学校に居させて上げればいいのに。子供に人気が出るからと言って、退職させるという学校も、よくわかりませんね。」

ジョチさんは、変な顔をしたが、

「そうなんですね。その先生は、生徒さんから、とても人気があったということですね。どちらか、有名な美術学校でも出ていたんでしょうか。それとも、海外での生活の経験があったとか、そういう先生でしょうか?」

水穂さんがそうきくと、武史君はわからないと答えた。

「まあ確かに、病院の看護師さんだって、正看護師より准看護師のほうが、人気がでるということもありますよね。その先生が、正式な教員ではなくて、非常勤講師であっても、生徒から人気を得て、きちんと教えてくれるというのも、他の教員から色々妬まれて居るんじゃないかな。」

「武史くん、その先生のお名前はなんて言うんですか?」

ジョチさんが、水穂さんの話に割って入ると、

「はい、柳沢吉信先生です。」

と、武史君は答えた。

「なんだか柳沢吉保みたいな名前ですね。」

ジョチさんが言うと、

「柳沢吉信先生なら、僕知ってますよ。以前、留萌で、先生が絵画教室を開いていて、僕はそこへ絵を習いに行っていたんです。確かあのとき、北海道は田舎すぎて、絵を研究する場所が無いと言っていたんですがね。僕は、東京へ移住してしまったと思ったんですが、なんで、縁もゆかりもない、静岡の小学校で非常勤講師をしていたんでしょうか?」

と、秀明が言った。

「そうなんですか?では、美術業界ではかなり有名人だったんでしょうか?」

ジョチさんが聞くと、

「ええ、僕もなんとなくですが、聞いたことがあります。北海道の出身だけど、なにか事情があって、この静岡に来られたとか。確か、ムソルグスキーの展覧会の絵を再現すると言って、曲に合わせた大規模な連作を描かれた事があったような。その展示会は、僕も見に行きました。もう、かなり昔ですが。」

と、水穂さんが答えた。

「そうなんだよ。おじさんの言う通り。その柳沢先生が、今月いっぱいで学校を辞める事になったから、僕は先生のお別れ会をしたいといったのに。」

「そうですか。確かにそれはおかしいですね。離任されるのであれば、学校では離任式というのを行って、生徒さんにもそう知らせるはずなんですけどね。」

武史くんが子供らしくそう言うと、ジョチさんも急いで言った。

「教員免許を持って居なかったとか、そういうことでしょうか?」

水穂さんがそう言うと、

「でも、いきなりだったんだ。校長先生が、柳沢先生は、今月いっぱいで学校を辞めると言って、先生から、何もお別れの言葉もなかった。他の生徒さんも、何か当然じゃないかって顔してて、みんな柳沢先生が居なくなってもいいって言うような顔してる。」

武史君は、小さくうつむいていった。

「そうですか。それじゃあ、なにか不祥事を起こしたということでしょうか?」

ジョチさんが言うと、

「いや、それはまず考えられませんね。柳沢さんのあの人柄では、絶対に不祥事があったら、許さない人ですもの。それは、水穂さんもわかるんじゃありませんか。柳沢さんの、フォービズムに基づいたあの絵を見れば。」

と、秀明が言った。

「フォービズムね。確かに佐伯祐三も、精神がおかしくなるほど、繊細な感性を持っておられました。あの荒々しい絵であっても、繊細な感性を持っている画家が多いですね。」

ジョチさんは、なるほどと思った。

「でしょ。だから僕はおかしいと思ったんだ。だって、あんな上手な絵を描く先生であれば、悪いことして辞めちゃうなんて絶対ないんだ。だから、僕は、お別れの会をしたいと言ったわけ。だから、僕は、間違っていない。柳沢先生のお別れの会をしたいと、心から思ったから、そういったんだ。」

「わかりました。わかりましたよ武史くん。本当に、そういう細かいところに視点を持ってこれるんですね。確かに、日本では、大掛かりなイベントが得意ですから、離任式もしないでいきなり学校を辞めるということに、びっくりされたのでしょう。それで、学級会で発言されたのですね。しかし、先生方は、それを学校を乱す発言と取られた。それで、謝罪をしろと、ジャックさんに言ってきたわけですか。事件の全容がやっとわかりました。武史くんは、そういうところに気がつけるんですから、立派です。」

ジョチさんは、武史くんに向かって、そういう事を言った。

「確かに式典もしないで、先生がやめられるというのは、おかしいと思いますし、ましてや生徒から、人気のある先生だったらなおさらでしょうね。武史くんは、そういう変化に気がついたんですね。」

水穂さんは武史くんを褒めてあげた。子供にはできるだけ褒めてあげるというのが、大切だからである。

「それでも、僕達は、学校の先生に謝らなければならないの?」

武史くんが水穂さんに聞いた。

「そうですね。学校は、おかしなところですから、一応形だけはしたがって置かないと、学校に居させてもらえなくなる可能性があります。そこは、演技でもいいですから、やったほうがいいのではないかと思いますよ。」

と、ジョチさんは偉い人らしく、そう答えた。

「ただ、その柳沢先生が、どういう理由でやめさせられるのか、知りませんが、武史くんは、個人的に柳沢先生を尊敬していらっしゃるのなら、その先生に手紙を送るなりすれば、十分に、伝わると思います。」

「やだ!僕、お別れの会をしたい!」

ジョチさんの答えに武史くんは、そういうのだった。

「でも、他の生徒さんや、先生が同意しないのなら、そういうことは、できないでしょう。武史くんが個人的に慕っていても、集団と、個人とはまた違いますからね。」

「僕も、今回ばかりは、武史くんの意見に賛成ですね。」

と、秀明が言った。

「あんな優しい人が、学校を辞めるなんて、どうも理不尽すぎますよ。それとも、柳沢先生が、自ら辞めると申し出たのでしょうか?僕も、先生に会って、その当たり話を聞きたいです。」

秀明もそういうのであれば、きっと柳沢という人は、それほど、人の良い人物だったのだろう。

「ええ。確かに、僕も、一度だけですが、柳沢さんの絵を拝見したことありますし、その中で描かれていた、人物の笑顔が忘れられないです。そんな人を切り捨ててしまうのも、なんだか、可哀想すぎますね。」

水穂さんまでそういう事を言った。

「わかりました。では、その先生の、お別れ会を、どこかレストランでも借りて実行することにしましょうか。それだけ、人望があったひとということになりますからね。」

ジョチさんは、リーダーらしく、彼らの話をまとめた。

「学校ではできなくても、そういうセレモニーをおこなうのに、ふさわしい人物であればの話です。」

そういう事を言うジョチさんであったが、すぐに義理の弟であるチャガタイこと曾我敬一さんに電話した。事情を話すとチャガタイは、ああ、そういうことなら、明後日に個室が開いてるよと言った。

そうして、その当日。ジョチさんと、秀明は、焼肉屋ジンギスカアンにて、お客さんが来るのを待った。水穂さんは、容態が良くなく、参加することはできなかった。正午の鐘がなって数分後。

「理事長さん、連れてきたよ。」

と、言いながら武史くんが、ジャックさんと一緒に、一人の男性を連れて店にはいってきた。確かにその顔はジョチさんも見たことがある。

「はじめまして、武史くんの相談で、お会いさせていただけることになりました。曾我と申します。よろしくおねがいします。」

と、ジョチさんは、静かに頭を下げた。柳沢として紹介された男性は、なんだかもう疲れ切ってしまったというか、そんな感じの顔をしている。

「はじめまして。今日は、武史くんの話を聞いてこさせて頂いたのですが、」

と、ちょっと弱い雰囲気のある中で、柳沢という男性は言った。

「あの、柳沢先生、僕のこと、覚えてらっしゃいませんか。ほら、この腕を見ればわかるでしょう。留萌で絵を習っていた、小濱秀明です。今は、結婚して前田秀明になりましたが、それでも、絵を描く作業は、ずっと続いています。」

と、秀明が言って、左腕のはいっていない、着物の左袖を持ち上げてみせた。柳沢さんは、それを見て、

「ありがとうございます。小濱くんにわざわざ来ていただけるとは。」

と言った。

「ええ。僕は、ずっと先生の絵はすごいものだと思っていたんです。だから、これからも、先生の絵を尊敬しています。ここに居る武史くんも、武史くんのお父さんもそうです。」

秀明がそう言うと、

「小濱くん、いや、前田くんといったほうがいいのでしょうか。もう、こんな人間に、わざわざこんな場所を用意してくださって。」

と、柳沢さんは、申し訳無さそうに言った。

「一体なにかあったんですか?こんな人間なんて。先生は、立派な展覧会だって、開けたじゃないですか?」

「そうだよ!だって僕達に、絵をたくさん教えてくれたじゃない。僕、先生が教えてくれたことは、ちゃんと覚えてる。先生は、僕のことを、絵が上手だと言ってくれた。それは、みんな、僕の絵は気持ち悪いという中で、先生だけが、言ってくれた言葉だった。」

秀明と武史くんはそういう事を言った。ふたりとも、柳沢さんを、尊敬しているという顔でそう言っているが、柳沢さんは、もうダメだという顔をしている。

「僕達は、先生に、絵がうまいと言ってもらって、嬉しかったんだよ。」

武史くんが子供らしくそう言うと、

「でも、学校の美術部の廃部に私は反対しました。それで、学校から、もう来ないでくれといわれてしまいました。」

小さい声で、柳沢さんは言った。

「それだって、いいじゃないですか。それは単に学校から、脱出できたということかもしれません。もしかしたら、学校という組織に居なくても良かったから、はじき出されたのかもしれませんよ。僕は、最近生きていて思うんですけど、本当に大事なものは、身近なところに残るものです。なくしたものは、いらないもの。それにしがみついていないで、新しいものを探すべきだという、だれかの合図かもしれません。」

ジョチさんは、にこやかに笑って柳沢さんに言った。

「そうですよ。だって、先生は、いろんな絵を描いて、僕達を励ましてくれたじゃないですか。学校の先生には、それが合わなかっただけのことですよ。それだけのことですよ。大きな組織から弾き飛ばされてしまうと、辛いかもしれないけど、僕達が応援していることを忘れないでください。」

秀明が、柳沢さんを励ますが、柳沢さんは、まだ、涙をこぼしたままだった。

「そうなんですね。小濱くん、ありがとうございます。でも、もう遅すぎます。」

それがなにか、断定的な言い方だったので、ジョチさんも秀明も、本当にさようならを言いたいのは、だれなのか、すぐわかったような気がした。そのさようならを言いたい理由も。それを武史くんが理解してくれるか不明だが。ジャックさんは説明しようとしたが、ジョチさんが、いえ、彼なりに考えさせましょう、といったため、それはできなかった。やがて、武史くんは、口を開いてこういう事を言ったのだった。

「でも、僕は、先生の事をずっと忘れないよ。先生、本当に僕に絵を教えてくれてありがとう。さようなら。」




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