1-3 「もう数軒回るぞー」
木製のカウンターの中に立っていた店長は、クルトが取り出した警察手帳を見て困惑の色を浮かべた。
そりゃそうだよな、と思う。男の警察官が二人押し掛けてきて、戸惑わない人間は居ない。しかも一人は人形と見紛う表情の無さだ。
店長の不安を和らげるようににこりと笑い、情報提供を求めるプリントされたポスターを広げる。
「お聞きしたいのですが、こちらの写真の方見覚えはありませんか?」
はい? と怪訝そうに顔が顰められたものの、次第に合点がいったようだ。喫茶店店長の顔付きに戻り、目を細めて紙に視線を落とす。その眼差しは真剣で綺麗だった。今度時間があったらポピーに来てみようと決意する。
「いえ、見たことありません」
「そうですか」
断言され、リチェは肩を落とす。
連続連れ去り事件の被害者の接点を見つけるべく署を挙げてしらみ潰しの調査をしているが、一向に実は結ばれない。徒労に終わるのではないか……という拭いきれぬ恐怖の中、どこかで線が繋がることを信じて今日もこうして店を回っていた。綺麗な女性と出会える機会が稀にあるので、そこは感謝している。
チラッとクルトに視線を向ける。相変わらず無表情な後輩は、じっと紙を見ていた。無視される事も多いが、仕事は熱心にこなしてくれる。
「ご協力有り難う御座いました~。これだけで申し訳ないんですが、失礼します」
「あ、はい、お力になれずすみません……?」
思ったよりもあっさりしていたからか、店長の目が僅かに丸くなる。語尾も少々上がっていて不思議そうだ。
「いえいえー。あ、そのポスター、壁に貼っておいて貰えませんか?」
「了解しました」
「有り難うございます、では。クルト行くぞ」
礼をして黒髪の後輩を促し出入口に向かう。やはり後輩は最後まで喋らなかった。
外に出るとちょうど風が吹いてきて、制服を波立たせる。着実に夜の闇が近付いている今、なかなかに肌寒い物があった。ふぅ、と息を吐き視線を隣に向ける。
「もう数軒回るぞー」
クルトの黒い瞳がチラッとこちらを見て、すぐに視線を逸らされ俯かれる。返事が無いから肯定だろう。この後輩とはペアを組んだ時の自己紹介でしかまともに会話したことがないが、妙な部分で意思疎通が取れるようになってしまった。
次は隣の服屋かな、と目星を付けていると、不意に隣から声が聞こえた。
「…………数軒だけ?」
一瞬誰の声か分からなくて、去年同僚達にサプライズで誕生日を祝われた時のようにぽかんとしてしまった。少しして、その声がクルトの物だと気が付く。自己紹介の時、敬語が苦手そうだったので、「なら使わなくていい」と言ったのを忘れていた。
「あ、ああ! そうだな、もっと回るか!」
話しかけられた事が嬉しくて表情を崩し、声を張って応える。急に大声を出したからか、近くの通りに居る白いハンカチを手にした赤毛の少年がびくりと肩を揺らすのが映り、慌てて声量を落とした。
「んじゃ次行くかーっ」
ひそひそ話をするように言い直し、ポピーの隣にある服屋に足を向ける。後ろから後輩の足音が聞こえてきた。
***
イヴェットと呼ばれていた少女にハンカチを返しに行こう。ノア・クリストフは拾ったハンカチを持ち、そう決めた。
幸いあの青年がエルキルス教会の牧師であることは分かっているので、届けに行ける。あの牧師に会うのは嫌だったが、ここでハンカチまで返さずにいたら、自分は何にも変われない。そっちの方が嫌だし、ハンカチを届けるくらいの事はして牧師を見返してやりたい気持ちもあった。
その前に一旦下宿先に帰ろうと思った。ノアの両親は、二人とも国を行き来している蒸気船の船員だ。家族が揃うことは少なく、今までは祖父母の家に預けられていた。しかし祖父母が施設に入ることになり、喫茶ポピーで住み込みバイトを始めたのが去年の事。
ポピーは店舗付き住宅なので、二階の一室を借りている。ポピーの店長ヴァージニアには、公園で泥まみれになって遊んでいた頃から店に通っているおかげで、近所だったこともあり実の息子のように良くして貰っている。ノアも年に数回しか会わない親より、正直ヴァージニアの方が親しみがあった。昔みたいに博物館に一緒に行く事は無くなったが、そう思う。
裏口から二階に上がろうと細道に入ろうとした時、誰かが喜んでいるような声が聞こえた。
何事かと思い視線を声がした方に向け驚いた。その声はポピーからしたからだ。夕陽を受け赤みを帯びたプラチナブロンドに眼鏡をかけた男性と、自分と歳がそう変わらないだろう無表情な少年からだった。二人は警察官のベストを着ている。
店で何かあったのかと一気に心配になった。強盗、空き巣、喧嘩。このご時世警察にお世話になる理由は沢山ある。
「はぁっ!?」
慌てて店の前にある数段の階段を上がり、勢いよく扉を開ける。
「店長、何かあったのか!?」
客の居ない店に入るなり、カウンターに居るヴァージニアに詰め寄る。
「あ、おかえりノア君。学校どうだった?」
「それは置いといて! さっき警察が出て行ったのを見たんだけど?」
ヴァージニアの問いを流しつつ、ノアはカウンターの正面にあるスツールに腰掛ける。仕方なさそうに目を細め眼鏡を直した女店長が口を動かす。
「何も無いわ。ただの聞き込みよ。ほら……今連続連れ去り事件が話題になってるじゃない? それの被害者に見覚えはないか、って聞きに来たの。そこのポスターがそれよ」
目線で示されたポスターを早速手に取る。さすが警察の物、きちんとプリントされたそこには見覚えのない女性が、情報求の文言と共に何人も写っていた。
「良かった……僕はてっきり、強盗にでも入られたのかと……」
「ふふふ。ノア君、ついでにそれ壁に貼っといてくれる?」
「面倒臭ぇ……まあやるけどさ。どこに貼っていいんだ?」
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