1-4 「グミ。最近ハマってるの」
ぶつぶつ言いながら、渡された画鋲を四つ掌に注意深く置いた。
「トイレがある壁に貼っておいてくれる? オーガスタの横。そこが一番インテリアの邪魔にならないわ」
「警察への協力よりインテリアかよ」
「あら、トイレの近くなら目に付くわよ」
胸を張る店長の言葉にはいはい、と相槌を打ちながら、言われた通りオーガスタと言う観葉植物の隣に向かう。大きな葉に当たらぬよう気を付けながらポスターを貼っていった。購入に苦労した店らしく、愛着があるのか店長はインテリアへのこだわりが強い。
「もうちょっと右がいいわ」
「うるせー。けどりょうかーい」
あれこれと位置を微調整し、ポスターを貼っていく。何も言われない辺りこの位置で大丈夫なのだろう。
「あ、店長。僕この後出掛けてくるわ」
「どこに行くの? 夕飯までに帰って来る? 今日公園で炊き出しがあるでしょ、だからそこのカレーを貰って来る予定なんだけど」
ヴァージニアの、のんびりした声。客にはハキハキ喋る割に、この店長はセールス電話も切れないタイプだ。その声に頷き、僅かに口元を緩める。
「帰って来るよ、……エルキルス教会? あそこの牧師にちょっと用があるんだ」
「教会!?」
教会という単語を口にすると、ヴァージニアがぎょっとした声を上げる。思わずノアも肩をびくつかせた。
一拍して理解した。クリスマスの時にお菓子を貰いに行っただけしか教会に縁の無いノアが、いきなり教会と言えば誰だって驚く。もっと言葉を選べば良かったと反省する。
「いやいやいやっ、落とし物を届けに行くだけだって! 別に神様に興味があるわけじゃねーよ」
誤解だとばかりに早口になった。弁解を聞いたヴァージニアの表情が見るからに安堵の表情に変わっていく。
「…………なら良いけど。もー、驚いちゃったじゃない。そもそも牧師の落とし物ってなによ?」
「ハンカチだよ。正確にはあそこの牧師の姪が落としたヤツだけど、まっ、牧師に渡しときゃ大丈夫だろ」
「ふーん。ノア君偉いじゃない」
「まーなっ」
勉強面で褒められる事は少ないので、こういう事で褒められるのが嬉しい。口元を緩めるていると、微かに咀嚼音が聞こえてきた。
「今日はなに食ってんの?」
口が動いている店長に、呆れ気味に問い掛ける。良く見れば手には焦げ茶色の小さな紙袋を持っていた。
自分が店長のお菓子を食べようとすると怒るくらい間食が好きなこの人は店にもお菓子を置いていて、客が居ない時はこうしてよく何かを摘んでいる。
「グミ。最近ハマってるの」
グミは良く噛むので小顔とストレス解消に効果があり、間食にぴったりだと以前ラジオで言っていた。少し前まではナッツ類を好んで食べていたが、どうやら今はグミがお気に入りのようだ。
「あっそ……。んじゃーな!」
すっかり外に出るタイミングを逃してしまったので急いで外に出る。夕方のエルキルスは、街のあちこちで排出される蒸気も相俟ってほんのりと霧がかっている。蒸気発電にそこまで頼っていない地方はそうでもないが、ポピーの隣の公園には蒸気時計があったり、蒸気タービン式清掃用ロボットが配置されている為一層霧が濃い。
ノアは一度伸びをし、着替えるべく裏口に回った。
***
「叔父さん、怒りすぎっ!」
エルキルス教会への帰り道。
蒸気機関車が走っている高架下を通りながら、イヴェット・オーグレンは己の手を掴みひたすら歩く金髪の青年に向かって声を張り上げた。空気の振動と同時に、ガタガタと騒音が周囲に広がる。
自分も一度はカッとなってあの赤毛の少年を責めてしまったが、よくよく考えれば同年代の人間が咄嗟に動くのは難しい。変なところで立派な叔父と住んでいるせいか、ついつい感覚が麻痺してしまった。出来るならもう一度少年に会って謝りたい。
「叔父さんってば!」
もう一度自分の腕を掴んで歩いているユスティンに声を掛けたが、珍しく一向に振り向いてもらえない。
「……叔父さんっ、痛いって! そろそろ本気で痛い! 腕離してぇっ!」
とにかく反応して欲しくて、ぎゅっと掴まれている腕を離してもらおうと懇願する。必要以上に情けない声を上げたお蔭か、ようやく叔父の足が止まった。
「あっ、すみません! 色々考えてしまいまして。大丈夫ですか?」
正気に戻った青年に慌てた調子で返され、頬を膨らませる。
「ううん、痣になってるかも……もー」
すみません、と真摯な声で謝られ溜飲が下がる。再度「もーっ」と言い隣に並んだ。
いつの間にか頭上を走っていた蒸気機関車は通り過ぎており、辺りには石炭が燃えた独特の臭いが立ち込めている。十九世紀ではスモッグが大層問題になったらしいが、今はフィルターが発達したお陰で人体に影響は無い。
「何考えてたの? さっきの男の子のこと?」
叔父が自分の声が届かなくなる程何かを考えているのが珍しく、興味から問いかける。
「それもありますが、……自分にも怒っていました」
牧師の息子として厳しく育てられた叔父は、誰にだって敬語を使う。
「…………うわ、叔父さんが珍しく自分のこと考えてるー」
「珍しくって何ですか、珍しくって」
「だって叔父さん、野球馬鹿もビックリなくらい私のことしか考えてない姪馬鹿じゃん。学校まで私を迎えにきたりさ~最初は格好いい! って騒いでたクラスの子達も、今じゃ引いてるんだよー」
「それはその方達が本当に守りたい物をまだ見付けていないだけです。それにあそこで犯人を捕まえていたら、イヴェットさん私のこと格好いいって思ったでしょう!」
「…………はいはい」
本当の理由が分かって酷く納得した。叔父はどうしてこんなに自分のことが好きなのだろうか。嬉しいが時に複雑な気持ちになる。
「それよりさー、今日アンリさん炊き出しのボランティアに行く日でしょ。夕飯何か買ってこー」
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