1-2 『現在、警察が被害者の割り出しに尽力を注いでいるようです』


 改めて見ると、『叔父さん』は羨ましい程眉目秀麗だった。夕陽を受け輝く金髪と、澄んだ青い瞳が高価な人形のようだ。どこにでも売っている白いワイシャツに濃紺のズボンとシンプルな出で立ちだったが、それを野暮ったいと思わせないくらい姿勢もスタイルもよく似合っている。

 イヴェットの言葉通り、青年は右手の甲を赤く腫れさせ、微かに血を滲ませていた。イヴェットは受け取った鞄から早速白いハンカチを取り出し、血を拭き取る。


「犯人を追い掛ける時思いっきり壁に手の甲をぶつけちゃいましてね、恥ずかしい……って、まだ居たんですか」


 穏やかに返していたが、ノアを認めた瞬間厳しい物に変わった。


「……さっきは悪かった。僕が動くべきだったな、あの時」

「本当ですよ。声までかけられてるのに無視だなんて、情けない。それでも男ですか」


 牧師だと言う青年の声は、すれ違った時と同じくらい冷たい。先程自分が動けなかった事がどれだけ間違った事であったかを痛感する。

 後悔の念がどんどん押し寄せてきて、巻き戻せる物なら時間を巻き戻したかった。言い返す言葉もなく俯いていると、青年がムッと息をつくのが分かる。


「……私こういう動きも反論もしない人嫌いなんです。イヴェットさん、帰りますよ」

「えっ」

「いいですから!」


 業を煮やしたように言う青年は苛立ちを露にイヴェットの腕を引っ張って姿を消した。


「…………」


 ノアは暫く、通りに一人残され呆然と立っている事しか出来なかった。イヴェット達が風のように消えていったというのもあるが、引ったくりを前に動けなかった自分を受け入れられずにいた。

 目の前で犯罪が起きようが、ヒーローが如く止められると思っていた。なのに自分より体格のいい少年を前に、一歩も動けなかった。

 情けない。両親は仕事で不在がちで、今は喫茶店で住み込みバイトをしているというのに。こんな有様では肝心な時に酷い事態になってしまう。

 気持ちを落ち着かせるべく、ノアは深く息を吸い込んだ。若干マトモになった頭で思うのは、あの牧師がいけ好かない、というじわじわとした怒りだった。ああいうすかしてそうなタイプとは絶対に反りが合わない。

 先程は突然の事に頭が麻痺して棒人間になってしまったが、平時のノアは気が強い。正論だと理解していても腹が立つ。


「くそっ!」


 やりきれない気持ちを吐き出そうと毒づき、気がついた。

 通りの上に、白いハンカチが落ちているのだ。ハンカチは僅かに血で汚れていて、イヴェットが落とした物なのはすぐに分かった。

 どうしたものか、と。その白い布切れから視線を離す事が出来なかった。


***


『最近、エルキルスで起きている連続連れ去り事件ですが』


 ヴァージニア・エバンスがそのニュースをラジオで聴いたのは、自分が経営している喫茶ポピーでコーヒーカップを洗っている時だった。

 最近街で大きな事件が無かっただけに、ラジオはひっきりなしにこの事件を報じている。若い女性ばかりが馬車とのすれ違いざまに連れ去られる、という事件だ。

 連れ去られた女性がどのような運命を辿るのか分からない為、住人に恐怖を抱かせている。被害者と失踪者の区別が付きにくい事から、いまいち全容が掴めていないのもある。

 事の発覚は、死に物狂いで被害を逃れた女性の証言だ。目撃情報も僅かにあるが、複数犯と見られる犯人グループは手馴れているようで、なかなか足を見せず、捜査は行き詰っているらしい。


「ふぅ……」


 世界は陰気なニュースばかりだ。ヴァージニアは深く息を吐き、夕方の通りを映した。

 ポピーは通勤時間帯から開いている代わりに、夜の営業は行っていない。すぐ隣の公園に遊びに来た親子をターゲットにしているからだ。もう通りを蒸気で動力補助された二階建ての馬車が行き交っており、これからの帰宅ラッシュを予感させた。


『現在、警察が被害者の割り出しに尽力を注いでいるようです』


 木箱に入ったラジオはそう続け、何十回も繰り返してきた情報や市民への警告を電波に乗せる。

 ヴァージニアは三十九歳だ。被害に遭う心配は無いだろう。

 本当、嫌な事件だ。

 もう一度溜息をつき、洗い終えたコーヒーカップをシンクに置き、次の食器に手を伸ばした。


***


 エルキルス中央公園のすぐ横に位置する喫茶ポピー。

 中に入るのは初めてだが、リチェ・ヴィーティは通勤の際この横を通っている。姫を出迎える家臣達のように、手摺に掛かっているハンギングバスケット達が特徴的なこの喫茶には馴染みがあった。


「すみませーん」


 エルキルス警察署に勤めるリチェは、ハンギングバスケットの横を通ってガラス戸を開け、客の居ない店内に声をかけた。

 白色の壁に囲まれた店内にはあちこちに観葉植物が置かれていて、清潔感のあるナチュラルな内装だった。今が夕方でなく昼間だったらマダムがお喋りに花を咲かせていたことだろう。

 ちらりと後ろを見て、いつも以上に無表情な後輩が着いて来ている事を確認する。この無口な後輩は、今年唯一エルキルス警察署刑事課に配属された十代の新人で、二十四歳のリチェの唯一の後輩だ。今の時代、少なくなった大学に行かず働く若者の方が多く、社会もそれを受け入れているので教育が充実している。

 首席だったという無口なこの後輩を、同僚はなかなか受け入れようとしなかった。礼儀がなってない、と悪く言うが、リチェはそう思えず、初めて出来た後輩に先輩風を吹かしている。


「いらっしゃいませ……?」


 声を返してくれたのは、ポピーの店長だ。ノンフレームの眼鏡をかけ、ツヤのある金髪を一つに纏めている四十代近い女性。声が不思議そうなのは自分達が警官服を着ているからだろう。


「エルキルス警察署の者なんですが、少しお話聞かせて貰えないでしょうか?」


 胸ポケットから警察手帳を取り出し、店長に見せながら言う。ちらりと後ろを見て後輩、クルトを肘で小突き同じく警察手帳を出すよう促した。女好きなリチェだが、後輩への簡単な指導くらいは出来る。


「えっ、良いですけど……なんでしょう?」

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