第30話 悪意の伝播 後編




 20✕✕年。

 たった一発の核攻撃が引き金となり、世界に核の雨が降り注いだ。

 瞬く間に世界中で戦争に発展して、第二次世界大戦後、二度とないと言われていた第三次大戦がいともたやすく勃発した。

 わずか数か月で世界の人口の約半数が死滅し、現在もなお、世界各地で殺しの連鎖はつづいている。


「お客様……お客様」

 キャビンアテンダントの声で目を覚ますイザベル。

「成田に到着いたしました」

「……」

 イザベルは目をこすり、周りの状況を確認する。機内には乗客は残っておらず、イザベルだけが残されていた。

 立ち上がり、歩こうとすると足がふらつく。

「大丈夫ですか?」

 キャビンアテンダントが支えようとするのを邪険に払って、イザベルは出口に向かって歩きだした。

 エントランスにつく頃には足取りも元に戻り、ロビーにいる大勢の多様な人種を横目に見ながら、タクシー乗り場へと向かった。

「渋谷まで」

 タクシーに乗り込んで、母国語で、行き先を告げると自動タクシーは勝手に走り出す。

 東関東自動車道に乗り、千葉から東京へ向かう。

 流れる景色を見ながら、イザベルはなぜか心が落ち着いていくのを覚えた。

 タクシーのフロントがモニターとなっており、そこに今夜のボクシングの世界戦の宣伝が流れていた。世界が戦争の渦中にあるのが噓のように、日本は平和そのもののように時が流れている。

――成田から渋谷へ向かい、そこに一晩いるだけでいい。そうすれば、お前のがそこにいる者に伝わり、瞬く間に日本全国に広がっていくはずだ。

 事前に何度も刷り込まれた言葉が、頭の中で自動再生される。やがて、左手に東京湾が見え、西日が眩しく湾を照らしていた。


 東京ドームで開催されるスーパーバンタム級世界統一王者決勝戦。

 勝ち上がってきたのは、タイの四階級世界王者ヌラリィヒョンと、日本のモンスターTAKAHIROこと、小沢孝弘。

 この一戦は、世界が戦時下に行われるということで賛否両論巻き起こったが、「世界に明るい話題を」という強い願いから実現した。

 東京ドーム五万五千の席が埋まり、開始時刻、十八時のゴングを今か今かと待ちわびている観客。この試合は全世界100ヶ国にlive配信されている。

 渋谷駅前に到着したイザベルが、そこに人の姿をほとんど見つけられなかったのはそういう理由からであった。

「お姉さん、ナニジン?日本語話せる?」

 振り返ると、若い金髪の男がスマホの翻訳機機能をかざして近づいてきた。

「どけっ」

 若者の肩を後ろから掴んで、小さな女が押しのけた。

「ああ?んだテメェ?……たっ」

 女に向かおうとした男が、とっさに首筋に手を当てた。見ると手に血がついている。

「お前……」

 男は白目をむいて、地面へ倒れ痙攣する。

「私の名は矢代弓子やしろゆみこ

 背の低い細身のおかっぱ頭の女が、三白眼でイザベルを見上げた。それをイザベルが無表情で見つめ返す。

「てあぁっ」

 叫び声をあげ、矢代が手刀をイザベルに突き入れる。その手は、鋭い爪に黒い皮膚が手首まで続いていた。毒手である。

 イザベルは反射的に前転してそれを避け、入れ替わるように立ち上がり、距離をとった。

 矢代は振り返りざまに毒手を刀のように振って、身を翻した。

 イザベルは鼻で大きく深呼吸をして、ジッと矢代を見つめた。

「……」

 すると、矢代は立ち止まり目を見開いたかと思うと、頭の抱え、その場で蹲った。

「あ"あ"あ"あ"イタタタタタタ……」

 矢代は、全身の力が抜けるようにその場に横になると、そのまま動かなくなった。

 イザベルは一息つき目線を上げる。すると、視線の先のスクランブル交差点に、一人の男がいるのに気づいた。

 白髪を刈り込んだ、老人にしては血色がよく、力強い雰囲気を醸し出している男がイザベルに近づいてくる。

 イザベルは老人を見守り、老人が自分の前まで来るのを待った。

 老人は立ち止まり、チラッと矢代に目をやってからイザベルに微笑みかけた。

「君を探していた」

「あなたは?」

 イザベルは様子を伺うように訊いた。

古藤邦夫こどうくにおという者だ。君の名は?」

「イザベル・オーシャンよ」

「イザベル・オーシャンか。いい名だ」

「私を知っているの?」

 イザベルの問いに、古藤はうなずいた。

「私の祖母は霊能力者で、君がこの世に現れ、世界を破滅へと導くことを予言していた。そして、それは現実となった」

「私は何もしていない」

「君が望まなくても、君の中のごうがそうさせるのだ。ずっと以前、君の前世からの定めがそうさせている」

「なにを言っているの?」

「フッ、まあ、それは今更どうでもいい事。君をここで始末することが私の使命、悪いが死んでもらう」

 古藤はワルサーPPKをイザベルの鼻先に突きつけた。

「それならわかる」

 イザベルは目を閉じた。

 古藤は意外そうにイザベルを見つめていたが、周囲に殺気を感じ取り、表情を変えた。

「……どうして撃たないの?」

「どうやら、連れてきてしまったようだ」

 瞬間、古藤はイザベルの腕を掴んで、走り出した。

 銃弾がアスファルトを弾きながら二人に迫ってくる。古藤は駅の出入口の壁に身を隠し、周囲を伺う。

 ビルの死角から黒ずくめの者たちが狙ってきている。

「……五人、六人か」

 古藤はイザベルを見た。イザベルは古藤が掴んだ手を見つめ、古藤の顔を見上げた。

「走るぞ」

 壁から飛び出すと、渋谷交番前を走り抜け、通りに出た。

 銃声を聞きつけた警官が二人を制止しようとフォルダーから銃を抜くが、銃弾を浴び、地面に倒れる。

 二人は通りかかったタクシーに乗り込んだ。

「八王子」

 古藤が行き先を告げると、走りだすタクシー。

「なぜ、私を置き去りにしなかったの?」

 渋谷が遠ざかると、イザベルは訊いた。

「あれは俺に恨みを持つ者が雇った連中だ。そんな連中に君を奪われたくはない」

 翻訳機がなくとも、不思議とお互いの言っていることがわかった。

「……」

 イザベルがジッと古藤を見つめる。

 タクシーのフロントモニターでは世界戦の結果が流れている。モンスターTAKAHIROがタイのヌラリィヒョンに1ラウンドでKO勝利を収めたようだ。

 二人を乗せたタクシーが都心を離れ、凡庸な住宅街を走り抜け、山の中に入っていく。

「どこへ行くの?」

 不安げにイザベルが訊く。

「この山の上に、種人たねんど神社の分社と言われている神社がある」

「タネンドジンジャ?ブンシャ?」

「神様のことだ」

「……」

「大昔、一人の女がいて、その女が村の者全員から迫害を受け、殺された。その女の恨みが死後残り、村を滅ぼすことになる。しかし、村が滅んだ後も恨みは残り、村から逃れた人々がその女の霊を慰めるために神社を作った。大元の神社は別の地にあるが、ここはその神社に行けない者が、代わりに女の霊を鎮めるために作ったものだと言われている」

「それがわたしに何の関係があるの?」

「君はその女の生まれ変わり、とうちのばあ様が言っていた」

 イザベルが鼻で笑った。

「まあ、輪廻転生など私も信じていなかったが、ばあ様がいうように世界の破滅へと向かっているのを目の当たりにすると信じるしかないがね」

 タクシーを降り、暗闇の森を進んでいく。イザベルは物珍しそうに周囲を見回しながら古藤の後につづく。

 小高い丘の頂上に小さな祠があった。

「ここが?」

 イザベルが訊いた。

「そうらしいな」

「なぜここへ連れてきたの?」

「さあ……君があまりにあっけなかったから、拍子抜けしたようだ」

「どういうこと?」

「俺は、君が日本に来た時に殺すために、その使命にすべてを捧げて生きてきた。しかし、いざ君と対峙したらその気が失せた」

「なぜ?」

「君があまりに孤独だったから」

「……」

 暗闇の中、二人は見つめあっていた。


 ベッドから出た古藤は裸のまま、窓辺に立った。

 月明かりが、ガラスに反射した古藤の体を映し出す。七十を越えたの老人の思えないほど鍛え抜かれた肉体に黒い刺青が体中に刻まれている。特に胸の中心の円の中に彫られた目を閉じた老人の顔は印象的だ。

 ベッドでは裸のイザベルが子供のように寝息をたてて眠っている。

 そのとき、胸の刺青の老人の目がカッと見開いた。

 次の瞬間、ガラス窓に数発の銃弾が撃ち込まれ、ヒビが入った。上からロープを伝い、ガラス戸を打ち破って部屋に数人の黒ずくめの者たちが侵入してきた。

 古藤はとっさにイザベルの方へ走っていくが、それより先にマシンガンが連射され、古藤の体を引き裂いていく。イザベルは銃声に目を覚まし、目の前の古藤に手を差し伸べるが、手が届く前に無数の銃弾を浴びて、ベッドの上に突っ伏したまま動かなくなった。

「……イ……ザ……ベ……ル……や……め……」

 古藤は最期の力を振り絞り、言葉を紡ごうとする。だが、銃声が轟き、古藤に止めをさした。

 うつろな目で、古藤の命が潰えたことを知り、イザベルは目を見開き、起き上がろうとした。そこへ四方から悪意の咆哮が向けられ、イザベルの体は無残に打ち砕かれていく……。

「作戦完了。危険は排除しました」

 黒ずくめの者が無線で報告を入れる。

「ご苦労。これで国は守られた」

 無線から声が返ってくる。


 *       *       *


 丘の上に小さな祠があり、青く白い小さな花が一面に咲いている。

 そこに二人の若い男女が手をつなぎ上ってきた。

「まあ、綺麗。それにいい匂い。昔の人はこの花をって呼んでいたのよ」

 女の方がうっとりした顔をしていう。

「今でも幸福の花じゃないか。だって、ここにしか花なんて咲いてないんだもの」

 男がいって、二人は祠の先から下界を見た。そこには一面の荒野と灰色の空が広がっていた。

                                     🈡

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恐ハラ(こわはら)悪意と呪い kitajin @kitajin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ