第29話 目の奥の崩壊




 荒野にそびえる白亜の巨大建造物。

 通称、huge eyes(巨大な目)の名が示すように、建物の最上部がピラミッド型になっていて、その四面に目のような楕円形の中に円が象られてれている。

 周囲に高い建物がないためか、一際、威圧感を与えるその建物は、その国の最高指導者の権力の象徴であった。

 巨大建造物の下には、取り囲むように様々な建物があり、国家の機能が集約された施設が形成されていた。

 荒野を貫く鉄道が一番身近な都市と繋がっており、都市から通勤してくる国家公務員も多い。彼らは列車の終着駅であるこの駅へ降りて、いくつもの検問を通って各部署に出勤する。

 その中の一人、イアン・グルドゥムスは、huge eyes(巨大な目)の地階で生化学の研究をしている研究員である。

 いつものようにIⅮを差し込んで研究室内部に入ると、同僚のアルフニコスが腕を組み、難しい顔をしてPCの画面を睨んでいた。

「おはよう、アルフ。……どうしたんだい?」

「ああ、イアンか。どうやら変異種が出たようだ」

「本当か?」

 イアンはアルフニコスの見ている画面を覗いた。そこには数匹のチンパンジーが映っていて、静止画のように止まっていた。

「ここからだ、見ていろよ」

 すると、画面の中のチンパンジーが突然、暴れだし、互いを攻撃しあう。それは攻撃されることを恐れない激しいもので、自分が傷つくのもいとわず相手に牙をむく。

 攻撃しあう四匹のチンパンジーに離れて、一匹だけ止まったままのチンパンジーがいた。そのチンパンジーの口元がわずかに動いているようにイアンには見えた。

「……」

 すると、画面の中の攻撃してあっているチンパンジーの動きが止まった。そして、隅にいるチンパンジーの方を見たかと思うと、全身を震わせて、四匹すべてが、コテッと倒れた。

 アルフニコスはキーボードをたたいて、別の画面を映す。そこには防護服を着た者たちがチンパンジーを回収していた。

「五匹すべて解剖室に運ばれる」

「そうか、分かった」

 イアンは唇を引き締め、うなずいた。

 彼らの研究は主に脳科学の分野で、最近、発見された感情を激情させる物質の臨床実験している。

 通常、人間の怒りとは、脳にノルアドレナリンが大量に分泌され、主に大脳辺縁系が怒りの感情を奮い立たせ、血液を大量に送り、筋肉の動きを活発にする。動物の場合は攻撃に任せるが、人間の場合は前頭前皮質によってそれを抑制している。これが理性といわれるものだ。

 しかし、新しく発見されたこの物質は、前頭前皮質の働きを弱め、大脳辺縁系の活動を強くする働きをすることで、攻撃性が強まり、相手を限界まで攻撃し続ける。

 更に驚くことにその物質を出した個体がいると、別の個体もそれに反応するように脳内でその物質を生成することが分かってきた。つまり、ある個体がその物質を発すると、他の個体も共鳴するようにその物質を脳内で生成することのだ。

 これは集団ヒステリーのように一定空間にいる者同士が、同じようなパニック症状になるようなものだった。しかも、集団ヒステリーよりも強力な攻撃性を伴い、脳を支配する。

 現在の研究では、異種間の影響は確認されておらず、高度な知能を持つものに強く影響が出る。人間同士の接触が一番、影響が出やすいことがわかっていたが、チンパンジーの実験でも似たような結果が出ることが判明した。

 そして、この日、さらなる変化が起こったのだった。

 イアンたちは、死亡した五体のチンパンジーを開頭して脳の状態を調べる。

「やはり、脳がクモ膜下出血を起こしている」

 防護服を身に纏い、解剖していたアルフニコスがつぶやいた。

「人間と同じか……」

 イアンが、一匹だけ攻撃性を示さなかったチンパンジーの開頭していた。

「うっ……」

 脳を見てうなり声を上げた。このチンパンジーの脳には、激しい萎縮が見られた。

「どういうことだと思う?」

 解剖を終えたアルフニコスはイアンに意見を求めた。

「わからん……しかし、あのサルの脳は、重さも表面積も他のサルの脳と変わっていない。つまり、萎縮したのではなく、収縮したんだ」

「あの女のMRIと同じということか……」

 イアンはコクリとうなずいた。

「これであの女の秘密を解き明かすことができるかもしれん。多くの人々を救っ」

「おいっ」

 アルフニコスが周囲を見回す。

「余計なことを口にするな。我々だって決してセーフティーではないんだぞ」

「わかっている」

「それにお前は家族を人質に取られているのも同様だろう?」

「……」

 イアンは唇を噛み締めた。


 huge eyes(巨大な目)の最上部は、国の最高指導者、総統と呼ばれるコトリノフの居住空間となっていた。

 彼はこの国を一望できる最上階を気に入っており、この部屋から外へ一歩も出ようとしない。それは、彼のことをつけ狙う反勢力を退ける目的でもある。

「そうか、ついにあの女の謎が解けそうか」

 コトリノフは二重顎をダブつかせながら、分厚いステーキにかぶりつき、油を口の周りにつけ微笑んだ。

「はい。これが進めば、全世界にをばら撒けるはずです」

「そののちに、我が国が世界を掌中にする」

 部屋の両角には、数十人の色とりどりのドレスを着た美女たちが控えている。

 彼女たちは総統の「doll」と呼ばれ、国中から連れてこられた選りすぐりの美女たちである。

「コーラ」

 料理を片付けさせ、コトリノフは美女たちの中から一人を呼んだ。

 金髪の長い髪をしたまだあどけなさが残る、雪のように白い肌の女性が一歩前に出た。

 コトリノフが合う図を送ると、お付きの軍人のような男が車椅子を押して部屋を出ていく。その後をコーラがついていく。

「先の戦争で、大国といわれた国々は自ら作った核兵器で自滅したが、我らのような小国がこれから世界を支配していくには、まだまだ滅ぼさないといけない国が残っている……」

 コトリノフは独り言のようにつぶやきながら運ばれていく。

「あの女はもう日本についたころだな?」

「……間もなく、連絡が入ると思います」

 車椅子を押しながら、軍人のような屈強な男が答える。

 ドマルコ・コトリノフ三世は代々この国を支配してきた家系の正統継承者である。名君だった父が死に、彼の代に変わった途端、独裁政治が始まり、国民は貧困にあえいだ。

 彼は軍事力を誇示することで強国に渡り合おうとしたが、大国には、稚児の戯れ程度にしか捉えられていなかった。

 ところが、彼の母親が密かに探していた人物の発見により事態は一変する。

 世界に悪意をばら撒くことができるできる人間……。コトリノフの母親がなぜ、イザベルの存在を知っていたのか?

 それは彼女が日本人であり、生家は代々、祈祷師の家系であったからだ。特に祖母の霊力は群を抜いており、孫が生まれたとき、この子は将来、世界を制する王を産むといった。そのためには、「呪いの子を探せ」と母親に告げたという。

 そして、イザベルを探し出し、彼女の力によって世界は統制を失い、破滅へと向っている。

 コトリノフは母が昨年、崩御ほうぎょしたことにより、ついに母の生まれ故郷である日本に攻撃を加えることを許可した。

「もうよい」

 コトリノフは大きな扉の前で止めた。

 軍人のような男が一礼して去っていく。すると、扉は自動で開き、入れ替わるようにコーラがコトリノフを押して部屋に入る。

「コーラよ、今宵もお前の乱れた姿態を見せておくれ」

 コーラ・グルドゥムスが来てからというもの、コトリノフは彼女をお気に入りにしていた。二人が入って行くと、ゆっくりと扉が閉じる。


 近頃のコトリノフは平常心を装っていたが、内心ひどく疑心暗鬼になっていた。

 先日のイザベルの誘拐事件の責任を取らされ、要塞の警備に当たっていた者全員を処刑した。

 警備も徹底しており、自分に近づく者を限定して、huge eyes(巨大な目)の最上階に来るものは、たとえどんな些細な物でも徹底して調べてさせている。無論、dollたちも例外ではなく、家族、親戚、今まで出会ったすべての人間を調査され、彼女たちの行動は逐一監視されている。

 コーラの兄が、下の研究所の研究員だということも、彼がイザベルの能力の研究をしていることも当然、上層部は分かっている。そして、イザベルの能力が世界を滅ぼす力で、それを研究する者もまた同等の危険人物として監視されている。

 たとえ、イアンたちが自らを発信者として国民全体に殺し合いをさせても、国民がいなくなるまで総統はhuge eyes(巨大な目)の最上階で数か月は悠々と生きていられる。

 それにhuge eyes(巨大な目)全体に脳内物質を伝播させても、最上階に到達する前に、総統は下との経路を遮断して難を逃れるだろう。つまり、どう足搔こうが、コトリノフを殺害することは困難であった。

 そんな中、イアンが自宅のアパートで死体となって発見された。死因はクモ膜下出血。

 特別に、兄の葬儀に出席することが許されたコーラは、監視付きだが久しぶりに下界に降りることを許された。

 教会で、兄の同僚アルフニコスにお悔やみの言葉を交わした。

「これだけは知っていてほしい。君の兄さんは毎日、君のことを話してくれた。本当に愛していたんだ。……そして、君に後を託すと言っていた」

 アルフニコスの目の奥に何かを感じ取ったコーラは、小さくうなずいた。

 その後、コーラは何重ものセキュリティーを通り、huge eyes(巨大な目)の最上階へと戻った。

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