250話目 渡せないチョコ

 2月14日、バレンタイン。


 早朝に起きて、愛に塩せんべいを、純にチョコを作った。


 偽の恋人をしている恋と剣の分も……2人のチョコを作ることに違和感がある。


 ただ、チョコを作るだけだと言い聞かせて、恋と剣の分のチョコを作った。


「こうちゃん。おはよう」


 7時に愛の家に行き玄関を開く。


 いつも通り愛が抱き着いてくる。


 でも、いつもと違う所もある。


 愛の顔色が悪いことと、廊下にチョコの匂いが充満していること。


「らぶちゃん大丈夫?」

「……大丈夫だよ。こうちゃんにチョコあげる」


 震えた手で愛はピンクのラッピングをされた箱を渡してくる。


 全ての状況を理解した。


 愛は甘い匂いを少し嗅ぐだけで吐いてしまう。


 そんな愛が僕のために吐き気を我慢して、チョコを作ってくれた。


 初めてもらった愛からのチョコは家宝にしよう。


「僕からもあげるよ」

「やったー。塩せんべ」


 涙目になった愛は口を手で押える。


 床に鞄とチョコを置いて、愛を抱きかかえてトイレに向かった。


 数分間愛は吐き続けてぐったりとしているから、ソファに休ませて純を迎えに行く。


 純の家からもチョコの匂いがした。


 純も僕にチョコを作ってくれているのか?


 そんな期待をして、リビングに入るとエプロン姿の純がチョコをラッピングしていた。


「こうちゃんにあげる」


 僕に気づいた純は急いでラッピングを完成させて、僕に渡してくれた。


「こうちゃん、いつもありがとう」


 大好きな幼馴染2人から初めてのバレンタインをもらって、テンションが上がり過ぎてじっとしていられない。


 よし、純を甘やかそう。


「じゅんちゃんにチョコを作ってきたんだけど食べる?」

「おう。ありがとう」

「僕が食べさせてあげるね」


 チョコを1つ摑んで純の口の中に入れる。


「こうちゃんのチョコ美味しい。あーん」


 数秒もかからず、大目に作ったチョコは全てなくなった。


 物足りなかったのか、自分が作ったチョコの箱を見ている。


「じゅんちゃんからもらったチョコ食べていい?」

「おう。食べていい」

「半分食べない? じゅんちゃんと一緒に食べた方が美味しいから」

「ありがとう。私がこうちゃんに食べさせる。あーん」


 純に食べさせてもらったチョコは、今まで食べたどんなチョコより甘かった。


 それから交代交替でチョコがなくなるまで食べさせ合った。


 僕達は愛の家に行き、愛に近づくと盛大に吐く。


 チョコの匂いが染みついていることを、浮かれていて忘れていた。



★★★



 登校してからもそうだったけど、1時間目が終わってからも女子同士でチョコを渡す姿が目立っている。


 その光景に癒されつつ、鞄の中に入れている恋にあげるチョコの箱を見る。


 上靴に履き替えている時に、恋が階段を上っていた。


 走ってチョコを渡そうとしたけどできなかった。


 その理由を考えようとしていると恋がやってくる。


「れんちゃんだ! どうしたの?」


 愛は恋に抱き着きながら話しかける。


「……百合中君に渡したいものあってきたよ」

「そっか! それならこうちゃんとれんちゃんいってらっしゃい!」


 愛は恋から下りて、僕と恋の背中を押して廊下に出す。


 無言で歩く恋について行く。


 この階の1番端の空き教室に着いた。


 教室に入ってすぐに、恋は手提げ袋からハートの形の箱を出して渡してきた。


「……料理もまともに作れないのに、お菓子作りなんて自信はないけど……愛情はたくさん込めて作ったから食べてほしい」

「ありがとう。今食べるよ」

「今食べるの⁉」


 目を見開きながら大声を出す恋。


「今食べない方がいい?」

「…………食べてほしい」


 苦虫を噛み潰したような顔をされると食べにくいな。


 近くにある椅子に座ると、恋は僕から少し間を空けて座る。


 箱を開けると、歪な形のハートのチョコが数個入っている。


「やっぱり市販の方がいいよね? これはあたしが食べるから」


 そう言いながら恋は手提げ袋から箱を取り出しけど、手作りチョコを口に入れる。


 僕のために作ってくれたことが嬉しかったから食べずにはいられない。


 苦過ぎて思わず吐き出しそうになるのを飲み込む。


 ここまで苦ければ愛も食べられそうだな。


「材料は何を使ったの?」

「カカオ90パーセントのチョコ使ったよ。それを溶かして固めたんだけど駄目だった?」


 苦くて食べにくいと言いたいけど、今は恋と偽の恋人。


 甘やかそう。


「美味しいよ」


 恋は安心したように笑って僕に近づく。


 机に恋の体が当たって、チョコが床に落ちた。


 それを食べようとすると止められる。


「お腹を痛めるかもしれないから、捨てます」

「恋がせっかく作ってくれたから、捨てるのは申し訳ないかな」

「それならあたしが食べます」


 拾ったチョコを口に入れた瞬間、渋い顔をする恋。


「美味しくなりチョコを食べさせてごめん」


 慰めるために頭を撫でようとして……やめた。



★★★



 チョコの匂いに限界がきた恋は、2時間目から保健室で休んでいる。


 昼休みになると、純は女子達に囲まれてチョコを渡される。


 満面の笑みを浮かべている純を置いて、保健室に向かった。


「暇だから話し相手になって」


 保健室に入ろうとしていると、ここの学校の制服を着た眼鏡をかけている鈴木が話しかけてきた。


 無視したら保健室まで入ってきそうだから、嫌々構うことにした。


「百合中はどうしてそんなに苛々しているの?」

「お前に会ったからだよ」

「本当にそれだけ?」

「……お前に答える必要はない」

「恋人ごっこしていることと、関係しているの?」


 嫌な笑みを浮かべて聞いてきた。


「関係ない!」

「大好きな幼馴染以外のことで百合中が動揺するなんて珍しいね」

「動揺なんてしてないよ」

「してるいるよ」

「……」


 はっきりと言い返されて、黙ってしまう。


「百合中は幼馴染にしか興味がないから、ごっこ遊びだとしても恋愛はできない。できないことをしようとすればストレスになるのは当然だろ。だからそのストレスを俺にぶつけてくれ」


 僕の心の中をぐちゃぐちゃにほじくられたみたいで、勢いで殴りたくなる。


「百合中はチョコをもらったの?」

「もらったけど何? お前には関係あるの?」


 苛々して棘のある言い方になってしまう。


「関係はないよ。ただ聞いただけ。そう言えば、百合中は高2まで家庭科部だったよな。チョコは作ったのか?」

「……」

「質問に答えるまでしつこく百合中を追いかけるよ」

「作ったよ」

「作ったけど、幼馴染以外の女子に渡せてないんだよな?」

「なんでそんなことが分かるんだよ⁉」


 驚きのあまり思わず叫んでしまう。


「簡単だよ。バレンタインにチョコを渡すってことは、相手に好意があるってことだろ。その形に見える好意を大好きな幼馴染以外に向けるのが嫌だから渡せないんだよ。百合中はそういう奴だろ」

「……そうかもしれない」


 悔しいけど、鈴木の言葉を素直に受け止めってしまった。


 恋と剣のことは好きだけど、恋愛感情はないと改めて自覚した。


 鈴木に対して苛々していた気持ちがなくなる。


 お礼を言うと罵倒してほしいと言ってきた。


 意地悪で「ありがとう」を連呼すると、鈴木は逃げた。



★★★



 放課後、空き教室で恋に偽の恋人をやめたいと口にしようとして……黙ってしまう。


 恋は出入口の方に視線を向ける。


「……用事があるから帰るね」


 部屋を出て行こうとする恋の手を摑む。


「話したいことがあるから待ってほしい」

「……うん」

「……」


 偽の恋人をやめたいと言うだけなのに、それが口から出てこない。


「らぶちゃんからこうちゃんの手作りの塩せんべいが美味しいって聞いたよ。あたしも食べてみたいな」

「恋さんのはチョコを作ったよ」


 言うつもりなかったけど、反射的に答えてしまった。


「くれるの?」

「……ごめん、渡したくない」

「……残念だな」


 恋は少し俯きながら呟く。


「僕達がしている偽の恋人をやめたい」

「……どうして?」


 恋は1滴の涙を流す。


「恋と偽の恋人を続けていても、らぶちゃんとじゅんちゃんより恋を好きになれる気がしないから」


 手で涙を拭う恋。


「頑張って百合中君をほれさせるから、それまで偽の恋人を続けてほしい!」


 これ以上恋を傷つけたくない。


 でも、偽の恋人を続けて無駄に期待をさせれば、今以上に傷つく可能性が高い。


「どうやって僕を惚れさせるの?」

「……今は思いつかないけど、それでも全てを捨ても百合中君に尽くすから偽の恋人を続けてほしい」

「恋さんにチョコを渡そうとすると胸が苦しくなる。恋愛的感情で緊張しているのではなくて、らぶちゃんとじゅんちゃん以外に好きって気持ちを伝えるのが嫌だからだと思う」

「……それでもあたしは…………苦しめてごめんね……偽物で恋人になってくれて……嬉しかったよ」


 引き攣った笑顔を浮かべた恋は教室から走って去る。


 金縛りになったように体が動かくなって、頬を伝う涙の感触がした。




 1人になりたい気分だったから、愛と純には先に家に帰ってもらった。


 学校を出ると、外が薄暗い。


 校門にフリルがたくさんついた赤のゴスロリの服を着た剣がいた。


「よかったら食べてください」


 手を震わせながら、細長い箱を渡してきた。


 さっきの恋の泣き顔を思い出す。


 受け取れないと言おうとして、ありがとうと言ってしまう。


 学校の中庭にあるベンチに座って剣のチョコを食べる。


 シンプルな味だったけど、形がハートや色々な動物の形があって目で楽しめた。


 出会った頃より凄く上達している。


「百合中君にもう1つチョコを用意しています。……食べてください」


 僕が箱に入ったチョコを食べ終わると、剣は口紅を塗って唇を突き出してきた。


「……ここにあるチョコを……食べてください」


 剣は茶色くなった自分の唇を指でつついた。


 全身を震わせているから、緊張していることが伝わってくる。


「キスをすることはできないよ」

「……恋人ならキスをしますよ」

「僕と剣は偽の恋人だからしないよ。それに……偽の恋人もやめたい」

「わたしに駄目な所あるなら直します……だから、偽の恋人でいてほしいです」

「剣に直してほしい所は何もないよ。これ以上らぶちゃんとじゅんちゃんじゃない女子に、好きを伝えることをしたくない僕の我儘だから……ごめん」

「…………わたしの、ことを、嫌いって、言って、ください。そうすれば、百合中、君、を諦めることが、できると、思います」


 泣きじゃくりながら俯く剣。


「分かったよ。僕は剣のことがき…………」

「やっぱり言ってほしくないです」


 涙を零しながら剣は去って行く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る