246話目 忘れたくても忘れることができない男

「クレープ屋に行かない?」

「昨日も行ったから、行かないよ」

「行こうよ! 今カップル限定商品があるから安いよ!」

「わたしとナギサはカップルじゃないでしょ」

「いいじゃん! カップルってことにして! なんなら、キスだってするよ!」


 鞄を持って立ち上がっていると、近くから百合な会話が聞こえてきた。


 純は最近僕が奢ることに遠慮している。


 安くなっていることを理由にすれば奢れるな。


「学校の近くのクレープ屋で割引しているから、一緒に食べに行かない?」


 そんなことを考えていると、教室に入ってきて恋が声をかけてきた。


「キョウハヨウジガアルカラ、サキニカエルネ」

「ラブモヨウジアルカラ、カエル!」


 純につられて愛も片言で喋って教室から出て行く。


 純と愛は恋に気を遣って先に帰ったんだな……純とクレープ屋に行きたかった。


 いいよと答えて、恋と一緒に教室を出る。


 靴箱に着くと、外を凝視していた恋が言う。


「裏から帰ろうよ」

「この学校は正門からしか出入口がないよ」

「そうだったね。なら、クレープ屋まで走って行こう」


 恋が走り出したから後を追う。


「急いでどこに行くんですか?」


 校門の所で、まだ制服姿の剣が話しかけてきたから立ち止まる。


「今から恋さんとクレープを食べに行くから剣もくる?」

「行きます」


 剣が僕の手を握る。


 前を歩いて恋が戻ってきて、空いている僕の手を握る。


「おい! あそこを見ろ! 神様が美女2人と手を繋いで歩いているぞ!」

「俺達にできないことを平然としている! そこに痺れる! 憧れる!」

「羨ましいけど、神様なら仕方ないと嫉妬せずにすむよ」


 僕達を見ながら、男子が口々に言った。


 恋と剣の顔を改めて見る。


 2人とも整った顔をしているから、男子に人気があるんだな。


 クレープ屋に着く。


 バランタイン先取りカップルフェアと、でかでかとホワイトボードにそう書かれていた。


「お客様は何名でしょうか?」

「「2名です」」


 店から出てきた店員は僕に聞いたけど、恋と剣は僕と繋いでいる手を上げながら答えた。


 店員が困っている。


 3名と言って席に案内してもらう。


 椅子に座ると、僕の隣の席を摑んで火花を散らす恋と剣。


 店員がきて、3人並んで座れるようにしてくれた。


「彼氏はこちらにどうぞ」


 真中の席に向かって店員が手を向ける。


 彼氏ではないと言いそうになったけど、今は恋と剣の偽の彼氏だから黙って座る。


 火花を散らしながら恋と剣は僕の両隣に座る。


 メニュー表を見る。


 1番前のページに、カップル限定商品が載っていた。


「「これをください」」


 恋と剣は前の席の片付けをしていた店員に注文した。


「何人前でよろしいでしょうか?」

「「1人前でお願いします」」

「……」


 困った目で店員に見られたから、2人前を頼む。


 少しして、テーブルに大きなハートの形のクレープと、スプーン2つが置かれる。


「1つスプーンが足りないです」

「この商品はカップルで食べさせ合うものです。必要であれば、もう1つスプーン持ってきましょうか?」

「「必要ないです」」


 恋と剣が即座に断ると、「分かりました」と苦笑いを浮かべながら店員は去る。


 2人はスプーンでクレープを掬って、無言の圧力を放ちながら僕の方に向ける。


「やっぱりスプーンもらおうか?」

「じゃんけんでどちらが先に百合中君に食べさせるか決めない?」

「いいですよ」


 僕の話を流した2人は、じゃんけんを始めた。


 何度しても相子になって勝負がつかない。


「2人同時に食べさせて」


 口を大きく開くと、剣と恋は喜々としてクレープを僕の口の中に入れた。


 2人は1口も食べずに、4人前ぐらいあるクレープを僕だけに食べさせた。


 味が濃かったから、大量の水を飲んで……気持ち悪い。


 早足でトイレに行く。


 トイレから出ると、恋と剣が3人の男に囲まれていた。


 ……理由は分からないけど、苛々する。


「おまたせ。行こうか」


 恋と剣に話しかける。


 2人は安心したように表情を緩ませる。


 恋と剣の手を握ろうとすると、男Aが阻む。


「お前はこの女達の何なの?」

「彼氏だけど」


 偽とわざわざ言う必要がないから伏せておく。


「2人と付き合っているのか?」

「そうだよ」

「二股するような最低な男より、俺達の方が大切にできるから俺達と遊びに行こうぜ」


 男Aが恋の肩に触れようとして、その手を剣が払う。


「なんだよ! お前!」

「……」


 男Aに叫ばれた剣は俯く。


「わたしとこの人は百合中君のことが大好きだからほっといて!」


 恋は剣の震えている手を優しく握って、男Aを睨む。


「ふざけんなよ! 無理矢理でもお前たちを連れて行っ」


 男Aを突き飛ばして、恋と剣の手を握る。


「2人に何かしたら、許さない」


 自然とそんな言葉が出た。


 男Aが僕の胸倉を摑む。


「お前殺す!」

「警察ですか! 今すぐきてください! 場所は」


 近くの女性が警察に通報する。


 男達は素早く店から出て行った。


 怯えている2人が落ち着くまで頭を撫で続けた。



★★★



 剣を駅に、恋を家に送ってから、学校の近くを通る。


 忘れたくても忘れることができない男がいた。


 中学が同じで純にトラウマを植え付けた、絶対に許すことができない男子こと鈴木。


 憎しみの対象でしかない。


 顔を見ただけでぶん殴りたくなる。


 でも、鈴木はドMだから関わらないほうがいい。


「今から遊ぼう」


 無視して通り過ぎようとすると、行き先を阻みながら声をかけてくる。


「遊んでくれなかったら、家までついて行くよ」

「うざいな」

「ありがとう! もっと言ってほしい!」


 鈴木は足が速いからまくことはできない。


 家についてこられるのは絶対に嫌。


 愛の家で純も一緒に晩飯を食べると、愛からランイがきている。


 愛との勉強タイムの21時までに帰ればいいな。


 仕方なく鈴木と遊ぶことにした。


「隣町のゲーセンに行こうぜ」

「そんな時間はないから嫌。この町でできることにして」

「この町で遊ぶ場所なんてない」

「解散するしかないね。ばいばい」

「冷たくされるのは気持ちいい!」


 その発言にドン引きして、本気で家に帰りたい。


「暗闇の中でも百合中が虫を見るような目で俺を見ているのが分かる! もっと俺をその目で見てくれ!」


 家に向かって歩いていると、前に回り込まれる。


「俺の家で遊ぶのはどう?」

「行きたくない」

「それなら、百合中の家でもいいよ。むしろ、行ってみたい!」


 純に鈴木を絶対に会わせたくない。


 仕方なく鈴木の家に行くことにした。


 学校から20分ぐらい歩いて、鳳凰院の家と同じぐらいの豪邸の前で鈴木が立ち止まる。


 門のインターホンを押して俺だと鈴木が言うと、門が開いて鈴木が中に入る。


 道中、わざと僕を怒らせようと鈴木がしてきたから、今の時点で大分疲れている。


 嫌々、鈴木の後を追う。


 玄関にメイド服を着た女性がいた。


 その女性に2階の1番端の部屋に案内される。


 案内された部屋はサンドバッグやリングがあって、漫画とかで見るボクシングジムみたいになっている。


「上がってきて」


 リングに上がった鈴木は、ボクシンググローブを投げてきた。


 どうにか受け取る。


 鈴木に命令されるのは腹立つな。


 そう思いながら、グローブをつけてリングに立つ。


 ボクシングミットをつけた鈴木は、僕の方にミットを向けてきたから殴る。


「殴っていいよって言ってないのに殴るとか、やっぱり百合中はドSの才能あるよ!」


 腹立つ笑顔を浮かべている鈴木に連打する。


 数分で体力の限界がきて、その場で座り込む。


 何で、鈴木はミット打ちを始める前より元気なんだ?


 変態だからか。


 スマホで時間を見る。


 20時を過ぎていた。


「帰るよ」

「最後に、本気で殴ってほしい」


 鈴木は腹立つけど、ミット打ちをしてすっきりした。


 要望に応えよう。


 腕を思いっ切り後ろに引いて放とうとしていると、鈴木が言う。


「小泉純の鋭い目つきが忘れることができないから、小泉家に今から行こうかな」


 本気の苛ついた気持ちを拳に乗せると、拳がミットを貫いて鈴木の顔面に当たる。


 鼻血を出した鈴木は満面の笑みを浮かべていた。


 鈴木の家を出ると、後ろから鈴木がついてくる。


 学校の校門前についても、鈴木は帰ろうとしないから立ち止まる。


「付き合わないか?」


 嫌な笑みを浮かべた鈴木が聞いてくる。


「僕は男子に興味なんてない! 気持ち悪いから消えて!」

「俺も男には興味ないよ!」


 楽しそうにスキップをしながら言われても説得力がない。


「いや、百合中なら男でもいいかな」


 攻撃しても喜ぶだけと知っていても殴りたい。


「俺が小泉を好きだったのは鋭い目つきもそうだけど、周りにいる人間を傷つけそうな狂気を感じたから。でも、百合中や矢追が近くにいると、その魅力はなくなる」


 だから、鈴木は純の前で僕と愛を傷つけて、純を孤立させようとしたと後付けした。


「大切なものができると、人は暴力を振ることに躊躇するようになる。でも、幸は違った! 大切な人を守るために一瞬も迷わずに俺を殴った‼ ナイフを持った俺を‼」


 耳障りなぐらい鈴木は叫ぶ。


「いや、そうじゃない。大切なものがあるから暴力を振るえなくなるのではなくて、大切なものが多いから暴力を振るえなくなる。多くのものを守ろうとすれば保身的になるのは当たり前だな。守りたいものが1つの幸だからこそ、誰よりも強さを持っている」


 1人で納得したようにうんうんと頷く鈴木。


「その強さで俺を無茶口にしてくれ!」


 襲い掛かってくる鈴木を避ける。


「その考えは間違っているよ。僕には大切な人は2人いる」

「小泉と矢追のことだね。百合中からしたらどちらも欠けてはならない存在。なら、1つに計算してもいいだろ?」


 納得したけど、悔しいので返事しない。


「もう帰るよ」

「分かった」


 ここまでしつこくしてきたのに、あっさりと引いたことに拍子抜けする。


 前に進んで何度か後ろを振り向いても、鈴木はついてこない。


「恋人ごっこをして腑抜けにならなくてよかったよ」


 後ろから小さな声がしたけど、鈴木のことだから気にならない。

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