245話目 偽物の恋人

 昨日は愛と気軽に話せなかったから、今日はとことん話す。


 いつもより早めに家を出て、愛を迎えに行く。


 愛の家の玄関のドアを開くと、愛が抱き着いてきたので受け止める。


「こうちゃん! 聞いて! 聞いて! いいこと思いつたいよ!」

「いいことって何?」

「れんちゃんと剣もこうちゃんの幼馴染になれば、らぶとじゅんちゃんみたいにこうちゃんともっと仲良しになれるよ!」

「子どもの頃から一緒じゃないと幼馴染にはなれないよ」

「幼馴染が無理なら恋人になればいいよ!」

「恋さんと剣のことは好きだけど、恋愛としての好きじゃないから無理かな」

「そうなんだね! 他にれんちゃんと剣がこうちゃんともっと仲良くなる方法はないかな?」


 愛は頭を左右に傾けながら、うんうんと唸り始めた。


 少しして、快活な笑顔を浮かべた愛は言う。


「本物じゃなくて偽物の恋人になればいいよ! 偽物の恋人になったら、本物の恋人になれるかもしれないよ!」


 偽物に恋人になったら、本物の恋人になれるかもしれない?


 愛の言っていることを反芻してもよく分からない。


「愛ちゃんが言いたいのは、友達から恋人に関係を変えたら相手の今まで知らなかった所が見えて好きになるかもしれないってことよね?」

「そうだよ! らぶはそれが言いたかったよ!」


 やってきた琴絵さんが説明してくれた。


 愛の言いたいことは理解できた。


 理解できたけど関係を変えた所で、恋と剣に恋愛感情を抱けるとは思えない。


 でも、愛の意見を否定することもできない。


「恋と剣に聞いて2人がしたいって言ったら、偽物の恋人をするよ」

「今すぐ剣に聞きに行こう!」


 愛は僕の手を引っ張って、僕の家に入り2階に上る。


 母の部屋のドアを勢いよく開けて、寝ている剣の上に乗る。


「剣起きて!」

「え⁉」


 剣は飛び起きて、愛がベッドの下に落ちようになったからキャッチする。


「剣付き合おう!」

「……百合中君が喜ぶならそれもいいかもしれないですね」


 僕の方を見ながら独り言のように呟く剣。


「やったー! これで、こうちゃんと剣はカップルだね! 後は若い2人に任せるよ!」


 僕と剣の手を繋がせた愛は、満足そうな笑顔を浮かべる。


 部屋から出て行こうとした愛は立ち止まる。


「らぶはじゅんちゃんと学校に行くから、こうちゃんは剣と一緒に学校に行ってね!」


 今度こそ部屋から出て行く愛。


「……わたしは矢追さんに告白されて、付き合うのを了承したのにどうして百合中くんと付き合うことになっているんですか? 嬉しいですけど」


 さっき愛とした会話の内容を説明する。


「百合中君はわたしと偽物の恋人になるのは嫌じゃないですか?」

「嫌じゃないよ」

「……わたしは百合中君と、偽物でも恋人になりたいです」


 繋いでいる僕の手を少し強く握った。


 剣から手を離す。


 名残惜しそうに顔で見てくる。


「……もう少し手を繋いでいたいです。駄目ですか?」

「そろそろ学校に行かないと遅刻するから、また今度繋ごう」

「今日、学校までついて行っていいですか?」

「らぶちゃんがそんなことを言っていたね。でも、私服姿で登校したら目立つと思うよ」

「準備しているので大丈夫です。ここで、少し待っていてください」


 部屋を出て行った剣は数分して、僕が通っている坂上高校の制服を着て戻ってきた。


「おばさんが調子にのってごめんなさい」


 すぐに廊下に引っ込み、顔だけを出して言った。


「1個しか年齢が違うから気にしなくていいよ」

「……その1個が大きいと思います」

「久しぶりに見る剣の制服姿は可愛いと思うよ」


 ゆっくり僕の前にやってくる剣。


「……ありがとうございます」


 剣が僕の方に手を差し出す。


「……手を繋いで学校に行くのは駄目ですか?」


 いいよと答えて、手を繋ぐ。


 家から出る。


 剣は周りを見渡すだけで、動こうとしない。


 学校に向かって引っ張る。


「やっぱりわたしの制服姿おかしくないですか? 誰かに笑われないですか?」

「おかしくもないし、笑われないから」

「……可愛いですか?」

「うん。可愛いよ」

「……ありがとうございます」


 そんな会話を剣としていると、周りの学生から噂話が聞こえてくる。


 とうとう神にも春がきたと。


 拝んでくる学生もいた。


 学校に着き、剣から手を離そうとするけど離してくれない。


「……もう少し、このままでいいですか?」

「チャイムが鳴るまではいいよ」

「……」

「……」


 特に喋ることがなく校門の前で立っているだけなのに剣は笑顔。


 今の時間が嫌じゃない。


 僕も無理に話しかけない。


 学校のチャイムが鳴る。


 僕を摑んでいる剣の手が緩んで、すぐに強く握り締めてくる。


「遅刻するから放してほしい」

「……」


 返事しない剣の視線の先を見ると、靴箱の所に恋がいた。


 剣は僕の方に顔を向けて、目を瞑って口を窄める。


「恋人じゃないからキスはできないよ」

「恋人ですよ……偽物ですけど」


 顔が少しずつ近づいてくる。


「エッチなのは駄目だよ‼」


 愛が抱き着いてきた。


 愛の後ろには純もいた。


「初めてのキスは結婚式で誓いのキスをする時だよ!」


 愛の言葉にそうだねと答えて、剣から手を離す。


 幼馴染達と学校の中に入った。


 靴箱の所で恋はまだいて、僕の手を摑み1階の空き教室に向かって歩く。


「音倉さんとどうして……キスをしようとしたの?」


 空き教室に入ってすぐに、恋は聞いてきた。


 愛の案で剣と偽の恋人になったことを話す。


「あたしも百合中君と偽の恋人になれる?」

「恋さんがよければ」

「百合中君と恋人になれるなら偽物でもなるよ。……百合中君、キスしていい?」

「しないよ」

「音倉さんとはしようとしていたよ」

「実際にはしてない」

「らぶちゃんが止めてなかったらしていたよね?」


 図星をつかれて黙る。


 恋が抱き着いてきて、上目遣いで見てくる。


「キスをするまで放さない」


 恋の唇が近づいてきて、息がかかる距離で止まった。


「……百合中君からしてほしい」


 少しでも前に顔を動かせば恋とキスをする。


 でも、顔を動かすことができない。


 初めてのキスで緊張しているのもあるけど、何かが引っかかってできない。


「……あたしからするね」

「お前達授業始まっているのにいちゃつくな!」


 恋と生活指導の男の先生の声が重なる。


 その後、僕と恋は長々と説教を受けた。



★★★



 昼休みになると、愛は教室を出て行き制服姿の剣を連れて戻ってくる。


「なんでここにアイドルのスバルがいるんだ⁉」

「こんなチャンス滅多にないからサインをもらわないと!」

「スバル、めちゃくちゃ可愛い⁉」


 教室が騒がしくなる。


「なんの騒ぎだ?」


 女の担任の先生が教室に入ってきた。


 卒業生の剣が学校にいることを先生が知ったら、ややこしいことになる。


 剣の所に行って手を摑み、屋上に向かって走った。


「後は若い2人に任せるよ!」


 後からやってきた愛はそう言って、屋上から出て行く。


 その台詞を気に入ったのかな。


「矢追さんにランイで呼ばれてきました……急にきて迷惑だったですか?」

「迷惑じゃないよ」

「ありがとうご……弁当を持ってくるのを忘れました」

「僕も弁当ないから、食堂行くけど何か買ってこようか?」

「百合中君を使い走りになんてできません。わたしが買ってきます」

「剣が先生に見つかる危険性があるから僕が行くよ」


 屋上を出ようとすると、上着を摑まれる。


「……1人でいるのは心細いので、一緒にいてほしいです」

「僕はお腹空いてないから食べなくてもいいけど、剣はお腹空いてないの?」

「はい。大丈夫です」


 フェンスの近くに移動して座る。


 剣も後をついてきて、手が振れそうな距離で座る。


 少し疑問に思ったことを口にする。


「今日って木曜で平日だけど、剣は専門学校に行かなくていいの?」

「……駄目です。……百合中君を誰かにとられるのが嫌なのでここにきました」


 剣は昴に可愛い服を作るために、本気で服飾の勉強をしている。


 大切な夢よりも自分を優先してくれたことに、なぜか照れてしまう。


 気恥ずかしさから、剣から顔を逸らす。


「……わたしが学校をずる休みしたから、怒ったんですか?」

「怒ってないよ」

「それならどうして、わたしから顔を逸らすんですか?」

「……」


 照れ顔を見られたくないからなんて言えない。


「こっちを見てください」


 両手で僕の頬を摑み無理矢理、自分の方に顔を向けされる剣。


「百合中君の顔が赤くなっています。……やっぱり怒っているんですね?」

「怒ってない! 剣が自分の夢より僕を優先してくれたことが嬉しくて、照れくさかっただけだよ!」


 剣のしつこさに勢いで、本音を口にした。


 その瞬間、剣は顔を真っ赤にする。


「……百合中君も照れることあるんですね」


 そう呟いた剣は僕の手を握る。


 剣と一緒に呆然としていると、恋がビニール袋をもってやってきた。


 恋は僕と剣の間に手を入れて、剣を横に押しのけて空いた場所に座る。


「アイドルのスバルさんが学校にいるって噂になっていましたけど、音倉さんのことだったんだね。確かに、似ているね」

「影山さんはどうしてここにいるんですか?」

「それはあたしの台詞。卒業生でも許可をもらわずに入ってきたら不法侵入だよ。今すぐ学校から出ていった方がいい」

「昼休みが終わるまでここにいたいです」

「音倉さんと一緒にいる百合中君まで怒られるので駄目」


 恋と剣は睨み合う。


 恋が持っているビニール袋にパンが入っているのが見えた。


「購買でパンを買ってきたから、一緒に食べよう」


 恋は僕の方を向く。


「百合中君、口を開けて。ほら、あーん」


 カレーパンの封を開けて、それを僕に向けてきたから食べる。


「ありがとう。美味しいよ」

「次はあたしが弁当を作ってくるから食べてくれる?」

「肉はきちんと焼いてくれるならいいよ」


 前に作ったカレーのことを思い出して口にする。


「あれから、家で練習しているので大丈夫……たぶん」

「楽しみにしておくよ」


 カレーパンを食べ終えて、新しいパンを取り出そうとしている恋に剣は話しかける。


「影山さん、わたしも百合中君にパンをあーんしたいので、1つください」

「次はどれを食べたい?」


 恋はパンが入った袋を広げて僕に見せてくる。


「無視しないでください」

「購買のカツサンドだけは、この学校で作っていて美味しいって有名だよ。食べてみる?」

「もういいです。食べさせる以外のことをします」


 剣は僕の前に移動してきて、僕の唇に触れる。


「パン屑がとれましたよ」

「……パン屑がつきやすいパン」


 恋はそう呟きながらビニール袋の中を漁る。


 チョコがまぶされたドーナツを取り出して、「これだよ」と恋が言ってすぐにチャイムが鳴る。

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