230話目 幼馴染達との別れ

 暗かったはずの部屋がいつの間にか明るくなっていた。


 昨日の朝、純が愛の唇をペロペロしてから、血走った目が閉じることができなかった。


 目が乾燥して痛いはずだけど、心が弾んでしまう。


 5時30分。


 愛と純は6時に家を出ると言っていた。


 2人に弁当を作る予定だったけど、30分では2人分の弁当を作るのは難しい。


 当分、僕の料理を食べてもらえないから絶対に作ってやる。


 キッチンに早足で向かい調理開始。


 愛の弁当は、おにぎり、青汁入りの卵焼き、豚肉入り野菜炒め。


 純の弁当は、ご飯に子ども用ふりかけ、甘い卵焼き、ハムが入ったポテトサラダ。


 効率よく常に手を動かしていたら、20分ぐらいで料理が完成した。


 弁当箱に詰めていると、母が部屋に入ってきた。


「わたしの弁当を作ってくれているのね。嬉しいわ」


 母の能天気な発言で、愛と純を東京に連れ去っていくことに対しての怒りが再燃した。


「ここにある弁当はらぶちゃんとじゅんちゃんの分だよ」

「母さんには作ってくれないの?」

「作ってないよ」

「らぶちゃんとじゅんちゃんに分けてもらうからいいわ」

「2人から弁当をもらったら、今後一切母さんには料理を作らないから」

「……こうちゃんが作った弁当を食べるのは我慢するわ」


 今にも泣きそうな顔をしていた。


 心の中で舌打ちをしてから、残りものを詰め込んだ弁当を母に渡す。


「こうちゃんは本当にツンデレね」


 苛ついて睨む。


 母は黙って弁当を食べ始めた。


「らぶちゃんとじゅんちゃんと弁当食べてくる」


 時間がまだあるようだから、3人で食べられるな。


 僕用に弁当箱に米を詰めて、その上に梅干しを乗せる。


 3人分の弁当を持って玄関のドアを開ける。


 純は朝が弱い。


 先に愛から迎えに行こうと思っていたけど、純が母の車の前でいた。


 顔を見た瞬間、純を東京に行かせたくない気持ちが跳ね上がる。


 会話をしたら、東京行かないようにと説得しそう。


 アイドルになりたいと夢を邪魔したくない。


 気づかなかった振りをして家に戻るなんて……僕にはそんな選択肢にはない。


「じゅんちゃん、おはよう」

「……」


 視線が合った純は……車の後ろに隠れた。


 いや、純は元々車の後ろにいた。


 純と早く会いたい気持ちが、現実より近くに見せる錯覚を起こさせたのだと自分に言い聞かせる。


「朝ご飯食べた? よかったら3人分の弁当作ったかららぶちゃんの家で食べよう」

「……」


 ……まあ、分かっていたけどね。錯覚じゃないって。


 大好きな幼馴染に避けられると現実逃避もしたくなると、心の中で愚痴る。


 純が愛の唇を舐めてからタガが外れて、それからも百合なことで無茶ぶりをし過ぎたから純は僕のことを嫌ったのかも。


 ぎくしゃくしたまま長い間の別れなんて、絶対にしたくない。


 今すぐに謝らないと。


 ここで許してくれなかったら、ランイや電話を無視されるかもしれない。


 純に限ってそんなこと……ないよね?


 余計なことを考えるくらいなら、純に謝ろう。


「じゅんちゃん、ごめん。昨日の調子にのってごめん」


 頭を深々と下げながら謝る。


 顔だけをおずおずと出す純。


「私は怒ってないよ。こうちゃんの顔を見たら離れることができなくなるから……。私の方こそ隠れてごめん」

「じゅんちゃん! 大好きだよ!」


 逃げられる前に全力疾走をして、純に抱き着く。


 勢いをつけすぎて純を押し倒しそうになった。


 踏ん張って後ろに倒れて頭を打つ。


「こうちゃん、大丈夫?」


 純の手が僕の後頭部に触れる。


 それだけ、打った所の痛みが引いていく。


 心配そうに見ている純の背中をさする。


「大丈夫だよ。じゅんちゃん、おはよう」

「おはよう……ごめん」

「気にしなくていいよ。僕もじゅんちゃんの気持ちが分かるから」

「……こうちゃんとこの町に残る」


 胸にスリスリと頭を擦りつけてくる。


 残ってほしいと言いそうになって、唇を思いっ切り噛む。


 力の加減ができなかったから、血が出てきて鉄の味が口の中に広がる。


「じゅんちゃんが寂しくないように毎日ランイと電話をするよ。それでも我慢できなくなったら、会いに行くから心配しないで」

「2,3日で寂しくなるかもしれない。そうなったら……本当にこうちゃんきてくれる?」

「うん。絶対に行くよ。その前に、僕の限界の方が先にきて、純に言われなくても会いにいくかもしれないけどね」

「……こうちゃん、好き」


 純からの好きは貴重。


 録音しておけばよかったと後悔した。


 僕の胸をクンクンと嗅ぎ始めた純をそのままにしたいけど、3人で弁当を食べる時間がなくなる。


 純に弁当の中にポテトサラダが入っていると言うと、僕の手を摑み愛の家に向かって早足で歩き始めた。


 愛の家は鍵が閉まっていた。


 1度自宅に帰り、預かっている合鍵持ってきて使う。


 リビングに入ると、愛はソファの上に正座して真っ赤な目を見開いていた。


「こうちゃん、じゅんちゃん、おはよう」


 愛は覇気のない声で挨拶してきた。


 僕達は挨拶を返す。


「らぶちゃんの顔色が悪いけどどうしたの? 体調が悪いの? 病院行く?」

「らぶは元……」


 話している途中で、愛は目を瞑って船を漕ぎ始める。


 愛の額に手を当てる。


 熱はなさそう。


 念のために体温計を愛の脇に入れようとすると、擽ったそうに身じろぎをした愛は薄目を開ける。


「こうちゃん、今何時?」

「6時5分だよ」

「東京に行く時間を過ぎているよ! 急いで行かないと!」


 立ち上がった愛はふらついて床に倒れそうになったから支える。


「1人で立てるから離して!」


 愛は生まれたての小鹿のように足を震わせながら言った。


「らぶちゃんは昨日は何時に寝たの?」

「寝ようと思ったけど、じゅんちゃんの手伝いをするのが楽しみ過ぎてずっと起きていたよ!」


 人より1日の睡眠時間が多い愛が寝なかったら、今の状態になるのも納得。


「早くしないと合宿に遅刻するよ!」

「遅刻しないことも大切だけど、らぶちゃんの体の方がもっと大切だから無理して起きないで寝た方がいいよ」

「無理……して……な…………」


 愛の限界がきたのか、全身の力が抜けて寝息を立て始めた。


「じゅんちゃん先に弁当を食べていていいよ」


 差し出した弁当を純はもの欲しそうな顔で喉を鳴らす。


「らぶちゃんと一緒に食べるから我慢する」

「そっか。その方がらぶちゃんも喜ぶよ。らぶちゃんを車に連れて行くから、じゅんちゃんはらぶちゃんの家に鍵を閉めてきてね」

「おう。分かった」


 愛を抱えて外に出る。


 母の車に近づくと、母が運転席に座っていて助手席のドアを開いてくれた。


 助手席の椅子を最大限に倒してそこに愛を寝かす。


 少し遅れてやってきた純は後部座席に乗る。


「じゅんちゃん、いってらっしゃい」


 泣きたい気持ちを我慢して、笑顔を作りながら別れの言葉を口にする。


「……こうちゃん……行ってきます」


 純は泣いていた。


 気づかない振りをする。


 車が動き出した所で、愛が上半身を起こす。


「こうちゃんに伝えることがあったから言うね! 幸ちゃんが寂しくないようにれんちゃんがこうちゃんの家に泊まりにきてくれるって!」


 車が遠くに行ったから、後半は聞こえなかった。

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