228話目 男子の象徴を切る

 喉が渇いて目が覚める。


 水を飲むためにリビングに行くと、母こと百合中三実がいた。


「幸ちゃん、おはよう」

「おはよう」

「明日から冬休みが終わるまで、純ちゃんは東京でアイドルの強化合宿に参加するわ」

「……今後一切、僕の前ではお酒を飲まさないからね!」


 母に向かって凄みながら叫ぶ。


「息子の前で飲むお酒は格別だから、それがなくなるのは死んでも嫌よ」


 母が足に抱き着てこようとするから避ける。


「このことをじゅんちゃんにも説明してないよね?」


 母はおずおずと頷く。


 怒鳴りたい気持ちを我慢しつつ、これからどうするか考える。


 純が東京に行くなら、ついて行けばいいだけ。


 結論がすぐに出て、口にする。


「合宿は女子だけだから幸ちゃんは参加することはできないわよ」

「合宿に参加しなくても、母さんの住んでいるマンションでいることはできないの?」

「合宿に参加する全員がわたしのマンションの部屋で止まるから無理ね」

「それならホテルを借りるよ」

「練習は朝から晩まであって、純ちゃんと会う暇はないわよ」


 純に会えないなら東京に行く意味がない。


「愛ちゃんも東京に行って、冬休みの間アイドルのお世話をしてもらおうと思っているわ」


 更に追い打ちをかけてくる母に殺意を覚える。


 この町で僕だけが残らないといけないのか……ストレスで血を吐きそう。


 まだ何か方法はあるはず……女子だけしか参加できないなら……。


「僕の男子の象徴を切るよ。そうすれば、女子だけの合宿に参加できるよね?」

「幸ちゃんが本気で女子になりたいなら止めないけど、今回のことのためだけなら反対するわ」

「ならどうすれば、じゅんちゃんとらぶちゃんについて行けるんだよ! なんでもするから、らぶちゃんとじゅんちゃんをとらないでほしい!」

「明日から冬休みが終わるまで我慢するしかないわよ」


 冬休みに入ったのが今日だから、明日から冬休みが終わるまで15日もある。


 我慢できるはずがない。


「冬休みの間ずっと、剣さんが代わりにいてくれるから大丈夫よ」

「らぶちゃんとじゅんちゃんの代わりなんていらないよ。だから、剣はこなくていい」

「幸ちゃんがこなくていいって言っても、剣さんには明日くるように言っているからね」


 急に母が真面目な顔をする。


「剣さんは真剣に幸ちゃんのことが好きだから、幸ちゃんも剣さんと真剣に向き合ってほしいわ」

「らぶちゃんとじゅんちゃんしか興味ないから、どんなに向き合っても誰とも付き合う気はない」

「どれだけ幸ちゃんが愛ちゃんと純ちゃんと一緒にいようとしても、2人はいつかお嫁に行くのよ。その時になって、1人になった幸ちゃんは耐えられるの?」


 耐えられるわけがない。


 母に問われなくても分かっている。


 でも、分かっていたことを口にされると、現実味を帯びくる。


「それでも、僕はらぶちゃんとじゅんちゃんのことだけを考えて生きていきたい」


 母は分かったと言って、出入口に向かう。


「どこに行くの?」

「純ちゃんに合宿のことを説明にしに行くわ」

「ついて行っていい?」

「幸ちゃんはここにいて」

「ついていく」


 最後まで反対されたけど、無理矢理ついて行く。




 純の家のリビングに入ると、ソファに座った純がイヤホンを耳にさしていた。


 僕達に気づいた純はイヤホンを外す。


 母が合宿のことを純に説明すると純は口を開く。


「こうちゃんも一緒にきてほしい」

「愛ちゃん以上に純ちゃんの方が、幸ちゃんに甘えたい気持ちが強いと分かっていたから予想通りの反応ね」


 母は頭を押さえながら口にした。


「僕もじゅんちゃんと離れたくないから、死んでもじゅんちゃんについて行くよ」

「こうちゃんが死ぬのは駄目だけど、私もこうちゃんと離れたくない」


 僕と純は抱きしめ合い、母に離すことのできない強い絆を見せる。


「こうなることが分かっていたから幸ちゃんをここに連れてきたくなかったのに」

「数分でも時間を作ってじゅんちゃんと会うことはできないの?」

「さっきも同じようなことを言ったけど、合宿中は参加している女子全員が一緒に行動するから無理ね」


 それなら、最終手段をとるしかない。


 キッチンに調理台の上の小さな籠の中に入っている鋏を手にする。


 ズボンを脱ごうとしていると、走ってきた母に後ろから抱き着かれて両手を握られる。


「馬鹿なことをしないで!」

「馬鹿なことだってするよ! じゅんちゃんといられるなら!」


 吠え合っている僕達の所にやってきた純は、僕から鋏を奪う。


「こうちゃんが傷つくなら、私はこうちゃんがいなくても合宿頑張る」

「じゅんちゃんは本当にいいの? 15日だよ? 1カ月の半分だよ? そんなに長い間、僕達が離れてもいいの?」

「……無理」


 純はそう呟いて、僕に鋏を渡した後、僕に抱き着いている母を引き剥がした。


「すぐに終わるから母さんと一緒に廊下に出てもらっていい?」

「おう」


 喚く母を抱えて純は部屋から出ようとしていると、愛が部屋に入ってきた。


「元気な声がらぶの家まで聞こえてきたよ! らぶも遊ぶのに混ぜて!」

「幸ちゃんが自分を傷つけようとしているから、幸ちゃんから鋏をとって!」

「こうちゃん、鋏をらぶに渡して」


 母と大局的に落ち着いた雰囲気の愛はそう言いながら、僕の方に手を出してきた。


 愛に反抗することなんてできない。


 素直に鋏を渡す。


 力が抜けて床に座っていると、母が愛にこうなった経緯を話している。


 話を聞き終えた愛は僕に向かって口を開く。


「こうちゃん勝負をしよう! らぶが勝負に勝ったららぶはじゅんちゃんと一緒に東京に行くね! こうちゃんが勝ったら愛はこうちゃんと一緒に残るよ!」


 愛が残ってくれるなら15日ぎりぎり耐えられる。


 そうなると、純が1人で東京に行かないといけなくなる。


 僕の我儘で純に寂しい思いをさせたくない……負けるしかないな。


 勝負内容は愛が決めたかくれんぼで3回勝負。


「らぶが先に隠れるね! 10秒数えてから探しにきて!」


 目を瞑る前に2階に上がっていく愛。


 負けるとしても、わざとらし過ぎると愛にやり直しするように言われるかも。


 1回目は真面目に愛を見つけて、3回目に見つけられなかった振りをすればいい。


 10秒数えて2階に行くと、純の部屋のドアが開いていた。


 純の部屋に入って、愛が隠れそうな所を見ていく。


 ベッドの下、カーテンの後ろ、引き出しの中……いた。


 引き出しの中の端で体育座りしていた愛。


「見つけたよ」

「見つかったよ! 悔しい! 次はらぶが鬼ね! こうちゃんをすぐに見つけるよ!」


 愛はその場で10秒数え始めた。


 1階に下りる。


「合宿には昴さんもくるわよ。春に向けての昴さんと純ちゃんのユニットの曲が決まったから力を入れて練習するわよ」

「おう。頑張ります」


 リビングに入ると、母が純に合宿のことを話していた。


 母に逆ギレをしたい気持ちになって口を開こうとした。


 廊下から足音が聞こえてきたから、ソファの後ろに隠れる。


「こうちゃんを探すよ!」

「幸ちゃんなら」

「三実言ったら駄目だよ! これはらぶとこうちゃんのちんけん勝負なんだから!」

「そうね。真剣勝負を邪魔したら駄目ね」


 数分が経って、ソファの方から寝息が聞こえてきた。


 立ち上がると、ソファで気持ちよさそうに寝ている愛がいた。


 かくれんぼの途中で歩き疲れて寝るとか可愛過ぎる。


 思わず頭を撫でる。


 愛は目を開けて、僕を指差す。


「こうちゃん、見つけたよ! さっきみたいに見つからないように隠れるよ!」


 愛が部屋を出て行く。


 10秒数えて再び2階へ。


 さっき閉めたはずの純の部屋のドアが開いていた。


 純の部屋に入る。


 ベッドの上の毛布が盛り上がっていて、そこに愛が隠れているのが丸分かり。


 数分探す振りをしてから、負けたと口にしよう。


 ……本当にそれでいいのか?


 疑問が浮かび立ち止まる。


 愛を見つけなかったら、15日間僕は1人になる。


 想像するだけでも死にたくなる。


 実際にそうなったら……。


 合宿には母も昴もいるから純は大丈夫なんて言い訳を心の中でしたけど……納得できない。


 ランイを毎日のようにすれば、いや電話の方がいいかな。


 そうすれば寂しさに耐えられるだろうと、自分に言い聞かせて愛に降参した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る