218話目 小さな幼馴染は頑固

 扉が開く音がした。


 ソファから体を起こして、目を開ける。


 目を腫らした純が出入口に立っていた。


 純は何も言わずこちらを見ている。


 手を引いてソファに座らす。


 ホットココアを入れて、純に渡す。


 少しずつココアを飲む純から、時計に視線を向ける。


 7時過ぎ。


 そこで、外が明るくなっていることに気づく。


 昨日、純は泣き疲れて眠った。


 日付が変わる時間に恭弥さんが迎えにきて、抱きかかえて純を連れて帰った。


 今まで寝ていたとしたらお腹を空かせている。


「じゅんちゃん、何か作ろうか?」

「お腹空いてない」


 食欲がない気持ちは僕も一緒だから分かるけど、落ち込んでいる時こそ食べないといけない。


「僕はお腹空いたからホットケーキを作ろうと思うけど、じゅんちゃんの分も作っていい?」

「……おう。作ってほしい」


 いつもより重たく感じるフライパンでホットケーキを作って机に並べる。


 隣に座っている純が美味しそうにホットケーキを食べている姿を見て、少しだけ体が軽くなった気がする。


 食器を洗い終え、ソファに座っている純の隣に腰を下ろす。


 呆けていると、静けさが気になりテレビを点ける。


 登校は純と2人だから、8時20分に家を出れば間に合う。


 それまで何もせずに体を休ませたい。


 ……愛のことを考えて胸が締めつけられる。


 純に本音を聞かれた愛はこう言った。



『音暖を安心させて眠ってもらうためにはこの町でらぶ達が幸せにならないといけないの!』



 愛がこの町に残ろうとする理由に、どうして音暖さんが関係している?


 音暖さんは僕達が物心つく前から病院に入院していた。


 たまに純の家に帰ってくることがあったけど、愛が音暖さんと会う時はいつも僕がいた。


 2人がそんな約束をしているなら、僕も聞いているはずなのに記憶にない。


 それに、大好きな純より優先するほど、音暖さんと愛が親しい仲ではなかったはず。


 ……いや、小学2年の時、急に愛が音暖さんのことを慕うようになった。


 気になってその理由を愛に聞くと、秘密と言われた。


 おばけなんてないさの歌が聞こえてくる。


 テレビを見ると、ニュース番組で童謡特集をしていた。


 そう言えば、音暖さんが純を寝かせる時におばけなんてないさを歌っていたな。


 あの頃は何とも思っていなかったけど、どうして子守歌がおばけなんてないさなのか疑問に思う。


 純が気持ちよさそうに寝ていたからそれが答えかも。


「おばけなんてないさ、おばけなんて嘘さ」


 昔を懐かしながら口ずさんでいると、隣から寝息が聞こえてきた。


 純が起きないようにテレビを消す。


 僕が考えている選択肢は2つ。


 愛を残して純と2人で東京に行くか、純にアイドルを諦めてもらうか。


 否定し続ける愛を説得できる気がしない。


 純にアイドルを諦めてもらう方が簡単。


 現に、純は愛にアイドルを諦めると口にしている。


 でも、僕は純にアイドルを目指すことを諦めてほしくない。


 悶々としていると、肩にほどよい重さが乗って睡魔に襲われ……身を任せることに……した……。


「起きろ」


 荒々しい声で目を覚ます。


 目の前に恭弥さんがいた。


「学校から連絡あったぞ」

「ごめんなさい」


 咄嗟に謝りながら時計を見る。


 13時を過ぎていた。


 立ち上がろうとしていると、恭弥さんに肩を少し押されてソファに倒れる。


「学校には純と幸は体調が悪いから休むって連絡しとく」

「今からでも学校行きますよ」

「いいから休んどけ」

「……ありがとうございます」


 恭弥さんが鋭い眼光で僕のことを凝視してくる。


「疲れてるなら明日も休んでいいぞ。連絡しとくから」

「今日1日休んだら大丈夫だと思います」

「おう。分かった」


 恭弥さんは無理をするなよと口にしてから、部屋を出て行った。


 机の方からいい匂いがする。


 立ち上がってから見ると、おにぎりと湯気が立つみそ汁があった。


 隣にはおはぎと牛乳が置かれている。


 おにぎりとみそ汁は僕の分で、おはぎと牛乳は純の分。


 椅子に座っておにぎりを1齧りする。


 温かい気持ちになって、少しだけ気分が晴れた。



★★★



 時計の針が学校の下校時間を過ぎても、今後どうすればいいか分からずに悩み続けている。


「こうちゃん! じゅんちゃん! 大丈夫?」


 寝続けている純の頭を撫でて癒されていると、愛が大声を出しながらリビングに入ってきた。


「寝不足で疲れているだけだから大丈夫だよ」

「よかったよー!」


 その場で座り込む愛は、息を乱しながら大量の汗をかいていた。


 僕達のことを心配して走って帰ってきてくれたんだな。


 おぼつかない足取りで部屋を出て行こうとする愛を呼び止める。


「嫌いっていってごめんね」

「……らぶはこうちゃんに嫌いっていわれて辛かったけど、気にしてないよ」


 このまま、答えを出さずに愛とぎこちないままでいいのだろうか?


 いいわけがない。


 僕の中で出した答えを吐き出す。


「じゅんちゃんがアイドルを諦めたら幸せになれないと思うから、僕もじゅんちゃんと一緒に東京について行くよ」

「じゅんちゃんが幸せになれればいいの?」

「……そうだよ」

「だったら、らぶがじゅんちゃんを幸せにする! もちろん、こうちゃんのこともだよ! だってらぶは2人のお姉さんだからね!」


 愛は部屋を出て行き、すぐに戻ってきた。


 ゴーグルとマスクを装着して、右手にはたまごのパックがはみ出ているビニールを持っている。


「すぐに作るからね!」


 キッチンに向かった愛は、何かを調理し始めた。


 気になって覗こうとすると、あっちで座っていてと怒られた。


 純の隣に座り直す。


 数分して甘い匂いがしてきた。


 愛は自分の苦手な甘い何かを作っていることが分かった。


「じゅんちゃん! 起きて! プリンができたよ!」


 机の上にプリンを並べる愛は、純に声をかける。


 プリンの言葉に反応した純は目を開ける。


「初めて作ったプリンだけど、ママに聞いて作ったから美味しいよ! みんなで食べよう!」


 純は一瞬、眉間に皺を寄せたけど、すぐに笑みを浮かべて椅子に座る。


 ココアの匂いを嗅いだだけでも吐く愛が、プリンを作ったことに驚愕し過ぎて腰が抜けて動けない。


 愛は僕の所にきて手を引っ張り、椅子に座らせてくれた。


 プリンを口の中に入れて頬を緩ませる純。


 それにつられてプリンを口の中に入れる。


 ふわとろで口の中が幸せになる。


「よしっ!」


 気合いを入れる声が隣から聞こえて、視線を向ける。


 愛がゴーグルとマスクに手をかけていた。


 勢いよく2つをのけた愛はおえっとえずき、頬が膨らみ頬袋をパンパンにしたリスみたいになる。


 涙目になりながらもごくごくと飲み込む愛。


 トイレに連れて行こうかと聞くけど、首を横に振った。


 愛は睨みつけているプリンをスプーンで掬って、おずおずと口の中に入れようとして唇に触れる。


 その瞬間、おえーと机の上に吐く。


 布巾を取ってこようとすると、先にキッチンに向かった愛は布巾を持って戻ってくる。


 拭き終わって、どうにか無事だった自分のプリンを食べようとする愛。


「無理に食べなくていいよ」

「食べるよ!」


 愛は純を見ながら、机をバンッと叩く。


「今まで恥ずかしくて隠していたけど、らぶは甘いものが苦手だよ! でも、これからはじゅんちゃんの好きな甘いものを好きになる!」


 プリンの大きな塊を迷いなく口に入れた愛は、両手で口を押えて必死に飲み込む。


 口を大きく開けて、涙目で笑みを浮かべる。


「おいしかっ、おぇー」


 愛は言い終わる前に吐いて、その机の上に倒れそうになったから支える。


 抱きかかえてソファに寝かした。


 すぐに目を覚ました愛は、椅子に座っている純の所に行く。


「他にしてほしいことはある?」

「ない。プリンありがとう」

「いつでも作ってあげるから言ってね!」

「おう。……私は辛い」

「らぶは辛い食べものが苦手になったから、今日から辛いものは食べないよ!」


 純が辛いものが苦手と告白しようとしたのを愛は遮った。


「らぶは隣町の保育学科がある短大を受けることにしたよ!」

「……」


 純は拳を強く握って、僕の方を見ようとしてやめる。


 愛が隣町の短大に行くことになったら、東京に愛を連れて行くことが無理になる。


 だから、純は僕に助けを求めようとした。


 でも、愛が困るから途中でやめたのだろう。


 ここで僕が行動しなかったら、純は確実にアイドルになるのを諦める。


 2人のためになることを必死に考えて……答えを出した。


「僕は何があっても、じゅんちゃんがアイドルになることを応援するよ。だから、らぶちゃんが何を言おうと、僕はじゅんちゃんと一緒に東京に行くね」


 やっぱり僕は純の夢を応援したい。


「お世話するのを続ける……」


 弱々しく愛はそう呟いた。

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