217話目 心にもない『嫌い』

 放課後、すぐに家に帰る。


 純の歌と踊りを見てもらう方法を話し合っていると、琴絵さんがリビングに入ってきた。


「こうちゃん、じゅんちゃん今いいかしら?」


 普段では見せないような、不安そうな顔を琴絵さんがしていた。


「らぶちゃんに何かあったんですか?」

「2人とも心配そうな顔をしないで。らぶちゃんが病気や怪我をしたわけではないわ。最近、ソファに横になって話しかけても生返事しかしないから、何か知っていることはある?」


 昨日愛の家に行った時に、愛がソファにうつ伏せで寝ていたことを思い出す。


「「ごめんなさい」」


 自然と口から出た謝罪の言葉が純と重なる。


「何か知っていることはある?」


 さっきより優しい声音で聞いてきた、琴絵さんに事情を話す。


 琴絵さんは溜息を吐く。


 僕達に対してしたものだと思って、緊張が走ったけど、


「本当にらぶちゃんがごめんね」


 となぜか琴絵さんが謝ってきたから、呆気にとられる。


「じゅんちゃんがアイドルになりたくて、こうちゃんはそんなじゅんちゃんを応援したい。らぶちゃんをこの町に置いて行きたくないから、反対するらぶちゃんを説得するために努力しているのは応援したくなるわ」


 出入口の方に向かって歩いて行き、僕達の方に顔だけを向ける。


「だからこそ、大好きな人の努力から目を逸らして逃げるらぶちゃんを許せないわ。わたしがここに連れてくるから待っていて」


 琴絵さんの背中は小さいのに頼もしさを感じた。


 無音の部屋で数分待っていても、琴絵さんは戻ってこない。


 もしかしたら、琴絵さんが愛を説教しているのかも。


「やめて! らぶは行かないの! 家でいるの!」


 愛が怒られることなんて何1つもない。


 止めに行くために家を出ようとすると、外から愛の駄々をこねる声が聞こえる。


 玄関を開ける。


 愛が電柱に両手で必死にしがみついていて、琴絵さんは愛の足を引っ張っていた。


「らぶちゃん、逃げ続けていたら絶対に後悔するよ」

「らぶもそんなこと分かってる! 分かってるけど……これからどうしたらいいか分からないよ」


 愛が急に手を離した。


 愛を抱いた琴絵さんが、勢いのまま後ろに倒れていく。


 地面を思いっ切り蹴って琴絵さんの下に滑り込み、どうにか2人の下敷きになれた。


 痛みを表情に出さないようにする。


「らぶちゃん大丈夫。琴絵さんも大丈夫ですか?」


 琴絵さんから下りた愛は、僕の体をペタペタと触る。


「らぶは大丈夫だよ! こうちゃんは怪我してない? 痛い所はない?」

「大丈夫だよ」


 擽ったさを感じながら返事する。


 愛は安心したように笑む。


 久々の笑顔に嬉しさが込み上がる。


 愛がそろりそろりと口にしながら後退る。


 琴絵さんは再び愛を捕まえて、抵抗される前に僕の家に入った。


 僕と純はついていく。


 リビングに入ると、琴絵さんに庭側の窓の前に立っているように言われたから従う。


 愛から手を離した琴絵さんは、出入口の前で仁王立ちした。


 逃げ場がなくなった愛は僕の方に迫ってくる。


「こうちゃんそこをどいて!」

「らぶちゃんのお願いでも聞けないよ」


 スマホで曲を再生して、僕達の様子を見ていた純が歌い始めた。


 愛が耳を塞ごうとする。


 琴絵さんは愛の両手を摑み阻止する。


 歌がサビに入ると愛は急に静かになって、純の歌声を聞くことに集中している。


 琴絵さんはその間に僕の所にきて、3人でよく話し合うようにと言い部屋を出た。


「どうだった?」

「心の中がねぐわぁ~ってなって、一緒に歌いたいのにもっとじゅんちゃんの歌を聴きたくて、だからね、あのね」


 純に感想を聞かれた愛は、必死に跳んだり手を広げて必死に表現する。


「もう1回! さっきのもう1回歌って!」

「いいよ。でも、その前にらぶちゃんに聞いてほしいことがある」

「……らぶは家に帰るよ」

「私はアイドルになりたい。もし、らぶちゃんが東京についてきてくれなくてもなるつもり」


 逃げようとする愛を気にせずに、純は本音をぶつける。


「駄目! 絶対に駄目!」


 愛は純の所に行き、精一杯背伸びをする。


「何で駄目?」

「駄目なものは駄目なの!」

「……分かった。アイドルを……やめ……る……」


 ボロボロと号泣して、その涙を隠すように愛に背中を向ける純。


 本気で純がアイドルを目指しているのは知っていた。


 でも、純の涙を見て僕が思っていた以上に、純はアイドルになりたかったんだと分かった。


 こんなに顔をしわくちゃにして、自分のために泣いている純なんて見たことがない。


 大好きな音暖さんが死んだ時も、ここまでではなかった。


「やったー! じゅんちゃんありがとう!」


 無邪気に純の背中に抱き着く愛に怒りが込み上げてくる。


「何で大切な幼馴染の夢を応援することができないの?」


 叱責する。


 純から離れた愛は不思議そうな顔で僕を見る。


「じゅんちゃんが諦めるって言ったのに、どうしてこうちゃんは怒るの?」

「じゅんちゃんがアイドルを諦めたんじゃなくて、らぶちゃんに無理矢理諦めさせられたんだよ! そりゃ怒るよ!」


 思った以上に声が出ていて、その声が部屋に響く。


 愛は口を開けて、その口を手で塞いだので外す。


「言いたいことがあるなら言ってよ」

「音暖を安心させて眠ってもらうためにはこの町でらぶ達が幸せにならないといけないの!」


 息継ぎせずに言葉を吐き出した愛は慌てて手で口を塞ぐ。


「今回のことに母さんが関係しているの? らぶちゃん教えて?」


 泣きながら僕達の様子を見ていた純は、手で涙を拭って愛に聞く。


「らぶは何も知らないよ!」

「じゅんちゃんの努力も気持ちも考えようとしないらぶちゃんなんて嫌いだよ!」


 純から目を逸らしながら嘯く愛に切れて、『嫌い』と心にもないことを言ってしまう。


 謝ろうとしたけど、もう遅くて。


「こうちゃんの馬鹿‼ もういいよ‼ じゅんちゃんもこうちゃんも東京に行けばいいよ‼」


 怒った愛は部屋を出て行った。


 追いかけたいけど、再び泣き出した純を1人にできない。


 純の頭を撫でながら、何度も自分を責める。

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