214話目 アイドルの協力

 自宅に入り、リビングのドアを開ける。


 ソファに座っている母が、剣と昴を膝に乗せて剣の頬にキスをしていた。


「……社長、ボクにもしてほしいです」

「名前で呼ばないとしてあげないわ」

「……三実さん」

「呼び捨てで言って」

「…………三実」


 母は昴の頬を撫でながら顔を近づけていく。


「もう少しだけ頑張って何をしてほしいか言えるわよね?」

「…………キスしてほしい」

「いいわよ」


 昴の頬に軽く母はキスをする。


 昴は顔を真っ赤にして俯いた。


 大抵の百合には興味を持つが、母は例外。


 純に持ってもらっているエコバックを受け取って、冷蔵庫に買ってきたものをしまう。


 机の上に大量の空き缶を片づけて、酒に酔って寝ている母を母の部屋に連れて行く。


 ベッドに母を寝かせていると、昴がここで一緒に寝ていいかと聞いてきた。


 いいよと答えて、リビングに戻った。


 純と剣がソファの両端に座っている。


 ソファの真ん中に座って、剣の方に体を向ける。


「何か用があってここにきたの?」

「小泉さんが本当にアイドルになるのか聞きにきました」

「わざわざこなくても、ランイで聞けばいいのに」

「わたしにとっても大事なことですから」

「じゅんちゃんのことを自分のことのように心配してくれてありがとう」

「……」


 剣はなぜか苦笑。


 昴が鼻血を垂らしながらやってきた。


 剣はスカートからポケットティッシュを取り出して、剣の鼻を拭く。


「昴はアイドルなんですから、人前で鼻血を出したままにしないでください」

「……ボクの顔が社長の胸に挟まれて、窒息しそうだった。それ以上にあそこでいたら……社長の部屋に戻る」

「ここにいてください。今から百合中君と矢追さんに大事な話をしますから」


 昴は僕と剣の狭い間に腰を下ろそうとした。


 純の方に体を寄せる。


 2人に純がアイドルになることを愛が反対していていること、愛に認めてもらうために純が昴の歌と踊りを練習していることを説明。


「純ちゃんにボクの曲を歌ってもらえるなんて嬉しいな。聴かせてもらっていい?」

「おう」


 昴の期待の眼差しを向けられた純は、テレビの前に行く。


 僕がスマホで曲をかけると、歌いながら踊りだす。


 笑顔で純を見ている昴が、一瞬真剣な表情を浮かべた。


 耳打ちをして理由を聞く。


 気のせいだと誤魔化された。


 曲が終わり立ち止まった純は昴に視線を向ける。


「アイドルになれる実力は十分にあるよ。純ちゃんはもう少し練習していて。ボクに愛ちゃんを説得できるかもしれないから、愛ちゃんの家に行ってくるね」

「歌と踊りを練習していることは秘密にしてください」


 純の言葉に「うん」と返事をして部屋を出る。


 昴の口は軽そうだから追いかける。


 家を出たすぐの路肩で、昴は立ち止まって振り向く。


「家の中では誤魔化してごめんね。純ちゃんに聞かれる可能性があったからね。正直に言うね。今の純ちゃんの歌と踊りでは愛ちゃんは納得しないよ」

「じゅんちゃんの歌と踊りのどこが駄目だった?」

「駄目な所は何1つもない。ただ、愛ちゃんはボクのファンだから、確実にボクと純ちゃんのことを比べる。そうなったら、今まで経験を積んできたボクには純ちゃんは劣って見える」


 長年トップアイドルをしてきた昴が言うと、説得力があって何も言い返せない。


「ボクの曲で純ちゃんが歌って踊ってくれたことは本当に嬉しかった。だから、これからもそんな純ちゃんがテレビでも見られるように、ボクが全力で愛ちゃんを説得するよ」


 そう力説する昴は頼りになるな。


 昴と愛の家に行きリビングに入ると、ソファで俯いて寝そべっている愛がいた。


「らぶちゃん、こんばんは」


 愛は飛び起き昴に抱き着く。


「何で⁉ 何で、昴がここにいるの⁉」

「らぶちゃんに会いにきたよ。そんなに喜んでくれて嬉しいから、愛ちゃんのために愛ちゃんがこられなかったライブの曲を歌うね」

「やったー!」

「隣で一緒に歌ってもらっていい?」

「うん! 歌う! 歌うよ!」


 アカペラで昴が歌い始める。


 それに続いて元気な声で歌い始める愛。


 ライブで歌った中の3曲を歌い終わる。


 愛は疲れ切ってその場で座り込む。


「らぶはもっと、昴と一緒に、歌いたい」


 ぷるぷると震えた足で立ち上がろうとする愛。


「少し休憩してからまた歌おうか?」

「うん」


 愛が汗をかいていることが気になった。


 急いで自宅に行き、ハンドタオルと渋いお茶をコップにいれて愛の家に戻る。


 渋いお茶を渡すと、一気に愛は飲み干した。


 空になったコップを受け取り机の上に置いてから、首回りと顔の汗を拭く。


「こうちゃん! 擽ったいよ! らぶでするから大丈夫だよ!」

「もうすぐで拭き終わるから最後までやるよ」


 僕達の仲睦まじい姿を見ていた昴が口を開く。


「純ちゃんがアイドルになることを認めてほしい」


 愛の表情から徐々に笑みは消えて、睨みつけるように昴を見る。


「絶対に駄目‼」

「東京にきてくれたら、毎日らぶちゃんために歌うよ」

「本当⁉」


 怯むことなく昴がそう提案する。


 心が揺すぶられたのか愛は立ち上がって昴に顔を近づける。


「本当だよ。だから」

「それでもこの町で、こうちゃんとじゅんちゃんとママとパパと大切な人達と一緒にいることをらぶは選ぶよ!」

「愛ちゃんの本気の気持ち伝わったよ。だから、ボクの本音を言うね」


 昴は愛に向かって深々と頭を下げる。


「ボクは社長、三実さんのことが恋愛的な意味で好き! だから、三実さんが望んでいる純がアイドルになることを叶えてあげたい! ボクにできることなら何でもするから、純ちゃんがアイドルになることを認めてほしい。お願いします」

「じゅんちゃんはこの町にいないといけないから駄目!」

「純ちゃんのことを本当に好きなら、アイドルになりたいと思う純ちゃんの気持ちを大切にしてあげてほしい」

「らぶもじゅんちゃんのしたいことを応援したい! でも、駄目なの‼ そんなことをしたら……」


 愛は口を塞いで、首を左右に振る。


 昴は顔を上げる。


「……無理を言ってごめん」


 静かに部屋を出る昴。


 愛と視線が合った。


 何を話していいか分からずに、昴を追いかけた。


 自宅の玄関の前で、体育座りしている昴は膝に顔を埋めていた。


「家に入らないの?」

「……偉そうなことを言ったのに、力に慣れなくてごめん」


 ポツポツと雨が降ってきて、次第に強くなってくる。


 純とデートしている時に降らなくてよかった。


 安心している場合ではない。


「早く家に入るよ」

「……ごめん」

「謝らなくていいから、早く中に入って」


 昴の体を摑んで家の中に入れようとしていると、玄関のドアが開く。


 僕から昴が離れる。


 母が昴を抱きしめて、玄関に座っている。


「幸ちゃんや純ちゃん、そしてわたしのために頑張ってくれてありがとう」

「……見ていたんですか?」

「真剣な顔をして家を出て行く昴さんと幸ちゃんは見たけど、実際に何をしたのかは見てないわよ。ただ、長年一緒にいるから見てなくても分かるわよ。昴さんが愛ちゃんに純ちゃんがアイドルになれるように説得しようとしたんでしょ?」

「……うん」

「ありがとうね」


 泣き始めた昴の頭を、母は優しく何度も撫でる。

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