207話目 遊園地
温もりを感じながら目を開ける。
馴染みのない天井が見える。
……母のマンションに泊まっていることを思い出す。
剣と昴に抱きつかれていることに気づく。
引き剥がそうとするけど、びくともしない。
諦めて2人が起きるまで待とう。
純の蔑むような視線で僕達を見ていた。
恋人でもないのに抱き合っている僕が不埒に見えたのかもしれない。
本気で引き剥がしていると、2人が目を開ける。
「何で、こんな近くに百合中さんがいるんですか。むぎゅー」
剣は寝ぼけているのか、僕の頭に抱き着いてきて息ができなくなる。
もう少しで昇天しそうな所で、剣の体が宙に浮く。
純が剣の体を片手で持ってくれたから助かった。
剣と昴は朝食を作ってと言って部屋を出て行く。
ついて行こうとする純を呼び止める。
やっと2人きりになれた。
気になっていたことを聞く。
「何か嫌なことがあった?」
証拠があるわけではない。
でも、剣にアイドルに向いていると言われた時から、機嫌が悪い気がする。
「昨日、昴の後ろで踊るのが気持ちよくて、それ以上に昴のように歌いながら踊れたらもっと気持ちいいんじゃないかなと思った。剣にアイドルに向いていると言われて……アイドルになりたくなった」
「アイドルをしたいならすればいいよ」
「こうちゃんとらぶちゃんと離れたくない」
「じゅんちゃんが東京にいくなら、僕も一緒に行くよ。らぶちゃんには聞いてみたいと分からないけど」
「……ありがとう」
そう言ったけど、愛なら僕達についてきてくれるだろう。
今すぐ確認したいけど、愛は熱で寝ているかもしれない。
帰ってから聞こう。
純と一緒にリビングに行く。
キッチンの方から、母の吐き声が聞こえる。
昨日の晩、大量の酒を飲んだ母は純にだる絡みをしていた。
同情の余地はないから気にせずに、料理をしている剣と昴に話しかける。
「何か手伝うことある?」
「特にないので席に座っていてください。飲みものは何がいいですか?」
「ありがとう。水でお願い」
「紅茶もありますけど」
「それじゃあ、紅茶でお願いするよ」
剣にそう答えて、椅子に座っている純の隣に腰を下ろす。
テレビを呆然と見ていると、足を摑まれる感触がした。
下を向くと虚ろな目をした母がいた。
「弱っている母を介護して」
「自業自得だから知らないよ」
「親不孝なこうちゃんには頼らないわ。じゅんちゃんは面倒見てくれるわよね?」
純の方に向かおうとする母を抱きかかえる。
ソファに下ろしたけど、僕の首に手を回して離れようとしない。
「窮屈だから早く離れて」
「恥ずかしがって、我が息子ながら可愛いわね」
「……」
「すぐに離れるから、殺意の籠った目でわたしを見ないで」
睨むと、しぶしぶ母は離れた。
やってきた昴は母に聞く。
「社長は朝食食べますか?」
「食欲がないからいらないわ。もう少し寝たいけど歩く元気がないから、昴さんに寝室まで連れて行ってほしいわ」
ゴクリと喉を鳴らす昴。
「ボ、ボ、ボクも、眠たいから……一緒に寝ていいですか?」
「いいわよ」
「……」
昴からポタポタと鼻血が出た。
★★★
昴が遊園地に行きたいと言った。
愛抜きで行くのは絶対に嫌だから断ろう。
昴がスマホの画面を見せてきた。
『遊園地限定の激辛クッキーを楽しみにしているよ!』
激辛クッキーを買うために遊園地に行こう。
遊園地に着き純に行きたい場所を聞こうとしていると、昴が純の手を摑む。
「純ちゃんは何か乗りたいものある?」
「遊園地あまりこないから、分からない」
「ボクもあまりきたことがないけど、ネットで何が面白いとか調べているから案内するよ。絶叫系は大丈夫?」
「おう」
「なら、ここにある絶叫系を乗りつくそう」
昴は純を引っ張って歩き始める。
「こうちゃんがまだきてない」
「たまにはボクと2人で遊ぶのもいいでしょう!」
歩くスピードを速めて、2人の後姿が小さくなる。
せっかくの遊園地だから、純と一緒に遊びたくて追いかけようとする。
剣が僕の前に立ち塞がる。
「百合中君と行きたい所があります」
「じゅんちゃん達と一緒に行こう」
「……2人で一緒に行きたいです」
弱々しい目で震えながら言ってきた。
……なぜか断る気がなくなる。
いいよと答えると、剣が歩き始めた。
後を追うと、お化け屋敷の前で立ち止まる。
「ここに入っていいですか?」
涙目で聞いてくる剣は、完全に怖がっているようにしか見えない。
入りたいって言うなら、付き合うけど。
お化け屋敷の中に入ってすぐに、「キャー」と甲高い声を上げて僕に抱き着く。
歩きにくさを我慢しながら、前を進んでいく。
中は廃墟の病院を模していて、注射やカルテや真っ赤なタオルなどが床に落ちている。
薄暗い中に仄かに光る赤いライトが、不気味さを増している。
ホラーと注射が苦手な愛がここにきたら、気絶間違いなしだな。
でも、純と一緒にここに入れば、恋愛感情が芽生えるかもしれない。
……愛を怖い目に合わせたくない良心と、愛と純をカップルにしたい欲望が僕の中で戦っている。
叫び続けている昴と歩き続けていると、血まみれな看護婦が飛び出てきた。
急なことに少し驚く。
「ギャ―――――――‼」
腹から声を出したような叫び声が、すぐ近くから聞こえてきて耳が痛い。
剣は後ろに向かって走ろうとして躓く。
急いで後ろから剣の体を抱く。
「おばおばおばおばおばおばおばおば」
どもる剣の頭を撫でる。
「怖いなら目を瞑っていたらいいよ。僕がつれていくから」
「……お願いします」
落ち着きを取り戻した剣は、目を瞑って棒立ちをする。
剣の手に触れるとピクリと震えた。
気にせずに握って、出口を目指した。
お化け屋敷を出た後、近くにあったベンチに座って休憩する。
幼馴染達のことを考えていると、勢いよく剣が立ち上がる。
「次はジェットコースターに行きたいです」
「休憩しなくていいの?」
「大丈夫です。時間がもったいないので急ぎましょう」
「ちょっと待って」
まだ顔が青白かったから呼び止めると、僕の方に剣が振り向く。
「無理してない?」
「……無理なんてしてないです」
剣は俯きながらぼそりと呟く。
「目を見て言って」
近づくと剣が1歩後退る。
剣の目前まで詰める。
獣に怯える小動物のように震えている剣が……嗜虐心を刺激する。
「どうして僕から逃げるの?」
「……ごめんなさい」
「謝ってほしいんじゃなくて、逃げた理由を聞いているんだけど」
「……ごめんなさい」
剣の顎に手を添えて上げると、剣の顔が真っ赤だった。
照れていると思うと、嗜虐心が加速する。
「本当のことを言わないと罰をあたえるよ」
手をデコピンの形にして剣に見せる。
ゆっくりと剣は目を瞑る。
止められない衝動に任せて、デコピンを剣の額にしようとしていると。
「こうちゃん」
平坦な純の声が聞こえてきて、冷静になる。
いや、ある意味頭の中がパニックになっている。
女子に手を上げようとしている所を純に見られた!
絶対軽蔑される!
「じゅんちゃん、ごめん」
「こうちゃんは何で謝る?」
「……」
純に睨まれて、何も言えずに固まってしまう。
「純ちゃんコーヒーカップに乗りたい! ドラマの撮影で乗ったことがあるけど、ハンドルを回せなかったから今日はたくさん回す! 幸ちゃんと姉さんも行くよ!」
剣に僕と純は背中を押される。
4人でコーヒーカップの遊具に乗り、観覧車に乗ってから、お土産を売っている店に向かった。
愛のお土産を真剣に選んでいると、剣が話しかけてきた。
「……我儘を言っていいですか?」
「……いいよ」
再び嗜虐心が出てきて、駄目と言いそうになるのを我慢。
「……百合中君に東京の学校にきてほしいです」
「何で剣が僕に東京の学校に通ってほしいの?」
「百合中君が東京に住むようになったら、昔のように料理を一緒に作る時間が……違います。本当は、ただわたしが百合中君の傍にいたいからです」
剣と見つめ合って……少し心がざわつく。
「いきなりこんなことを言われても困りますよね。ごめんなさい。わたしも矢追さんのお土産を選んでいいですか?」
「いいよ」
2人で色々と見て迷いに迷った結果、愛がランイでほしいと言っていた激辛クッキーを籠一杯に買った。
母に上げるお土産を選ぶ剣を残して、僕達は店を出る。
店の近くにあるベンチに座る。
「目つきが悪い私でもアイドルになることできる?」
純が聞くと、昴は満面の笑みを浮かべる。
「アイドルにも色々なタイプがあるから大丈夫だよ! それに、純ちゃんはボクや姉さん、それに社長が協力するから安心して!」
「おう」
「でも、写真撮影とかで笑顔を求められる時があるから、笑顔の練習はした方がいいよ。純ちゃん、笑ってみて」
純は必死に口角を上げて、引き攣った笑顔を見せる。
「普段はクールで格好よくて何事もそつなくこなすけど、笑顔が苦手というギャップ。それに加えてたまに見せる自然な笑顔があれば、確実に人気アイドルになれるよ」
冷静に分析されたのが恥ずかしいのか、純は耳を赤くして昴から顔を背ける。
「社長1筋のボクをここまで萌えさせる純ちゃんは、なんて罪作りな女だね」
昴は純に抱き着いて頬擦りをする。
純は嫌がっていない。
その光景をしばらくの間、眺めることにした。
★★★
遊園地の中にある少し高めのレストランで晩飯を食べて外に出る。
「純ちゃん。アイドルのことで話したいことがあるからこっちにきて」
昴は純を連れ去る。
剣が口を開こうとしていると、人とぶつかる。
僕の方に向かって倒れてきた。
昼より人が増えている。
はぐれないように剣の手を握る。
小刻みに震えているけど、俯いた顔はどこか嬉しそうなので繋いだままにする。
光り輝く乗りものの上で、キャラクターが手を振って通り過ぎていくのが遠くに見えた。
「ここのパレードを好きな人と一緒に見たら、両想いになれるのよ。頑張ってね、少年」
近くにいた女性が僕にそう言って、人込みに消えていく。
「剣さん、僕達もパレードを見に行こうか?」
「……知り合いがいたら勘違いされるかもしれないですよ」
「僕は気にしないけど、剣の方は大丈夫?」
「……わたしは……勘違いされても……いいです」
周りからはたくさんの喋り声が聞こえるけど、か細い剣の声がはっきりと耳に届いた。
「行こうか?」
「はい」
繋いだ手が解けないように剣の手を強めに握って、パレードが間近で見られる所まで行く。
「綺麗ですね」
目を輝かせている剣を見ながら考える。
どうして恋人の聖地みたい所に剣を誘った?
剣には今まで助けてもらったり、一緒にいる時間が長い。
……思っている以上に、剣に好意を抱いているんだな。
恋愛感情ではないけど、友情以上だと思う。
そう自覚すると、気恥ずかしくなった。
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