167話目 幼馴染達と美容院の手伝い②

「2人とも暇じゃない?」


 12時を過ぎ3人目の客が帰った後、檸檬さんが僕の両隣に立っている愛と純の顔を交互に見て言った。


「格好いい! れもんが格好いいから、暇じゃないよ!」


 ぴょんぴょんと跳ねながら興奮する愛が答えた。


「格好いいなんて初めて言われたよ。恋、私って格好いい?」


 床を箒で掃いている恋は手を止めて、檸檬さんの方を向く。


「仕事をしているときは格好いいよ」

「ときは」を強調する恋に同意して思わず頷く。

「恋がやっとデレてくれた。生きてきて本当によかった。この幸せをみんなに分けたいから、今からお昼なんでも奢ってあげるよ。何が食べたい?」

「お肉! らぶはお肉が食べたい!」

「いいよ。隣町に美味しい焼き肉屋知っているからそこに行こうか?」

「やったー! お肉お肉!」


 愛と檸檬さんは手を繋いで外に出ようとする。


 恋が檸檬さの腰にしがみつく。


「13時に予約している佐栄さんがいるから、外にご飯を食べに行く時間はないよ」

「昼からの仕事は全部キャンセルしよう」

「あたしは仕事を頑張るお姉ちゃんが好きだから、もっと仕事をしている所を見たいな」

「私、仕事頑張る」


 腰につけているシーザーケースから鋏を取り出して、ドヤ顔で開閉する檸檬さん。


「お肉食べに行かないの?」


 愛は子犬のような瞳で檸檬さんに訴えかける。


「お肉は仕事が終わってからでいい?」

「いいよ! 後の楽しみがある方が今日1日もっと頑張れるよ!」


 涎を垂らしている愛を見ると、今すぐ焼き肉屋に連れて行きたくなる。


 昼食は近くにあるファミレスの持ち帰りにして、恋の家のリビングで食べた。


 店に戻ると固定電話の着信音が鳴っていて、恋が電話に出る。


「お大事になさってください」


 電話を切った恋は予約リストに何か書いてから、檸檬さんの所に行く。


「佐伯さんは急に体調が悪くなったからキャンセルするって、連絡があったよ。咳していたから風邪だと思う」

「あの子1人暮らしだから、仕事が終わってから何か食べられそうなものを買ってお見舞い行きましょう」


 愛は檸檬さんに熱い視線を向ける。


「もちろん、その後に焼き肉屋に行こうね」

「やったー! 焼き肉! 焼き肉!」


 次の客の予約まで1時間以上の時間が空く。


 檸檬さんの提案で、シャンプーの練習をすることになった。


 シャンプー台の所に移動する。


「髪を洗わせてくれる人はいるかな?」

「らぶ! らぶがいるよ!」


 檸檬さんに向かって、片手を上げる恋。


「それじゃあ、らぶちゃんにお願いするね。ここに横になって」


 シャンプー台に横になった愛は足をバタバタとさせる。


 檸檬さんは愛の後ろに立つ。


 シャンプーが始まってすぐに、愛は大人しくなって寝息が聞こえてくる。


 ただ髪を洗うだけではなくて、相手を気持ちよくさせる。


 その技術を身に着けたい。


 必死に檸檬さんの手の動きを見る。


 カットと違って、数回練習すればできそうな気がする。


「純ちゃん。幸君に髪を洗わせてあげてもらっていい?」

「おう」


 シャンプー台に横になった純の後ろに立つ。


「まずは私がやったみたいにしてみて」

「分かりました」


 檸檬さんの動きを頭に浮かべながらやっていく。


 髪を濡らしていき、後ろの髪も濡らそうとしたけど上着まで濡らしそうで怖い。


「ここってどうやればいいですか?」

「ちょっと変わってもらっていい?」

「はい」


 シャワーの水を止めて横にずれる。


「頭を上げて、両手を使って髪を上げて左手を生え際に当てて固定。この時の左手は指の隙間を開けたら服が濡れるからしっかり閉じて。後は右手に持ったシャワーヘッドを頭に沿わせながら洗って。この時に距離を開けすぎるとお湯が飛び散るから気をつけて」

「はい。分かりました」


 手を動かしながら説明してくれた檸檬さんの言葉をメモしながら見る。


 交代して実践する。


 純の服が濡れずにできた。


 思ったより手際よくできなかったけど、純に気持ちよかったと言われたから満足。


「1度見ただけでここまでできるなんて、幸君には才能あるね。幸君がよければ勝負しない?」

「しないです」

「ノリが悪いわよ。幸君が勝ったら、遊園地の無料券3人分と私が遊園地に連れて行ってあげる」

「遊園地行きたい!」


 立ち上がった愛は檸檬さんの方に向かって抱き着く。


 勝負する気は全くなかったけど、愛のためなら話は別。


「いいですよ。でも、僕が負けた時は何をすればいいですか?」

「幸君が負けたら、恋と…………恋と…………デートをしてもらう」


 檸檬さんは言い淀んだ後に唇を噛みながら、殺意の籠った視線を僕に向けてきた。


「分かりました。僕が負けたら恋さんと遊びに行きます。先に檸檬さんがしてください」

「幸君が負けたら恋と遊びじゃなくて、お付き合いを前提としたデートをしてね」

「お姉ちゃん、早く勝負始めて」


 顔を真っ赤にした恋が強い口調でそう言った。


 勝負の内容は髪を洗って、より恋を気持ちよくした方が勝ち。


 2人が洗い終えて、恋に聞くまでもなく結果は分かる。


 いや、先に恋の頭を洗った檸檬さんを見た時点で、勝ちを諦めていた。


 髪を洗うという単純な作業だけど、僕と違って1つ1つの動きの無駄がなくて洗練されている。


 実際に負けだと知って、思った以上に悔しい。


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