160話目 働いたなら給料をもらうのが当たり前

 13時過ぎに男子が店に入ってきた。


「予約していないけど、切ってもらうことってできる?」

「できないです」

「できるよ。こちらにどうぞ」


 僕にそう言われた男子は店を出て行こうとした。


 檸檬さんが男子の所に行き席に案内する。


「ごめんね。私の所の新人が」

「気にしなくていい」

「ありがとう。初めまして、ここの店長をしている影山檸檬です。よろしくね。どんな髪型にする?」

「格好よくしてほしい」


 檸檬さんは本棚からメンズのヘアカタログをとって男子に渡す。


「この中だとどれがいいかな?」


 男子はヘアカタログを流し見する。


「どれもぱっとしないから、おまかせで」

「髪の長さはどれぐらいがいいとかない?」

「全部おまかせで」

「分かった。格好よくするね」


 男子にしては長めの髪を檸檬さんは切り始めた。


「名前教えてもらっていい?」


 少しして男子は恋の方を見て話しかける。


「恋です」

「れんちゃんって言うだね。可愛い名前だね」

「そんなことないですよ」

「れんちゃん、この後暇?」

「今すぐ帰れ」


 営業スマイルを浮かべていた檸檬さんが男子を睨む。


「お姉ちゃん、お客さんに失礼なこと言ったら駄目だよ」

「だって、こいつが私の可愛い恋にナンパするから」

「お客さんに謝って」

「……」

「謝って!」

「……ごめんなさい」


 恋に凄まれた檸檬さんは不服そうに男子に謝る。


 男子は笑顔で気にしていないと答えた。


「幸君もそろそろ仕事に慣れてきたと思うから、恋と代わって私をアシストしてほしいわ」


 檸檬さんは恋を男子から離したいからそう言ったんだな。


 分かりましたと返事をして恋の所に行く。


「あたしまだ頑張れるから大丈夫だよ」


 恋の顔を近くで見ると赤い気がした。


 額に手を当てると熱かった。


「熱があるから、家に帰って休んだ方がいいよ」

「私が恋を家に連れて帰りたいけど、仕事しないと恋に嫌われるから幸君が連れて帰ってもらっていいかな?」

「分かりました。行くよ。恋さん」


 恋の返事を待たずに手を握って、恋を恋の部屋に送って行き店に戻る。


「恋に変なことしなかったわよね?」

「しなかったですよ。檸檬さん手を動かしてください」

「恋が近くにいないとやる気出ない」


 溜息をしながら手を動かす檸檬さん。


「客の前でやる気なさそうにするとかふざけるなよ!」


 不機嫌そうにしていた男子がとうとう切れたけど、檸檬さんは気にせずに髪を切り続ける。


 檸檬さんのその態度に男子は何も言わない。


「2度とこんな店にくるか!」


 髪を流してから乾かしていると男子は愚痴る。


「ワックスは使う?」

「つけなくていい」

「着けた方が今よりも格好よくなるよ」


 檸檬さんは使っていたドライヤーを止めて、俯き気味の男子の頬を両手で挟み上げる。


 鏡を見た男子は目を輝かせていた。


 男子嫌いの僕でも格好よく見えるようになっている。


 もう1度ワックスをつけていいかと檸檬さんが聞くと、男子は頷いた。


 髪型のセットが終わると、男子は微笑みながらまたきますと言って帰った。


 それから、仕事が終わるまでに4人の客がきた。


 全ての客が笑顔になっていた。


 少しだけ美容師という仕事に興味も持つ。


「今日はお疲れ。少ないけど受け取って」


 檸檬さんはレジから出した5千円を渡してくる。


「お疲れ。少ないけど受け取って」

「ほとんど役に立ってないので受け取れないです」

「役に立っていたとか、立ってないとかそんなの関係ないわ。働いたなら給料をもらうのが当たり前。受け取らないならもう手伝ってもらわないわ」

「ありがとうございます」


 檸檬さんの働いている姿をもう少し見たいから受け取った。


「お粥の作り方をもう1度教えてもらっていいかな?」

「いいですよ」


 檸檬さんと会話をしながら美容院を出ようとしていると、ドアが開いて中年の女性が入ってくる。


「檸檬ちゃん、まだしているかしら?」


 凄く嫌なそうな顔をした檸檬さんは、恋にお粥を作ってほしいと頼んできた。


 頷いて、恋の家に向かった。


 お粥が完成した所で、恋がリビングに入ってきた。


「百合中君、今日は途中で帰ってごめんね」

「気にしなくていいよ。それより、お粥作ったから食べる?」

「ありがとう。食べるよ」


 お粥を受け取った恋はソファに座った。


「昨日もそうだったけど、今日のお粥も本当に美味しいよ」


 夢中で食べる姿を見ると嬉しくなる。


「店の方はどうだったかな?」

「不機嫌そうにしていた男子が、カットした自分の髪型を見て目を輝かせていたよ。檸檬さんって凄いね」

「お姉ちゃんのしっかりしてほしい所はたくさんあるけど、人を笑顔にできる所は尊敬しているよ」

「恋さんは檸檬さんのことが好きなんだね?」

「……うん。好きだよ、お姉ちゃんのこと……」

「私も恋のことが大好き!」


 部屋に入ってきた檸檬さんは恋に抱き着く。


 恋は子どもをあやすように、檸檬さんの頭を撫でる。


 その姿を見て、無性に大好きな幼馴染達に会いたくなった。

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