159話目 ただのシスコンじゃなかった
眉間に皺を寄せて、檸檬さんが経営している美容院の前に立っている。
今日の土曜は愛も純も用事がないから、3人でゆっくりと過ごすつもりだった。
でも、檸檬さんに拉致されて、僕の予定が藻屑と消えた。
『らぶちゃんのことで話があって百合中君の家にきているから、ドアを開けてほしい』
7時前に恋からランイがきた。
玄関のドアを開けると檸檬さんがいた。
無理矢理車に乗せられて、ここまで連れてこられた。
開けなければよかったと、後悔している。
いや、まだ手はある。
隣にいる檸檬さんの方に顔を向ける。
「らぶちゃんとじゅんちゃんと遊ぶ約束をしていたから帰ります」
「恋のスマホで愛ちゃんに、幸君は今日1日私の美容院を手伝ってもらうねと送ったら、こうちゃん頑張ってねと返ってきたよ。大好きな愛ちゃんが応援してくれているのに帰るつもりかな?」
証拠と言わんばかりに、檸檬さんはスマホの画面を見せてくる。
確かに、檸檬さんが言う通りの内容が書かれている。
家に帰る選択肢はなくなった。
「昨日の今日で手伝ってもらって悪いわね」
「全然そう思ってないですよね?」
「そんなことないわよ。昨日恋に幸君の所為で嫌われたから、こき使おうとなんて1ミリも思ってないわよ」
ここまで大人気ない人を見たことがない。
美容院に入ると、髪がぼさぼさでパジャマ姿の恋がいた。
「あたしのスマホ……今日も百合中君にだらしない姿見られた!」
恋はそう言って、美容院から早足で出て行く。
数分して白のティーシャツに紺色のスカートを履いた、髪を整えている恋が戻ってきた。
「おはよう。恋さん」
「……おはよう。もしかして、今日もお見舞いにきてくれたの?」
少し赤くなった顔を逸らしながら聞いてきた。
「違うよ。檸檬さんに拉致されたよ」
「えへへ、拉致しちゃったわ」
レジ前の椅子に座っている檸檬さんはなぜか照れ笑いをしている。
「拉致しちゃったじゃないよ! お姉ちゃん、今すぐ百合中君に謝って!」
恋は檸檬さんの所に行き、少し強めな語調で言った。
「ごめんね。幸君」
「言い方が軽いよ! それに、どうしてお姉ちゃんは百合中君のことを下の名前で呼んでいるの!」
「百合中君より幸君の方が呼びやいからよ。恋も幸君って呼べばいいわ」
「こ、こ、こ、無理! 絶対に無理!」
「幸君、恋に嫌われているわね! 絶対に無理だって!」
嘲笑してくる檸檬さん。
「無理って、百合中君が嫌いって意味じゃなくて、男子を下の名前で呼んだことがなくて恥ずかしくてできないってことだから。勘違いしないでね、百合中君」
懇願した目をした恋は僕の方を見ながら、弱々しく呟く。
「大丈夫。恋が僕のこと嫌っているとは思ってないから」
「はいはい。2人でラブコメをしないで、恋は私をかまって」
膨れっ面をした檸檬さんが手を叩く。
「ラブコメなんてしてないよ! それより、なんでこんな所にあたしのスマホがあるの?」
レジ付近に置かれているスマホを指差す恋。
「幸君の連絡先を知らなかったから、恋のスマホを使ったわ」
「次にあたしのスマホを勝手に使ったら、お姉ちゃんと一生口聞かない!」
「2度と恋のスマホに触りません」
2人のやり取りが終わり、恋が近づいてきた。
「何度もお姉ちゃんが迷惑をかけてごめんね。嫌だったら、家に帰ってもいいよ」
「檸檬さんには確かに迷惑はかけられているけど、気にしなくていいよ。それに、昨日檸檬さんと美容院を手伝うって約束したからここにいるよ」
恋は檸檬さんに顔を向ける。
「あたし聞いてないよ」
「言うのを忘れていたわ。毎週土曜に幸君は手伝いにきてくれるからね」
胸を張りながら口にする檸檬さん。
初耳なことを自信満々に言わないでほしいな。
「毎週土曜は愛と純の時間が減るから嫌です。平日の放課後だったら、暇なのでいいですよ」
「ここは平日の夕方になるとほとんど客がこないから、早かったら16時に閉めているわ。手伝える時間がほとんどないわよね?」
学校を出る時間が15時30分を過ぎる。
どんなに急いでも、ここにくると16時前になる。
少しだけあった檸檬さんの美容院を手伝い気持ちが全てなくなった。
大好きな幼馴染との貴重な休日の時間がなくなるなら、檸檬さんの手伝いをしない方がいい。
でも、愛と純を僕の手で可愛くしたい気持ちもある。
「……いいですよ。土曜日、手伝います」
「ありがとう。今から具体的に何を手伝ってもらうか話すからこっちにきて」
檸檬さんに手招きをされたから、レジの前まで行く。
恋が持ってきてくれた折り畳み椅子に座る。
新しく持ってきた椅子を僕の隣に置いて恋が座る。
不満そうな顔をした檸檬さんは話し始める。
「美容院がしていることを大まかに分けると、カット、カラー、パーマの3つ。でも、私の美容院では9割以上がカットのみのお客が多いから、その時の補助をお願いするわ。最初は恋の動きを見て覚えてね」
「分かりました」
「ほとんどが常連しかいないから、緊張しなくていいわよ。9時がくるまでは自由にしていてね。分からないことがあったら恋に聞いてね」
説明が終わると、檸檬さんはスマホを触り始めた。
恋に話しかける。
「いつも朝の準備は何をしているの?」
「特にないよ。幸君は今まで接客のバイトをしたことある?」
「バイトをしたことがないな」
「だいたいの流れを説明するね」
客がきたら椅子まで案内して、客が椅子に座ったら客の見た目に合わせて雑誌を持って行くように言われた。
ほとんどないけど念のために、カラーやパーマの待ち時間に提供する飲み物を出し方も教えてもらった。
「少し時間があるから、百合中君練習してみる?」
「お願いするよ」
2人で出入口の近くに行く。
恋は檸檬さんの方に向かって言う。
「お姉ちゃん、お客さんの役してもらっていい?」
「客役やったら、キスしてくれるの?」
「目の前にお客さんがいるとして、接客をするから見ていてね」
「大好きな妹に無視されると、本気で死にたくなるからやめてほしいわ。接客するから無視しないで」
悲壮感を漂わしながら、僕達の所に檸檬さんがきた。
「無視しないから、真面目にお客さん役やってね」
「分かったわ。大好きな恋のために真面目にするね」
美容院から出て行った檸檬さんが、すぐに入ってくる。
「予約した檸檬ですけど」
「おはようございます。檸檬さんですね。こちらにどうぞ」
恋は大きな鏡がある椅子の所に行き、檸檬さんに座るように促す。
檸檬さんが座ると、恋はレジ近くにある雑誌を持ってきて「失礼します」と言って檸檬さんの前の机に置く。
「お客さんの案内が終わったら、お姉ちゃんの補助につくの。流れを理解するまではお姉ちゃんが言っていた通り、あたしを見ていた方がいいかな」
「ありがとう。恋さんを見ているよ」
「……あたしを見るんじゃなくて、あたしの動きを見てね」
恋はどこか嬉しそうに微笑みながら呟いた。
一通りの恋の動きを見て交代する。
客役を恋にしてもらい、接客をすると「普通過ぎて面白くない」と檸檬さんがぼやかれた。
少しして、ドアが開く。
20代ぐらいの女性が入ってきた。
早足でそこに向かう。
「カットの予約したんだけど」
「おはようございます。お名前お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「西山です。初めて見る顔だね」
「はい。百合中幸です。よろしくお願いします。今日から毎週土曜日にここの手伝いをさせてもらうことになりました」
「よろしくね」
客が檸檬さんを見る。
「それにしても、男子を手伝わせるなんて珍しいわね。檸檬が恋に男子を近づけるのって、小学生の頃から友達をしているわたしだけど見たことないわよ」
「本当は私も近づけたくないけど、恋が幸君のことを本気で」
今までに見たことがない速さで、恋が檸檬さんの所に行き口を塞ぐ。
「言わないで! 絶対に言わないで! 言わないって約束してくれたら今日一緒にお風呂に入ってもいい!」
檸檬さんが大きく頷くと、恋は手を放す。
「今日はお仕事終わり! 恋、家に帰って風呂に入るわよ!」
恋の手を摑み、店から出て行こうとする檸檬さん。
「お風呂は仕事が終わってから。きちんと、仕事しないと一緒にお風呂入らないから」
「私頑張るわ!」
元気溌剌な檸檬さん客を席に案内した。
それから、檸檬さんは客とどんな髪型にするか話し合って決めて、シャンプー台に移動した。
髪を洗い終えた客は元の席に戻り、カッパみたいなガウンを着せられる。
恋から櫛と鋏を受け取った檸檬さんは、西山さんの髪を切り始める。
檸檬さんは西山さんにフレンドリーに話しかけながらも、流れるように素早く髪を切っていく。
その姿が格好よく見える。
檸檬さんはただのシスコンじゃなかったんだな。
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