158話目 眼鏡女子のお見舞い
チャイムがなると、純は立ち上がって教室を出て行く。
純は鳳凰院とケーキバイキングに行く約束をしていた。
鳳凰院のクラスに向かったんだな。
愛の机に置いていたスマホが鳴った。
急いでスマホを触る愛。
「れんちゃんからだよ!」
昼休み、2年の漫研部の女子が車に乗って帰る恋を見たと言いにきた。
愛は慌てながら、恋にランイすると熱を出したと返ってきた。
「看病に行きたいけど、授業はちゃんと受けないと駄目だよ!」
休み時間になる度に、愛は自分に言い聞かせるように何度もその言葉を口にした。
愛が抱き着いてくる。
「れんちゃんの家に行って看病したいけど、らぶは部長だから漫研部に行くね!」
愛がスマホを見せてきたから画面を見る。
『副部長のあたしが部活に行くことができないので、部長のらぶちゃんに漫研部のことを任せるね』
恋は愛の扱いが上手いな。
「らぶの代わりにれんちゃんのお見舞いに行ってほしい!」
「いいよ」
「たくさん元気づけてきてね!」
愛はそう言って、教室から出て行った。
職員室に行き、恋の住所を聞いて恋の家に向かった。
校門を出て、僕の家と逆方向に歩く。
愛に頼まれているから、恥をかかせるわけにはいかない。
完璧なお見舞いをするために、何か買うためにスーパーに寄る。
スポーツドリンクと苺をかごに入れてレジに向かう。
「手作りをした方が絶対に愛情がある。でも料理下手だから、美味しく作れる自信がないわ。どうしたらいいのか分からないわ」
レトルト食品が並ぶ棚を通り過ぎようとしていると、ぶつぶつと呟いている女性がいた。
「愛情がこもっている、レトルトのお粥ってあるかな?」
女性は僕に近づいてきて、そう聞いてきた。
「店員に聞いた方がいいですよ」
「聞いたけどどれにでも入っているって言われたわ。愛情がどれにも入っているわけない。私の恋に対しての愛情は唯一無二よ」
熱く語る女性を無視してレジに向かおうとすると、かごを摑まれる。
「やっぱり愛情を込めるなら手作りよね。君、お粥は作れる? うん、作れそうな顔をしているわ。よし、私にお粥の作り方を教えて? ありがとう。よし、行くよ」
何も答えていないのに、勝手に話を進む。
女性は僕の手を摑んで、レジに向かっていく。
危険を感じて大声で叫ぼうとすると、口を塞がれる。
「大丈夫。変なことは何もしないから。お粥の作り方を教えてもらうだけだから」
顔を左右に振って女性の手を払う。
「初対面の人間の口を塞いでどこかに連れて行こうとしているのは、既に変なことをしているよ」
「確かに、君の言う通りだね。ごめんね、強引で。妹のことになると周りが見えなくなるのは悪い癖だね」
女性は僕から人1人分離れる。
「君がかごに入れているものは奢るし、他に私にできることだったら何でもするよ。だから、お粥の作り方を教えて欲しいわ」
大好きな人のために頑張ろうとする気持ちに共感できるから手伝うことにした。
かごに入っている苺とスポーツドリンクのお金を女性に出してもらって、女性の家に向かう。
数分して女性の家に着く。
表札には影山と書かれていた。
恋の名前を女性は口にしていた。
それに、加えて見に覚えのある家。
お粥の作り方を女性に教えてから、恋の家に行こうと思っていたけど手間が省けたな。
「さあ、遠慮せずにあがって。家に誰かを招いたことがないから、こういう時は飲み物を出した方がいいのかな?」
呆然としている僕に、玄関で靴を脱いでいる女性が話しかけてきた。
「気にしなくていいですよ。お粥の作り方を教えてから恋の顔を見て少しみて帰りますから」
「見ず知らずの男子に私の可愛い恋の顔を見せることはさせない!」
「恋とは同じ学校で顔見知りですよ」
「もしかして、君が百合中幸君?」
「そうですよ」
「自己紹介が遅れてごめんね。私の名前は影山檸檬。いつも妹がお世話になっています。私のことは檸檬って呼んでね。君のことは幸君って呼ぶね」
「分かりました」
キッチンに行き、周りのあるものを自由に使っていい了承をもらってから炊飯器の中を覗く。
ご飯が残っているから、これをお粥にしよう。
味付けはシンプルに塩だけでいいな。
作り方を隣でいる檸檬さんに教えようとしていると、ドアが開く音がした。
「お姉ちゃん、帰ってきたの? スポーツドリンクって家にあるかな?」
スマホを触りながら、こっちに向かってくるパジャマ姿の恋は寝癖なのかいつもより髪がはねている。
さっき買ったスポーツドリンクを袋から取り出して差し出す。
「あるよ。はい」
「ありが…………。何で、百合中君があたしの家にいるの⁉」
目を見開いた恋は勢いよく後ろに下がって頭を壁にぶつけて、その勢いで着けていた眼鏡を落とす。
眼鏡を拾って、頭を押さえている愛に渡す。
「スーパーで出会った檸檬さんにここに連れてこられた」
「あたしのお姉ちゃんが迷惑をかけてごめんね。本当にごめんなさい」
恋は眼鏡をつけてから、頭を深々と下げて謝った。
「謝らなくていいよ。恋さんは悪くないから。それより、体調の方は大丈夫?」
「ありがとう。朝微熱で、今は平熱だから大丈夫だよ」
「恋は病み上がりなんだから、ソファに座っていて。すぐに、お姉ちゃんが美味しいお粥を作るから」
檸檬さんは恋の背中を押しながら、ソファの前まで連れて行く。
「お姉ちゃんは料理できたの?」
「教えてもらうから大丈夫よ」
「百合中君に?」
「そうよ。そのために、家にきてもらったんだから」
「百合中君の言うことをきちんと聞いて料理を作ってね。迷惑をかけたら駄目だよ」
「分かっているわよ。そもそも、私が誰かに迷惑をかけたことなんてないわ」
「……」
恋にジト目をされた檸檬さんは気にすることなく、僕の所に戻ってきた。
炊飯器にご飯が残っているからこれを使おう。
鍋にご飯、適量の水、塩を入れて煮込むだけ。
数分でお粥が完成。
ソファの前の机におずおずとお粥を置く檸檬さん。
お粥を食べようとする恋を、恋の対面に正座をしている檸檬さんは凝視する。
檸檬さんの隣に座っている僕にも、緊張感が伝わってくる。
「そんなに見られると食べにくいよ」
「だって、久しぶりに料理を作ったから心配だよ。まずかったら吐き出していいからね」
「すごく美味しそうな匂いしているから大丈夫だよ。お姉ちゃん心配し過ぎだよ」
「分かったわ。恋が食べやすいようにテレビでも見ているね」
テレビを見始めた檸檬さんだけど、恋のことを何度も一瞥している。
恋は溜息をしてから、お粥を口の中に入れた。
「塩加減が丁度よくて美味しいよ。ありがとうね、お姉ちゃん。それと、百合中君もありがとう」
「やっほー! 恋がデレたー! 私の妹が可愛過ぎる!」
立ち上がった檸檬さんは踊りを始めた。
「お姉ちゃん百合中君の前ではしゃがないで!」
「普段褒めてくれない恋が褒めてくれたから、はしゃがずにはいられないわ!」
恋が檸檬さんを叱るが全く効果がなく、檸檬さんの踊りのキレがよくなっている気がする。
お粥を食べた恋は僕に視線を向ける。
「あたしの部屋に行こう」
「部屋で2人きりになるのは恋にはまだ早すぎるわ! お姉ちゃん絶対に許しません!」
ぴたりと動きを止めた檸檬さんは語調を強くして愛に言った。
「百合中君、行こう」
恋と一緒に部屋を出た。
「恋にはエッチなことをするのはまだ早い」
そんな声を背に階段を上る。
恋の部屋に入ってすぐに、僕の方に振り向いた恋は真顔。
「お姉ちゃんが迷惑をかけてごめんね」
「気にしなくていいよ。それより、恋さんは体調を崩していたから、ベッドで横になった方がいいよ」
「そうするね」
ベッドに横になった恋の近くの床に腰を下ろす。
愛に恋を元気づけるように言われたけど、どうすればいいか分からないので本人に聞こう。
「僕に何かしてほしいことある?」
「……お見舞いにきてくれただけで嬉しいから特にないよ」
「遠慮しなくていいよ」
「…………手を繋いで……ほしいです。やっぱり、さっき言ったことはなしで」
恋は赤くなった顔を毛布で隠す。
「それぐらいなら別にいいよ」
ベッドの上に手を乗せる。
ゆっくりと毛布から手を出した恋は僕の手を優しく握る。
「……百合中君の手……温かい」
「僕の手よりじゅんちゃんの方が温かくて気持ちいいよ。らぶちゃんの手は冷たくて気持ちいいいけど」
「そうなんだね……あたしが眠るまで手を繋いで……ほしい……かな」
「いいよ。恋さんが眠るまでここにいるよ」
「……ありがとう……百合中君の手……握っていると…………すごく…………安心できて…………」
恋は少しずつ目を細めて今にも眠りそう、
「恋、男の前で眠ったら食べられるよ! だから、絶対に眠ったら駄目!」
檸檬さんが勢いよくドアを開けて入ってきた。
目を見開く恋。
「恋が手を繋ぐのは私とだけ! 今すぐ幸君から手を離しなさい」
「あたしが誰と手を繋ごうとお姉ちゃんには関係ないでしょ!」
「関係あるわ! 男はみんな狼よ! 少しでも気を許したら恋の大事なものが食べられるわ!」
恋は顔を真っ赤にする。
「お姉ちゃん最低! 今すぐ部屋から出て行って!」
出入口で立っている檸檬さんに恋は枕を投げて全身に毛布をかぶる。
魂が抜けたような顔をした檸檬さんは部屋から出て行った。
「……変な所見せてごめんね」
「気にしてないから、恋さんは眠るといいよ」
「……ありがとう」
数分後、寝息が聞こえてきた。
部屋を出ると、目前に腰に手を当てて眉間に皺を寄せている檸檬さんがいた。
「私の大事な妹に何もしてないよね?」
「何もしてないですよ」
「なんで何もしてないの⁉ 可愛い恋と部屋で2人きりになったら、手を出したくなるわ‼ 幸君はそれでも男⁉」
怒鳴られる理由が意味不明。
無視して階段を下りる。
靴を履いていると、檸檬さんが足にしがみついてきた。
「恋に嫌われて傷ついたから慰めて帰って!」
引き剥がそうとしたけど、できなかった。
自然と溜め息が出た後、分かりましたと答える。
リビングに入ると紅茶を入れてほしいと言われた。
嫌々キッチンに向かう。
ペットボトルの紅茶をコップに入れて、檸檬さんに渡す。
「私の分だけしかないの? 遠慮しなくて、幸君も飲んでいいわよ」
「すぐに帰るからいいです」
「そんなことは言わずにゆっくりしていって。最近、何か面白いことあった? エッチなことでも可」
「面白いこともエッチなこともなかったので帰ります」
無茶ぶりしてくる檸檬さんが面倒。
帰ろうとすると、再び足にしがみついてくる。
「家に帰って晩飯を作りたいから、用件があるなら手短に言ってください」
「私の美容院を手伝ってほしいわ」
「嫌です」
「何で嫌なの?」
「美容師に興味がないからです」
「興味なら私が持たせてあげるから手伝ってほしいわ」
今が19時。
純はケーキバイキングに行くって言っていたけど、晩飯はいらないとは言ってない。
急いで帰らないと。
「手伝ってくれたら、幸君の幼馴染達を可愛くする方法を教えてあげるわ」
「檸檬さん……いや、師匠。美容院を手伝わせてください」
僕の手で今以上に愛と純を可愛くできるなら、喜んで檸檬さんの仕事を手伝いたい。
「いいよ。ただし、恋には手を出したら駄目だよ?」
「絶対に出しません」
「あんなに可愛い恋に手を出さないなんて、幸君は男が好きなの?」
「大嫌いです!」
思わず前のめりに言ってしまう。
「僕は恋愛に興味がないだけです」
「そっか。変わっているわね」
変わっている人に変わっていると言われると苛つくな。
恋の家を出る時、檸檬さんが「落とすのは難しいかもね」と呟くのが聞こえた。
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