144話目 わたし、重たくないです
喉が渇いて目を覚ますと、真っ暗だった。
スマホを見ると、4時過ぎで起きるにはまだ少し早い。
目を瞑るけど眠れそうにない。
仕方なく1階に向かう。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
階段を下りると、剣が涙声で謝っているのが聞こえてきた。
リビングのドアを開ける。
スマホを耳に当てて頭を下げる剣がいた。
「もう少しだけ待ってください。お願いします。そこをどうにかお願いします」
踏み込まない方がいいな。
水を飲んで部屋に戻る。
「……百合中君起きていますか?」
椅子に座ってスマホを触っていると、剣の声がした。
「起きているよ」
「……部屋に入っていいですか?」
「いいよ」
「……失礼します。こんな時間にすいません」
「それはいいけど、どうしたの?」
剣は俯きかけて首を左右に振る。
「……相談したいことがあるんですけどいいですか?」
僕が頷くと、剣は話し始めた。
剣はアイドルになって、妹のスバルとユニットを組む。
最初の仕事は、来年の1月1日の19時の生放送の音楽番組で歌って踊る。
でも、アイドルになれる気がしないから、アイドルになれるように手伝ってほしいと。
「……どうしても、わたしはアイドルにならないといけないんです」
「髪を切ってまで人見知りを治そうとしたのは、アイドルになるため?」
「そうです。百合中君達のおかげで人前でも話せるようになりました。でも、たくさんの人の前で歌って、踊れる自信はありません」
「アイドルのこと全然知識ないから、他の人に協力してもらって方がいいんじゃない?」
「……頼れる人が百合中君以外いません」
捨てられた子犬のような目で見られて、断る気がなくなった。
「いいよ。力になれることはあまりないと思うけど」
「ありがとうございます。本当にありがとうございます」
デビューする音楽番組で剣がすることは、歌う前の司会者とのトークと歌いながら踊ること。
この音楽番組を見たことある。
トークは司会者に質問されたことを答えるだけだから難しくない。
歌いながら踊ることに関しては僕が見た所で、良し悪しは分からない。
人前で最後まで踊り切れるようにすればいいな。
「剣は何が1番自信ないの?」
「トークするのが自信ないです。歌と踊りは少しだけ自信あります」
「それじゃあ、苦手なトークから練習しようか?」
「……分かりました」
向き合うと、剣はおずおずと僕の顔を見る。
司会者の真似をできるだけして剣に質問していく。
「スバルちゃんはこの番組出たことあるけど、剣ちゃんは初めてだよね?」
「……はい」
「緊張していて、初々しいね。剣ちゃんはテレビに出るのは初めてなんだよね?」
「……はい」
「それじゃあ、おじさん色々聞いちゃうよ。剣ちゃんの特技はなにかな?」
「……裁縫」
「いいね! 女子っぽいね。もっとプライベートなこと聞いちゃうよ。休みの日は何しているのかな?」
「……特に何もしていません」
「それじゃあ、最後に尊敬している人は誰か聞こうかな」
熱い視線を僕に浴びせながら口を開く剣。
「……百合中君です」
「テレビで僕の名前を言っても、ほとんどの人が分からないから無難に好きな芸能人をあげた方がいいよ」
他の答えもそっけなくて、直した方がいいかも。
いや、そっけないアイドルもありなのか?
アイドルのことを全く知らなくて、どうすればいいのか分からない。
考えても分からないからトークのことは後回しにする。
ソファの前で剣に歌いながら踊ってもらった。
最初は恥ずかしそうにしていた。
次第にぎこちなさがなく堂々最後まで踊りきった。
「上手くできていると思うけど、具体的に指摘することはできないよ」
「練習用のDVDがあるので、一緒に見てもらっていいですか?」
「いいよ。それがあるなら少しは協力できそう。練習用のDVDってスバルが踊ってる?」
「はい。そうです」
「らぶちゃんにも見せてあげていい?」
「情報が漏れると絶対に駄目なので、見せることはできません」
「剣がアイドルになることも秘密にした方がいい?」
「そうですね。そうしてほしいです」
僕以外の前で剣が恥ずかしがらずに、歌って踊れるか確認したいけど無理そうだな。
いや、剣が緊張せずに踊って歌えることを確認するだけならやりようはある。
「大人数の前で歌って踊ることを、剣が入る事務所に禁止されてる?」
「されてないです」
「テレビ番組以外での曲を歌って踊ることはできる?」
「……少し時間があれば誰かの動画を見て、その人のように踊ることはできると思います」
今は6時前。
「1時間で真似できそう?」
「頑張ってみます。誰を参考にしたらいいですか?」
「剣がやりやすい人でいいよ」
「わかりました。やってみます」
剣はその場に座って、スマホでアイドルのpvを見始める。
掃除をして朝食を作り終わる頃に、剣と約束している時間になった。
「踊れそう?」
「……踊れると思います……たぶんですけど……」
「朝食を食べてから、らぶちゃんとじゅんちゃんを迎えに行って、その後2人の前で踊ってもらうね」
「…………はい」
剣は自信がなさそうにおずおずと頷く。
朝食を食べた僕達は愛と純を迎え行ってから、自宅に戻ってきた。
ソファに座る愛と純の前に剣は立つ。
スマホで音楽をかける。
アップテンポな曲が流れ始めたけど、剣は棒立ちで動こうとしない。
音楽を止めようとしていると、愛が立ち上がって体を大きく動かしながら踊り、純は曲に合わせて口ずさむ。
剣は2人の姿を見て小さく頷いてから、ゆっくりと踊り始める。
最後には堂々と踊ることができた。
「剣。もう、一回、おどろ、う」
激しく踊った愛は息切れをしながらソファに寝転ぶ。
「いい、で、すよ」
剣も疲れたのか、床に座り込む。
登校時間になっても2人は動けそうにない。
「僕が剣を背負って学校に行くから、じゅんちゃんはらぶちゃんを背負ってもらっていい?」
「私の方が力あるから、重い剣を背負う」
「僕の方が力あるから、重い剣を背負うよ」
純の意見に反対したくないけど、純には愛を背負ってほしいから譲れない。
話し合った結果、腕相撲で勝った方が剣を負けた方が愛を背負うことになった。
結果は、純の圧勝。
純は剣の前でしゃがむけど、剣は乗ろうとしない。
「……わたし、重たくないです」
剣が何かを呟いて物凄い速さで部屋を出て行く。
後を追うけど、学校に着いても剣の姿を見ることができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます