139話目 そいつ

 いつもより登校時間が遅かったけど、朝のホームルームが始まるまで時間に余裕がある。


 学校の靴箱で靴を履き替える。


 近くから生徒達の話し声が聞こえてくる。


「絶対嘘だろ。坂上高校にいないよ」

「そうだよな。こんな田舎にアイドルがいるはずないから、見間違いだよね。しかも、この学校の制服を着ていたから絶対に見間違いだよな」

「でも、わたしも見たけどスバルにそっくりというか本人そのものだったよ」

「スバル‼ スバルが学校にいるの⁉」


 愛は上靴を履かずに靴下で噂話をしていた女子の所まで行き、大声でそう聞いた。


 少し前にここにいて、階段を上って行くのを見たと女子が答える。


 愛は走って階段に向かう。


 愛の上靴を持って、純と一緒に愛を追いかけた。


 2階の踊り場で息を切らしながら立ち止まっている愛がいた。


 愛に上靴を渡すと、階段の段差に座って履いた。


 ここでも、スバルのことを話している生徒が多い。


 3年の教室にスバルが入って行くのを見たという声が聞こえてきた。


 急げば3年の全ての教室を見て回ることはできる。


「こうちゃん、抱っこしてほしい」


 抱えられることを嫌がっている愛が自分からお願いしてきたことに驚く。


 余程、スバルに会いたいんだな。


 愛を抱えて、純と一緒に早足で3年の教室に向かった。


 階段から1番近い3年1組に入ると、全生徒が僕達の方に視線を向けてすぐに逸らす。


 口々にスバルが戻ってきたのではないのかと、落胆した声が聞こえる。


 いつぐらいにスバルが教室を出て行ったのか訊くと、数分前と答えた。


 数分前ならまだ学校にいる可能性がある。


 2年の教室に向かって愛と純と別れてから、学校中を走り回ってスバルを探すが見つからない。


 おばけ以上に、アイドルがこの学校にいることが信じられない。


 でも、結構の人数がスバルを見たと言っているから探す価値はある。


 外に出て学校の周りを探したけど、スバルは見つからない。


 走り疲れて僕のクラスに戻る。


 休み時間で男子は体操服を持って廊下に出ていた。


 ……3時間目は体育の授業でマラソン。


 初めて授業を本気で休みたいと思った。



★★★



 教室から出ると、愛と恋が言い合いをしている。


「部長が理由もなく部活を休むのは駄目だよ!」

「理由はあるよ! スバルを探しに行くよ!」

「スバルって噂になっている坂上高校に転校してきたかもしれないアイドルのことかな?」

「そうだよ! らぶはスバルに会って、いつからアイドルを始めるのか聞きたい!」

「本当にアイドルのスバルが転校してきたなら明日学校で会えるよ。だから、今日は部活行こう」

「今すぐスバルに会いたい! スバル! スバル!」


 はいはいと言って、恋は愛の手を摑み引っ張る。


「らぶちゃんの今日の部活を休ませてほしい」

「百合中君の頼みならいいよ」


 僕の言葉に、二つ返事をする恋。


 恋と別れてから、愛と一緒に純を教室まで迎えに行って学校を出た。


 休み時間に担任から転校生も名前がスバルの女子もいないと教えてもらった。


 学校にスバルがいないと知ったら愛ががっかりするだろうな。


 いや、まだいないと決めつけるのは早い。


 スバルというのが芸名で本名は違うのかも。


 芸能活動をしていたから休学して、アイドルユニットが解散したから復学したのかも。


 そう考えると、まだ坂上高校にスバルがいる可能性がある。


 曖昧なことを伝えて余計に愛を悲しませたくないから、このことは伝えてない。


 コンビニの前を通る。


 薄ら寒い笑顔を浮かべながら、雑誌を立ち読みしている男子がいることに気づく。


 嫌いでは表現できないほど憎悪をもっている相手。


 心の底から関わりたくない。


 通り過ぎようとしていると、そいつは顔を上げて汚らわしい笑顔のままこっちくる。


 愛と純の手を繋いで早足で歩く。


 そいつは僕の前に涼しい顔して立ち塞がる。


「久しぶりだね。百合中、小泉とそこにいるのは矢追かな?」

「そうだよ! らぶだよ!」


 僕と純はそいつを睨みつける。


 愛だけは笑顔を浮かべて答える。


「いいよ! すごく、いい! 睨まれて気持ちいい!」


 きもっ!


 そんな感情が心の底から湧き上がる。


「誰? 名前教えて!」

「いいよ。おれの名前は鈴木笑夢。名前の通りMだよ」

「M?」

「Mっていうのは」


 愛の耳が汚れてしまう。


 そいつの声が聞こえないように、愛の両耳を手で塞ぐ。


「苦痛をあたえられることに興奮することだよ。苦痛には肉体的と精神的がある。おれはどっちにも興奮する好き嫌いしないM。2つに簡単に分けたけど、奥が深くて」


 愛を抱えてから純の手を握って逃げようとするけど、そいつに回り込まれる。


「鬼ごっこしてるみたいで、楽しいよ! らぶも鬼をするから、下ろしてよ!」


 足をばたばたと動かしている愛をゆっくりと下ろす。


「ここで鬼ごっこしたら危ないから、先にじゅんちゃんと公園に行ってもらっていい?」

「いいよ! 行こう! じゅんちゃん!」

「……」


 愛は公園の方に向かって走る。


 純は僕の方に視線を向ける。


「僕は大丈夫。話が終わったらすぐに行くから」

「……おう」


 小さく頷いた純は愛の後を追う。


 そいつは煽ってくるから、相手のペースにならないように深呼吸して心を落ち着かせる。


「僕達を呼び止めて何がしたい?」

「普段は人畜無害な目をしているくせに、今の雄々しい目つき最高に滾るよ! そのまま、おれのことを罵倒してくれ! 暴力でもいいよ!」

「……」


 うざ過ぎて思わず黙る。


「無視されるのも気持ちいい! いいよ! もっと冷たい視線をおれに注ぎながら無視して!」


 手に負えない変態だから、通報するためにスマホを取り出す。


「真面目に話すから通報するのはやめて。百合中は何が聞きたいの?」

「次、面倒臭いこと言ったら、問答無用で110番する。さっきも言ったけど、僕達を呼び止めて何がしたい?」

「百合中は勘違いしている」


 そいつは1歩僕の方に近づいてくる。


「おれが用事あるのは、百合中達じゃなくて、百合中だけだ」

「……」


 気持ち悪い台詞に蕁麻疹がした。


「おれは百合中に顔面を殴られた感触を今でも忘れることができない。体重が乗っている拳で、脳が揺らされて最高に気持ちよかった。殴ってくれるなら何でもする。だから、おれを殴ってくれ」


 頭を深々と下げるそいつにドン引き。


 そいつが気持ち悪すぎて、我慢の限界がきたから全力で逃げる。


 立ち塞がろうとするそいつを避けて追い抜く。


 少しして振り向き追いかけてきたそいつの足を引っかける。


 そいつは勢いよく倒れて顔面を地面に打つ。


「おれが望んでいる以上のご褒美をくれる百合中は最高だよ!」


 そいつはすぐに立ち上がって、鼻血を垂らしながら笑みを浮かべる。


「ありがとう! 満足したよ! 痛みつけられたくなったらまたくるよ!」

「2度とくるな!」


 そう叫ぶけど、スキップして去っているそいつには届いていないようだった。

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