131話目 家庭科部顧問
放課後、調理実習室の冷蔵庫を開くと空っぽだった。
食材を買うために、剣が住んでいるアパートの近くのスーパーに向かう。
僕が週に1回は買い物に行くスーパーより牛乳が安かったから、こっちにきている。
店内に入ってかごを持って、乳製品コーナーに向かう。
剣が横に並んでくる。
今日、純は鳳凰院の家で晩飯を食べる。
部活で大目に食べて、夜に食べないでいいようにしよう。
部費が結構残っているから、高級食材を買おう。
普段高いものを食べないから何を買えばいいか思いつかない。
剣に聞いてみるか。
「剣は何か食べたいものない。部費が結構余っているから、スーパーにあるものだったら大抵買えるよ」
「浮かんでこないです。百合中君は何かないですか?」
「僕は食べられたらなんでもいいよ」
「そうですか……寒いので鍋とかどうですか?」
「いいね。高めな肉や蟹を入れて豪華にしようか」
「はい。それがいいです」
牛乳をかごに入れて、鍋の食材を集める。
「そこのカップルさん! カップルさん!」
白菜、ねぎ、人参をかごに入れて肉コーナーに向かう。
近くにいた中年の女性が快活に僕達に話しかけてきた。
無視して松坂牛鍋用の肉をかごに入れていると、
「……わたしと百合中君は付き合っていないです。それに何をしても駄目なわたしと、何でもできる百合中君では釣り合ってないです」
剣は中年女性に向かって小声で言った。
中年女性は剣の目前まできて、「そんなことないわよ」と口にする。
剣は首を大きく左右に振って否定。
剣の長い髪が中年女性に当たる。
「あなたがどう思っても、おばさんには2人が恋人に見えたから自信をもちなさい」
髪が当たったことを中年女性は気にした様子もなく、親指を立てながらドヤ顔をする中年女性。
「……ありがとうございます」
「自信を持つためにはたくさん食べないといけないから、ウィンナーをおすすめするわよ」
「……分かりました。……買います」
近くにある売り場から中年女性は大量のウィンナーを手にして剣に渡す。
毎日家庭科部で使えばなくなる量だけど、絶対に飽きるからそんなにいらない。
1袋を剣から受け取ってかごに入れる。
残りを戻そうとすると、剣に手を摑まれる。
「たくさん食べて自信をつけたいです」
「ウィナーを食べただけでは自信はつかないよ」
「……」
無言で僕の手を握る力を強める剣。
「ニンジンを星やハートの形にして入れて鍋を可愛くしようか?」
「します!」
剣は持っていたウィンナーを売り場に戻して、僕の手を引っ張りながらレジに向かう。
買い物を終え部室に着き、鍋の材料を切っているとジャージ姿の女性が入ってくる。
確か、2年の女子の体育を担当している先生だな。
「初めて見るわね。あなたも家庭科部かしら?」
「そうですよ。先生は家庭科部の顧問ですか?」
「そうよ。と言っても、1年以上部活に顔を出していないわ。ごめんね」
「謝らなくていいですよ。剣と2人で上手くやれているので」
「それなら謝らないわ。確認したいことがあってきたのだけど、すごく美味しそうな蟹があるわね」
先生は涎を垂れしながら、キッチン机に置かれた蟹を凝視する。
「先生も一緒にたべますか?」
「食べる!」
剣の言葉に即座に反応する先生。
鍋を完成させて、机の真ん中に用意していたカセットコンロの上に置く。
直接食べようとする先生に小皿を渡す。
僕と剣は先生の対面に座って、食事を始める。
「この蟹を口に入れた瞬間とろけて美味しいわ。お肉も噛んだ瞬間肉汁が口の中に広がって幸せ」
数分も経たないうちに、3人前の半分ぐらいを先生が食べる。
部費で買った材料だから文句はない。
剣が箸を落とす。
箸を拾って洗い剣に渡して食事に戻る。
先生は手を止めてニヤニヤしながら聞いてくる。
「2人は付き合っているの?」
剣は僕を一瞥してから俯く。
「付き合ってないですよ」
剣の代わりに僕が答える。
「その反応は本当に付き合ってないやつね。面白くないわね。でも、手際よく2人で料理を作っている姿や、音倉さんが拾う前にあなたが箸を拾う姿をみていたら付き合っているんじゃないかと思うほど仲よしに見えるわよ」
「2年ぐらい一緒に部活をしていたら仲よくもなりますよ」
「音倉さんは彼のことをどう思っているの?」
剣は顔をゆっくりと上げる。
「……百合中君にはたくさんお世話になっていて感謝しています」
「感謝しているだけ?」
「……それだけじゃないです。わたしは百合中君のことが…………好きです、人として」
「今の音倉さんすごく恋する乙女っぽくて可愛いわよ!」
先生は剣の所に行き、剣の顔に頬擦りをする。
「音倉さんの顔は髪で隠れて見えないけど、音倉さんが照れているのをなんとなく分かるわ。すごく可愛いわ」
「…………」
剣は震えた手で僕の肩を摑む。
「鍋のしめにおじやをするので、残っている具材を早く食べましょう」
「分かったわ! おじや楽しみ!」
先生は早足で席に戻る。
おじやも食べ終えたから後片付けをする。
食器を重ねていると、剣が私1人で片付けると言ったから任せる。
「あなたは何で家庭科部に入ったの?」
先生が僕の隣の席に座って聞いてきた。
「剣に勧誘されたからですよ」
「音倉さんが勧誘したの⁉ 本当に⁉ あなたが自主的に入ったんじゃなくて⁉」
目を見開く先生。
「本当ですよ」
剣の方を一瞥した先生は顔を近づけてきた。
「先生は3年間音倉さんの担任をしていて、教室で誰とも話さない音倉さんの様子を知っているの。だから凄い意外だったわ。今までで1番驚いたわ。本当にあなた達付き合っていないの?」
「付き合ってないですよ」
「おかしいわね。あそこまで内気だった音倉さんが変わったのは恋の力だと思ったのに」
「僕はそこまで剣が内気なイメージないですよ。何度か部活に入ることを断ったのに勧誘してきましたからね。剣は少し人見知りするだけですよ」
「職員会議あるのを忘れていたわ。2人ともごちそうさま」
先生は慌てたように立ち上がって、出入口の方に向かう。
「後輩に送別会をしてもらって本当によかったわね」
ドアに手を掛けた先生は振り返って、剣に向かって言った。
その瞬間、パリンと皿が割れる音がした。
音がした流しの方を見ると剣がいない。
うわぁーと先生の悲鳴が聞こえる。
そっちを見ると、先生が尻餅をついて隣に剣が立っている。
「どういうことですか?」
「……突然、音倉さんが横に現れたから驚いたわ。ごめんね」
「驚かしてごめんなさい。それより、送別会って何のことですか?」
「3年生の部活は12月にある期末テストの1週間前で終わるのよ。そのことを知っているから早めに送別会をしているんじゃないの?」
勢いよく顔を左右に振る剣。
「そうなのね。でも、この学校は校則が緩いから卒業まで部活しても大丈夫よ。2人ともごちそうさま。時々様子を見にくるようにするわね」
先生が出て行ってからも、剣は動くことなく棒立ち。
話しかけても動く気配がない。
剣の割った皿を片付けて、残り食器を洗って、カセットコンロを引き出しの中に片づける。
鞄を持って、剣に話しかけるが反応がない。
先に帰ろうと、剣に上着の裾を摑まれる。
今日は純の晩飯を作らなくていいから急がなくていい。
剣が自発的に動くのを待つ。
見回りの先生が早く帰えるようにと言いにきた。
それでも動こうとしない剣を引き摺りながら教室を出た。
力を入れて踏ん張っている剣を校門まで連れてくる。
時間がかかって、スマホを見るともうすぐ21時。
愛が僕と一緒に勉強するために待っているかもしれない。
今すぐ家に帰りたい。
「僕の服から手を放してほしい」
「……百合中君は3年生になっても家庭科部を続けますか?」
「やめるよ。僕が家庭科部を続けているのは、剣に対して恩があるからだよ」
高1の春に不慮の事故で愛は純の頬にキスをする。
それを見た僕は、百合好きになった。
女子同士が仲良くしているだけなら暴走することはなかったけど、愛と純がスキンシップ……楽しそうに会話しているだけで興奮した。
時間が経つに連れて、愛、純に無茶なお願いをしたくなる。
『手を繋いでほしい』
『キスをしてほしい』
『エッチなことをしてほしい』
何度も口にしそうになったけど、どうにか我慢することはできた。
でも、その我慢は長いこと続かなくて……そんな時に、剣が僕の前に現れて、
『……家庭科部に入ってほしいです』
と言った。
愛、純から離れて冷静になれる時間がほしかった。
剣の言葉に頷いて、家庭科部に入部。
今も大好きな幼馴染達と一緒にいられるのは剣のおかげだと思う。
剣に感謝をしているから、僕の問題が解決しても家庭科部を続けている。
だから、剣がいないなら家庭科部を続ける意味がない。
剣は僕から手を放して首を左右に大きく振る。
「…………恩があるのは、助けられたのはわたしの方です。あの時も百合中君はわたしのことを助けてくれました」
「こうちゃん! 迎えにきたよ!」
後ろから愛の声が聞こえてきた。
振り向くと、愛が僕の胸に飛び込んでくる。
「こうちゃん! 勉強する時間だよ! 早く! 早く! 家に帰って勉強するよ!」
抱き着いたままぴょんぴょんと飛び跳ねる愛は僕の隣にいる剣の方に顔を向ける。
「おばけ⁉ こうちゃん‼ おばけ⁉ こうちゃんおばけ⁉」
絶叫した愛は僕の上着に頭を突っ込みながら震える。
服の上から愛の頭を撫で続けても、愛の震えが収まらない。
「……今からわたしも百合中君の家で勉強していいですか?」
「勉強! そうだよ! 早く帰って勉強するよ!」
勢いよく顔を出した愛は僕の手を握って、家の方に向かって歩き始める。
家に着き、愛は僕から手を離してリビングに入る。
愛を追ってもいいけど、ここまで僕達についてきた剣のことが気になる。
玄関のドアを開ける。
小刻みに震えて棒立ちしている剣がいた。
「家の中に入る?」
「……」
俯いたまま動こうとしない剣。
その内寒さに負けて帰るだろう。
リビングに入り、ソファの近くの机の前に座っている愛の隣に腰を下ろす。
勉強を始めて数分が経って、机に頭をのせた愛は寝息を立てる。
愛の眠気覚ましにコーヒーを作るために席を立つ。
ついでに剣が帰ったか確認しよう。
玄関のドアを開けた瞬間、剣は冷え切った手で僕の手を摑む。
「家庭科部をやめなでください」
目前で言われたから弱々しい声でもどうにか聞こえた。
「何を言われても僕は家庭科部を続けるつもりはないよ」
部活をやめれば幼馴染達といる時間が増えるから、絶対に続けるつもりはない。
少し、疑問に思ったことがあって口にする。
「どうして剣は僕が家庭科部をやめるのを反対するの?」
「………………」
長い沈黙の後、剣は僕から手を放し去る。
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