117話目 変態の母

 夕方になって、やっと恋の家から自宅に帰れた。


 愛と純不足で死にそう。


 自宅の玄関で靴を脱いでいる音色より先にリビングに入る。


 床に3人が川の字で眠っていた。


 愛と純の寝顔には癒されるけど、2人の真ん中で寝ている坊主男子が邪魔。


 隣にいた音色と頷き合って、僕は坊主男子の頭、音色は坊主男子の足を持ち上げてソファに寝かせる。


 もう1度頷き合って、僕は愛を優しく抱えて純の真横にゆっくりと降ろす。


 音色はその間にこの部屋の引き出しから薄い毛布を取ってきて2人にかける。


「それでは2人ともいただくっす」


 音色は2人の前で膝をついて両手を伸ばそうとしていた。


 腰を摑んで後ろに引っ張る。


「何するっすか⁉」

「それは僕の台詞だよ! 気持ちよさそうに寝ているらぶちゃんとじゅんちゃんのお昼寝を邪魔するな! そもそも、らぶちゃんとじゅんちゃんに触れようとするな!」

「お兄ちゃんはそれでも百合好きっすか!」


 意味の分からないタイミングで音色が切れる。


「お兄ちゃんには愛×純という推しカップルがあることは知っているっす! でも、真の百合好きは女同士の触れ合いを邪魔しないものっす!」

「音色はらぶちゃんとじゅんちゃんのどこを触ろうとしていたの?」

「もちろん、お尻と胸っす!」

「お前がしようとしていることは、触れ合いじゃなくてセクハラだよ!」


 音色を持ち上げて部屋から出す。


「目の前に女子がいるなら、ぼくは何度でもセクハラするっすよ!」


 このまま家から追い出しても、愛が招き入れる可能性は高い。


 脅すじゃなくて、説得しないと。


「音色がらぶちゃんやじゅんちゃんに変なことするなら、僕は恋とその度にデートに誘うよ」


 話している途中で、玄関が開く音がしてそちらに顔を向けると恋がいた。


「嫌っす!」

「喜んで!」


 不満そうに頬を膨らませる音色と満面の笑みを浮かべる恋の言葉が重なる。


「……どんな理由でも百合中君がデートしてくれたら嬉しいから……誘ってくれるの待ってるよ」

「……死んだぁ……っす」


 そう呟いた音色は尻餅をついたまま固まる。


「また機会があったら誘うね」

「うん。待ってる」

「らぶちゃんに用事?」

「うん。らぶちゃんの家にいったら、百合中君の家にいるって琴絵さんが教えてくれたからここにきたの」

「らぶちゃんは寝ているから、起きるまで待ってもらっていい?」

「いつまでも待つ」


 椅子に座って恋と小さな声で雑談していると、音色がやってくる。


「他人の気持ちを勝手に言うのは好きじゃないっす。でも、今のままでは脈がないっす。お兄ちゃん、聞いてほしいっす。恋さんはお兄ちゃんのことが」


 恋は音色の手を引っ張って、早足で部屋を出る。


 玄関の扉が閉まる音がしたから、外に出たことが分かった。


 愛と純の近くに座って、スマホでWEB漫画を読む。


 2人が僕の方に向かって寝返りをして、僕の太ももにしがみつく。


 頭を撫でると、2人が僕の太腿にすりすりと顔を擦りつけてきて癒される。


 今日の晩御飯を何にしようかな。


 げっそりとした顔の音色と恍惚とした顔の恋が部屋に入ってくる。


「どうすればお兄ちゃんみたいになれるっすか?」

「僕みたいになる必要ないよ」

「必要っす! お兄ちゃんみたいにぼくがなれば恋さんがす」


 愛が後ろから音色の口と鼻を押さえる。


「本当に何でもないから! 気にしなくていいから!」


 息をすることができない音色は顔色が悪くなる。


 このままでは音色が死にそう。


「触るよ」


 恋の両手を摑んで音色の顔から離す。


「はーはーはー……。何するんっすか! もう少しで気持ちよく逝けそうだったす!」


 音色は肩で息をした後、僕を睨む。


 絡むのが面倒だから無視。


 愛と純の近くに座り直そうとしていると、愛のお腹が『ぐ~~~~~~~~~~』と鳴る。


 愛がいつ起きてもいいように、少し早いけど晩ご飯の準備をしよう。


 ソファで寝ていた坊主男子が立ち上がって、音色と恋のことを見る。


「知らない人がいる。誰だ?」

「音色っす! お兄ちゃんの従妹っす」


 僕の方を指さしながら、音色は答える。


「おれは強。あいつみたいに音色は男が嫌いじゃないのか?」


 坊主男子も僕に指を差す。


「嫌いというか興味がないっすね!」


「2人とも百合中君を指さしたら駄目。強君は年上の人にあいつって言ったら失礼だよ」


 普段の恋と変わらないはずなのに、迫力があってどこか怖い。


「ごべんなざい」

「ありがとうございます!」


 坊主男子が泣き出し、音色は満面な笑みを浮かべる。


 好きな相手に叱られるのはご褒美……音色は本当に変態だな。


 坊主男子の前で恋は膝をついて何度も謝るけど、逆効果で坊主男子は大声で泣き始める。


 このままでは愛が起きてしまう。


 坊主男子をキッチンに連れて行く。


 コンソメスープを作るように言うと、泣き止んだ坊主男子は頷く。


 恋は絶対に怒らせないようにしないといけないな。



★★★



「お前のことを何て呼べばいい?」


 晩飯後、椅子に座ってお茶を飲んでいると対面に座っている強が聞いてきた。


「好きなように呼んだらいいよ。お前でも、あいつでも男から呼ばれるなら何でもいい。腹立つのは変わらないから」

「おれもそれでいいけど……」


 恋の方を一瞥してから、今にも泣きだしそうな顔になる。


「百合中って呼んだらいいよ」

「わかった。百合中って呼ぶ」

「年上にはさんをつけた方がいいと思う」


 恋にそう言われた瞬間立ち上がった坊主男子は僕の所にきて、恋に見えないように隠れる。


「百合中さんって呼ぶ」


 今日1日で恋に対する印象が凄く変わった。


 本当に怒らせないようにしないといけない。


「そろそろお風呂に入る時間っすよね! 誰が順番に入るか決めないっすか?」

「みんなで入ろう! その方がぜったい楽しいよ! みんな立ち上がって! 早く早く!」


 愛の言葉を聞いて、音色はにやつく。


 このままでは、愛と純が音色の毒牙にかかってしまう。


「僕の家の風呂は狭いから、1人ずつ入った方がいいよ」

「ここにいる6人が1人ずつ風呂に入ったら時間かかるっすよ。それに女子は長い髪を洗って乾かすのに時間がかかるっすから、女子全員で入った方がいいと思うっす」

「まだ19時過ぎだから急がなくていい。話をしたりテレビを見ながら待てばいいよ」

「早く風呂に入った方が早く全員で遊ぶことができるっす!」

「そうだね! 音色の言う通りだよ! 早く風呂に入ってたくさん遊ぼう!」

「……」


 目を輝かせる愛にそう言われたら黙るしかない。


 眉間に皺を寄せた純が口を開く。


「私は誰かと一緒に入るのは嫌」

「じゅんちゃんはらぶと一緒に入るのは嫌?」

「らぶちゃんと入るのは嫌じゃない」

「やった! じゅんちゃんとお風呂! みんなでお風呂!」

「らぶちゃん、ちょっと待って」


 愛は純の手を握って部屋を出る。


 ゲスな笑顔を浮かべて音色が後をついて行く。


 ソファから立ち上がる恋に話しかける。


「らぶちゃんとじゅんちゃんが音色に変なことをされないか見張ってほしい」

「うん。頑張るよ」


 力強く頷く恋。


 恋が部屋を出てすぐに椅子に座っている坊主男子が船を漕ぐ。


「眠いんだったら、僕の部屋に行ったら」

「……ついてきてほしい」


 坊主男子を自室に送って、リビングに戻る。


 ソファに座りテレビを見る……。


 全く落ち着くことができない。


 音色は恋のことが好きで嫌われたくないはずだから思い切った行動はしない……とは言いにくい。


 百合で変態な音色が、美し過ぎる愛と純の裸を見たら確実に理性を失う。


 そう考えると、凄く心配になってきた。


 悲鳴が聞こえたらすぐに助けにいけるように、出入口で走る姿勢のまま待機しているとスマホが鳴る。


 無視しても何度もかかってきたから、電話に出る。



『百合中幸さんの携帯ですか?』



 どこか懐かしい声が聞こえてきた。



「はい。そうです」

『私は鷲崎音色の母親の鷲崎近重です。そちらに音色はいますか?』

「いますよ。今僕の幼馴染と友達と一緒にお風呂に入っています」

『分かりました。すぐにそちらに行きますね』



 すぐとはいつぐらいだろうと考えていると、インターホンが鳴る。


 流石に早過ぎると思いながら玄関を開ける。


 着物姿でどこかお淑やかさを纏った女性が立っていた。


 その姿を見て、音色の家は着物を販売する店を経営していることを思い出す。


 この人が近重さんだな。


「音色は迷惑をかけていますか?」

「はい。結構かけてます」

「そうですか」


 恋に感じた時以上に寒気がして、泣き出しそうになる。


「今すぐ連れて帰りますね」


 草履を脱いで綺麗に揃える一連の流れが美しい。


 口頭で風呂場の場所を説明すると、近重さんはお辞儀をしてからそこに向かう。


「また女の人に淫らなことをしようとしてましたね」

「まだ何もしてないっす!」

「まだってことは今からするつもりがあるってことですね?」

「する気満々じゃなくて、言葉の綾っす! ぼくは女子同士の裸の付き合いを、いたたたたたた。耳を引っ張るのをやめるっす!」

「帰りますよ」

「いたたたたた! ちぎれるっす! 本当にちぎれるっす!」


 近重さんはバスタオル1枚だけを全身に纏った音色の耳を引っ張りながら、僕の方にくる。


「娘が色々と迷惑をかけてごめんなさい」


 近重さんは音色の耳から手を放して、僕に向かって60度ぐらいの綺麗なお辞儀をする。


「まだ帰りたくないっす! お兄ちゃんからも説得してください」

「頭を上げてください。僕は大丈夫ですから」

「ありがとうございます」


 ゆっくりと顔を上げた近重さんは上品な笑顔を浮かべながら、お礼の言葉を口にした。


「母さんにお兄ちゃんの家にぼくを泊まらしていいか聞いてほしいっす」

「幸さんは立派ですね。幼い頃から家の家事を全部していると、電話で三実から聞いています」

「そんなことないです。やろうと思えば誰でもできることをしているだけです。それに、幼馴染達に美味しい料理を食べてもらえると嬉しいし、綺麗な部屋で過ごしてもらいたいと思って行動するうちに家事が楽しくなりました」

「誰かのために努力できることは素敵なことです。幸さんさえよければ音色の婿になってほしいですけど、音色にはもったいないので諦めますね」

「無視しないでほしいっす! ぼくの話を聞いてほしいっす!」

「音色さん帰りますよ」

「……分かったす」


 近重さんのその1言で音色は静になる。


 2人が帰るのを見送る。


 心配事がなくなったから、ソファで寛ごう。


「こうちゃん!」


 リビングに向かっていると、浴室の扉から愛が顔だけを出している。


「らぶちゃん! この家には男子の百合中君がいるから裸で廊下を出たら駄目だよ!」


 恋の大声が聞こえてきて、愛は顔を引っ込める。


「らぶちゃん! その格好で浴室から出たら駄目!」

「タオルをしているから大丈夫だよ! エッチじゃないよ!」


 バスタオルを肩から足の所まで着た愛がやってきた。


「こうちゃん! さっきの大人の女性って誰⁉ らぶもあんな大人の女性になりたいよ!」

「音色のお母さんだよ。またきたら、らぶちゃんに教えるね」

「やった―! ありがとう、こうちゃん! 着替えてくるよ!」


 早足で浴室に戻る愛。


 愛が通った所が濡れているから拭かないと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る