105話目 照れる前髪で顔が隠れている女子

 11時過ぎ。


 そろそろ昼食を作ろう。


「……こうちゃん、今日からしばらく泊めてもらっていい?」


 ソファから立ち上がろうとしていると、隣に座っている純が言った。


 その言葉を聞いて、純と純父の間に何かがあったのではないかと再び思う。


 理由を聞いて純に嫌われたくないから、「いいよ」と答える。


 机の上に置いている僕のスマホが鳴る。


 鳳凰院からランイ。


 タップして内容を確かめる。



『王子様に用事があって連絡しましたわ。王子様は百合中さんの近くにいますの?』

「いるよ」

『王子様に今日遊べるかランイしたのですが返事がなかったですわ。そのことを聞いていただいてもよろしいですの?』



 鳳凰院のランイの内容をそのまま純に伝える。


「…………行かない」


 躊躇ないながら言う純は行きたそう。


「どうして行かないの?」

「こうちゃんに、今日1日にずっとそばにいてほしいから」

「凄く嬉しいけど、たまには友達と遊ぶのもいいと思うよ」


 ここでのんびりとしているより、わいわいと女子同士と遊ぶ方が純の気分転換になるだろう。


 純はこちらを一瞥してきた。


 もう一押しする。


「しばらくの間は、じゅんちゃんはこの家に泊まって僕と一緒にいる時間はたくさんあるよ。だから、鳳凰院さんと遊びに行っておいで」

「……おう」


 鳳凰院に純が遊べること伝えるとすぐに『ありがとうございます。今から行きます』と返ってくる。


「こうちゃんは一緒にくる?」

「じゅんちゃんはきてほしい?」

「おう。きてほしい」

「なら、行くよ」


 鳳凰院に僕も遊びに行くとランイしようとしていると、剣からランイがくる。



『今日、部活しませんか?』

「用事があるからまた今度に」



「こうちゃん、部活してきて」


 文字を打っていると、純が話しかけてきた。


「じゅんちゃんは僕と一緒に鳳凰院さんと遊びに行きたいんだよね?」

「きてほしいけど、こうちゃんとはいつでも一緒にいれるから我慢する」


 純の我慢を無駄にしたくない。


 剣にはいいよと返信する。


 調味料や調理器具が揃っている僕の家で部活をすることになった。


 少しして、家のチャイムが鳴る。


 剣がきたんだな。


 玄関を開けると女子が20人ぐらいいた。


「遅くなってすいません。王子様はこちらにいますか?」


 1番先頭に立っている目力の強い女子こと鳳凰院が聞いてきた。


「うん。いるよ。今から呼んでくる」

「お願いします」


 リビングに行き純を呼んでくると、女子達は純を囲む。


「わたし初めて王子様のジャージ姿を見ました! 格好良すぎます!」

「分かります! 王子様、写真撮っていいですか?」

「抜け駆けしたら駄目ですよ! 王子様、私も1枚撮っていいですか?」

「……」


 女子達に一斉に話しかけられた純は面倒臭そうな顔をして黙る。


「王子様機嫌が悪いんですか?」


 近づいてきた鳳凰院が僕の耳元で言った。


「女子達に囲まれているからだと思うよ」

「その前から機嫌が悪いように感じました」

「気の所為だよ」

「王子様のこと理解している百合中さんがそう言うなら、わたくしの気のせいですね」


 鳳凰院は納得して、女子達の所に戻る。


「出発しましょう」


 鳳凰院がそう声をかけると、女子達は一斉に動き始める。


「こうちゃん、行ってきます」

「いってらっしゃい」


 純は僕に小さく手を振りながら女子達の中に入る。



★★★



 自宅で空いている部屋はない。


 純には母の部屋を使ってもらおう。


 年に1度家に帰ってくるかどうかだから、母に部屋を使うことを連絡しなくていいな。


 自宅のどの部屋も1週間に1回は掃除をしている。


 念のために母の部屋に行き、窓を開けて掃除機をかける。


 掃除が終わって時計を見ると、12時を過ぎていた。


 剣と連絡して1時間以上経っている。


 そう言えば、剣が何時にくるのか聞いてなかったな。


 スマホでいつくるのか打つためにスマホを見る。


 剣から20分前に『着きました』とランイがきていた。


 玄関に行き扉を開くと、髪の毛で顔が隠れている剣が棒立ちしていた。


 今の状況、愛だったら泣き出していただろう。


「ランイ気づくのが遅くなってごめん」

「大丈夫です。わたしは今きた所です」

「20分前にランイで着きましたってきてるけど」

「……早めにランイを送ってしまっただけです。本当に今きた所です」


 必死な声を出しながら俯く剣。


 なんだろ……剣を見ていると意地悪をしたくなる。


「本当に今きた所?」

「……ふぁい」


 嗜虐心が刺激されて新しい扉を開きそうになるけど……我慢。


 リビングに入ると、剣は立ったままきょろきょろと周りを見渡す。


「矢追さんと小泉さんはいないんですか?」

「らぶちゃんは東京で、じゅんちゃんは少し前に鳳凰院さん達と遊びに行ったよ」

「……百合中君の両親は?」

「いないよ。ほとんど家に帰ってこないからね」

「よかったです。よかったと言ったのは、百合中君の両親が家に帰ってこないことを言っていのではなくて」


 剣が慌てたように早口で喋る。


「剣が人見知りするから、会ったことのない僕の両親と顔を合わせると緊張するってことだよね?」

「はい。そうです」


 夏休みが始まって次の日に僕の家で剣と部活をした時も同じ会話をしていたな。


 その時には、愛と純がいたけど。


「剣は今日何か作りたいものある?」

「色々なカレーの作り方を本やネットで調べて、自己流のカレーを作れるようになったのでわたし1人で料理していいですか?」


 卵も割ることができなかった剣が自分で考えて料理を作れるようになったなんて、少し感動する。


「いいよ。いつものように後ろから見守っていた方がいい?」

「しなくていいです。百合中君は他のことをしていてください」



 そう言って、剣はキッチンに向かう。


 天気がいいので洗濯をすることにして、脱衣所に向かう。


 洗濯機に衣服を入れていると、剣がおずおずとやってきた。


「どうしたの?」

「……ないです」

「声が小さくて聞こえないからもう1回言って」

「……買ってないです」


 まだ声が小さいから、剣の口に耳を近づける。


「…………カレーの材料を買ってないです」


 どうにか聞こえた。


「今から買いに行こう」


 剣は小さく頷く。


 家から近いスーパーに行き、買いものカートの上下にかごを乗せて店内を歩く。


 上のかごには1週間分の食材、下のかごにはカレーの食材を入れる。


「わたしの所為でごめんね」

「今日買いものにくるつもりだったから、気にしなくていいよ」

「毎日料理を作っているのは凄いです」

「凄くないよ。剣も毎日自分で作っているんだよね?」

「はい。でも、わたしの場合1暮らしなので作らないといけないです。それに、誰でも作れそうなものしか料理できません」

「カレーが作れるのだから十分。剣のカレー楽しみにしてるよ」

「頑張ります!」


 力強く頷く剣。


 材料がそろいレジに向かっていると、前から走って来た小学生ぐらいの男子が剣にぶつかる。


「……だ、大丈夫ですか?」

「お、お、お、おばけだ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」


 後ろに倒れた男子に向かって剣は手を差し出すと、男子は悲鳴を上げて逃げる。


 ゆっくりと僕の方に顔を向けた剣の表情は見えないけど、悲しそうにしているのが分かる。


「わたしが怖がられるのは長い髪の毛のせいですよね?」

「そうだね。顔が隠れているから怖がられているね」

「わたし髪を切った方がいいですか?」

「僕は剣がしたいようにすればいいと思うよ」

「百合中君はわたしが怖くないですか?」

「怖くないけど、少しだけ髪を切った剣が気になるかな」

「…………頑張ります」


 剣はそう呟いた。



★★★



 洗濯ものを干し終えた後、テレビを見ながら剣の料理ができるのを待っている。


 スマホを触っていると、鳳凰院からランイがくる。


 タップすると執事服を着た純の画像が現れたからすぐに保存。


 男子が苦手の僕でも、純の執事姿は尊いと理解できる。



『王子様の執事姿どうですの?』

「最高過ぎる! 可愛い服も似合うけど、執事服みたいな格好いい服もいい」

『そうですの! そうですの!』

「じゅんちゃんが可愛い服を着た画像はない?」

『メイド服を着てもらおうとしましたが断れましたわ』



 デフォルメなリスが泣いているイラストのスタンプが送られてきた。


 僕も純のメイド服姿が見たいけど、純が嫌がるならしょうがない……見たいけど。


「いたっ」


 キッチンから剣の悲痛な声が聞こえてきた。


 剣の所に行くと、包丁を持っていない手の指から血が出ている。


 血が出ている剣の指を流水で洗い流し、タオルを強めに巻きつける。


「このまま圧迫して。そのうち血が止まるから」

「はい。分かりました」


 剣の指から手を離すと、剣はタオルに巻きつけた指を反対の手で握る。


「本当にごめんなさい」


 深々と頭を下げる剣を見ながら考える。


 僕が剣の代わりに作ってもいいけど、自主的に料理を頑張ろうとした剣の気持ちを大切にしたい。


「剣はお腹空いてる?」

「朝食を食べるのが遅かったのでそんなに空いてないです」

「僕もお腹空いてないから、少し休憩しようか」

「……はい」


 覇気のない声で剣が答えた。


 剣の両肩を押しながらソファまで連れて行き、ソファに座って隣叩く。


「立っていたら休憩にならないから座ってテレビでも見よう」

「……はい」


 それから、10分ぐらい経ってから、剣の指からタオルをのけると血が止まっていた。


 剣がキッチンに戻りしばらくしてから、スパイシーな匂いがしてくる。


「百合中君、カレーできました」


 席に着くと、剣は対面に座る。


「いただきます」


 そう言って、カレーを口の中に入れる。


 隣に座っている剣が僕のことを凝視していて食べにくい。


 口の中のものがなくなってから、剣の方に顔を向ける。


「凄く優しい味がしていくらでも食べられるよ」

「よかったです。はちみつを入れ過ぎたと思っていたので心配していました」


 剣は声音が明るくなったことに安心する。


「おかわりはたくさんありますから、たくさん食べてください」


 僕が食べ終わるまで剣はずっと、僕の方に顔を向けている。


「ごちそうさま。剣は食べないの?」

「そうですね。食べます」


 慌てたようにスプーンを持って剣はカレーを食べ始めた。


 ジーパンのポケットに入れていたスマホが鳴ったので取り出す。


 愛の名前が画面に表示されている。



『こうちゃん! れんちゃんがこうちゃんにおみやげ何がいいか聞いてるよ!』



 急いで出ると、愛の元気な声が聞こえてきた。



「恋さんのおすすめでいいよって、言ってもらっていい?」

『分かった! こうちゃんは今何してるの?』

「剣にカレーを作ってもらって食べてるよ」

『らぶも剣のカレー食べたいよ! れんちゃん何? 剣って誰って? 剣は剣だよ! 電話変わるよ!』

『急に電話変わってごめんね。百合中君、今大丈夫?』



 恋の声が聞こえてくる。



「大丈夫だよ。どうかした?」

『百合中君が今一緒にいる剣って女の人?』

「そうだよ」

『……どういう関係か聞いていい?』

「部活の先輩だよ。剣どうしたの?」



 腕を突かれたから、スマホを顔から少し離して剣に聞く。


「カレーおかわりするので、百合中君もおかわりしますか?」

「剣のカレー美味しかったから、おかわりするよ」

「ありがとうございます。百合中君の分は大盛りにします」


 剣は空になった皿を2つ持ってキッチンに向かう。



「待たせてごめんね」

『……百合中君は……剣さんのこと好き?』

「好きか嫌いかで言えば剣のこと好きだよ」



 キッチンから『がしゃん』という大きな音が聞こえた。


 スマホをポケットに入れる。


 急いでそこに向かうと、座っている剣の前に割れた皿が落ちている。


「剣大丈夫?」

「…………はい。大丈夫じゃないです」

「どこか怪我でもした?」

「間違えました。大丈夫です。わたしは元気です。今までにないぐらい元気です」


 勢いよく立ち上がった剣は割れた皿を踏みそうになる。


 抱き着いて自分の方に引き寄せる。


「百合中君の顔が、顔が近いです!」



 可愛いものを愛でる時ぐらいの大声で剣は叫ぶ。


 今の剣は落ち着きがないから、このままにしておくと危険だな。


「百合中君の顔がもっと近くなりました!」


 お姫様抱っこしてソファに下す。


「後片付けは僕がするから、ここで待っていてね」

「…………はい」


 消え入る声で返事する剣。


 キッチンに向かおうとして思い出す。


 恋と電話していたと。


 ポケットに入れていたスマホを耳に当てると、『プーップーッ』と電話が切れていた。

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