104話目 甘々を大きな幼馴染に

 愛達を見送った後、ベンチに倒れ込むように座る。


 1時間ほど睡眠をとって自宅に帰る。


 玄関を開けると、リビングの出入口付近でジャージ姿の純が倒れていた。


 急いで純の所に向かう。


 デスソースの臭いがしてくる。


 リビングの全ての窓を開けて、部屋全体に消臭スプレーをかける。


 それでもデススプレーの臭いは取れない。


 アイスココアとホットケーキを作り、部屋の中を甘い匂いで満たす。


「……ホットケーキとココア!」


 ゆっくりと起き上がった純は目を輝かせながら机に置かれたホットケーキとココアを見る。


「こうちゃん、食べていい?」


 純は椅子に座り、ホットケーキを凝視している。


「いいよ」

「いただきます」


 2段重ねになっているホットケーキをフォークで突き刺し、大きく口を開けて1口で半分以上食べる純。


 純の隣に座って、ココアを飲む。


「こうちゃん、疲れた顔をしてるけど大丈夫?」


 ホットケーキを完食した純が僕の方を向く。


「大丈夫だよ。暑さで体が少しだるいだけだよ」

「私にできることはある?」


 愛とキスをしてほしいと言いそうになって口を塞ぐ。


 今愛はいないし、それ以前に誰かに言われてする愛と純のキスを見たいとは思わない。


 強がりました……見たいです。


 2人にキスをしてほしいと言えないのは、僕が嫌われたくないだけ。


 ……僕ってヘタレだな。


 それ以外で純にしてほしいことは特にない。


 純は近くにいるだけで元気になれる。


 それ以上のことをする必要はない。


 でも、ここでないと言うのも純の気持ちを無下にしている。


 夏休みに入って愛と一緒に勉強する時間が多くて、あまり純と関われていない。


 2日前にキャッチボールをしたぐらい。


 純には寂しい思いをさせないために、甘やかすと誓ったのになんていう醜態。


 よし、愛が帰ってくるまで純だけを徹底的に甘やかそう。


 両手を広げて、純に向かって言う。


「じゅんちゃん、おいで」

「こうちゃんが私を甘やかすんじゃなくて、私がこうちゃんに何かしてあげたい」

「僕はじゅんちゃんに甘えてほしいな」

「……私がこうちゃんを甘やかす」

「おいで」

「…………」


 耳を赤くした純はおずおずと抱き着いてくる。


「じゅんちゃんは僕にしてほしいことある?」

「……今日1日にずっとそばにいてほしい」


 控えめで可愛過ぎるお願いに無意識で頭を撫でる。


「こうちゃんのなでなで好き。……暇じゃない?」


 時間を忘れて頭を撫で続けていると、純が聞いてきた。


「暇じゃないよ。じゅんちゃんの髪がさらさらしていて撫でると気持ちいいから。じゅんちゃんは暇?」

「………………テレビ見たい」


 僕から離れそうとする純の首と膝に手を回して持ち上げる。


「今日1日じゅんちゃんのそばにいてたくさん甘やかすつもりだから、じゅんちゃんも僕にたくさん甘えてほしいな」

「…………おう」


 純をソファに座らして、机に置いていたリモコンを取って純の隣に座る。


 点けたテレビを見ていると、純が僕の膝の上に視線を向けていることに気づく。


 膝を叩くと、純はゆっくりとそこに頭をのせる。


 純の頭を撫でていると、コンビニのCMが流れる。


 夏限定のマンゴーの果肉が贅沢に乗ったかき氷と、桃の果肉が贅沢に乗ったかき氷が夏限定で発売したと。


「こうちゃん! かき氷食べたい!」

「今から買いに行こうか」


 CMしていたコンビニは近くにある。


 もし、この辺りになくて純のためだったら県外に買いに行くな。


「……行かない」

「かき氷食べたくないの?」

「……お金がない」

「今日はとことんじゅんちゃんを甘やかすと決めているから僕が奢るよ」

「……いいの?」

「いいよ。新商品2つとも買って食べ比べしよう」

「おう! 着替えてくる!」


 純は足早で部屋を出て行く。



★★★



 純の家の前で待ちながら考える。


 着替えてくると言った。


 ジャージ姿だったから着替える必要はない。


 猫の着ぐるみパジャマなら着替えに行くのも分かるけど。


 いや、猫の着ぐるみパジャマでも、純なら可愛いから外着にしてもいい。


「……こうちゃん、お待たせ」


 玄関から出てきた純は無地の白のTシャツに水色のスカートを履いていた。


 学生服以外で純がスカートを履くのは1年ぶりぐらい。


 前は見惚れて褒めることができなかったから、今回こそ褒める。


「じゅんちゃん凄く可愛いよ。めちゃくちゃ可愛い。本当に可愛い」


 具体的に褒めたいけど、純が可愛過ぎて可愛い以外の言葉が出てこない。


「…………鳳凰院さんがくれた服だから、鳳凰院さんを褒めてほしい」

「さすがじゅんちゃんの友達の鳳凰院さんだね。じゅんちゃんに似合う服を選ぶのが上手いね」

「おう。凄く気に入ってる」


 自分の上着の裾を握って微笑む純。


「こうちゃんはオーダーメイドの服がどれぐらいするか分かる? お金を払いたくて鳳凰院さんに聞いても分からないって教えてくれない」


 オーダーメイドの服の値段は知らない。


 でも、鳳凰院さんの家は金持ちだからいい生地や腕の立つ職人が作っていると想像できる。


 払えない金額でも純が払おうとするのが目に見えているから、鳳凰院さんは黙っているのだろう。


 鳳凰院さんと話を合わせよう。


「僕も分からないな。でも、友達同士でプレゼントを渡し合うのは結構あることだから、お金を払うんじゃなくて何かものをあげたらいいんじゃないかな」

「おう。そうする。こうちゃん……手を握っていい?」

「うん。いいよ」


 差し出してきた純の手を握ってコンビニに向かい、2種類の味のかき氷を買う。


 公園に行くと、今日は珍しくベンチが使われていた。


 木陰になっている場所があったから、そこで食べよう。


「こうちゃん早く食べよう」

「じゅんちゃん座るのを待って。鳳凰院さんがくれたスカートが汚れるから僕の上に座って」


 持ってきたレジャーシートを敷く。


 その上で胡坐を組み、両手を広げる。


 純は小さく「おう」と言って、僕の太腿にお尻を乗せる。


「じゅんちゃんはどっちのかき氷を先に食べる?」

「…………マンゴーの方」


 2つのかき氷を長い間、凝視してから呟く。


 マンゴーのかき氷を渡すと、純はスプーンで器用に3分の1を掬い上げて口に入れる。


「今まで1度もマンゴーを食べたことなかったけど、濃厚で凄く甘いよ! 今までに食べてきたフルーツの中で1番好き!」

「じゅんちゃん、桃のかき氷をあーん」

「もぐ。桃の果肉の瑞々しさと桃ソースのとろみが口の中に広がっていくらでも食べられるよ! こうちゃんもっとほしい! あーん!」


 数口でかき氷を食べきった純は僕にもたれかかる。


「男と女がいちゃいちゃしてる! エロだ~! エロエロだ~!」


 蝉の鳴き声を聞きながら、呆けていると生意気そうな小学生の男子が茶化してきた。


 後から数人の子どもがきて僕達を囲む。


 純は生意気そうな男子を睨みつけると、その男子は走って去る。


 他の子ども達もいなくなる。


「ちょっと前かららぶがこなくなったけど病気か?」


 子ども達の中で唯一残った坊主頭の男子が、僕に話しかけてきた。


 子どもでも男とは話したくないけど、愛と坊主男子は仲がいいから無視できない。


「病気じゃないよ。夏休みの宿題を終わらすためにほとんど家から出てないだけ」

「おれは宿題終わったから、らぶにおれが勉強教えるよ! らぶの家教えて」

「教えないし、今らぶちゃんの家に行ってもらぶちゃんはいないよ。東京に行ってるから」

「いいな。おれも夏休みどこか行きたい」

「親に言えばいいだろう」

「かあさんは仕事で大変だから、わがまま言えない」


 寂しそうな顔をした坊主男子はそう言って、子ども達がいる方に走る。


「じゅんちゃん、喉渇いてない?」

「おう。かき氷を買ってくれたお礼に私が買ってくる」


 立ち上がった純はコンビニに向かった。


 すぐにオレンジジュースとフルーツオレを持って戻ってくる。


「こうちゃんはどっちがいい?」


 そう言いながら、僕の上に座り直す純。


「どっちでもいいよ」

「おう」


 純がオレンジジュースを渡してきたので受け取り、キャップを外して口に含む。


 久しぶりにオレンジジュースを飲んだけど結構美味しい。


 純のフルーツオレが空になっていることに気づく。


「オレンジジュース飲む?」

「おう」


 口を開けた純の口にペットボトルの先を当てて少しだけ傾けると吸い始める。


 純が赤ちゃんに見える。


「おいちいでちゅか?」


 父性が芽生えて思わず赤ちゃん言葉を使ってしまった。


 このままでは、引かれてしまう。


 誤魔化そうとしたけど。


「……おいちぃ、あっ」


 純が僕に合わせて赤ちゃん言葉を使ってくれた。


 この赤ちゃん可愛過ぎ‼ 


 って、喜んでいる場合ではない。


 ペットボトルを傾けたままだったから、愛の服にジュースがこぼれる。


 すぐに洗えばシミが残らずに綺麗に落ちる。


 純をお姫様抱っこして、急いで自宅に帰る。


 脱衣所で純には服を脱いでもらい、その服を預かる。


 その服をキッチンに持っていて、汚れている所を水で洗うと綺麗にシミが落ちた。


 自室から僕が持っている中で1番サイズの大きい狐着ぐるみパジャマを取ってくる。


 脱衣所に行き、ドアを軽く叩く。


「着替え用の服を置いておくね。僕はリビングにいるから」

「こうちゃん。ありがとう」


 リビングでソファに座ってテレビを見ていると、狐パジャマを窮屈そうに着た純が部屋に入ってくる。


「苦しそうだから着替えてきたら」

「おう」

「ジュースで汚れた服のシミは水洗いで取れたけど、洗濯はした方がいいから僕がしようか?」

「私がするから大丈夫」


 洗濯物を受け取った純は部屋を出る。


 少しして、見慣れたジャージ姿の純が勢いよく部屋に入ってくる。


「どうしたの?」

「……何でもない」


 目力を強くして低い声でそう言った純は僕に抱き着く。


 今の純は機嫌が悪いな。


 家に帰ってから純の機嫌が悪くなったから、純の父親こと小泉恭弥と何かあったのかも。


 純にトイレに行くと言って、純の家に向かう。


 外に出ると、恭弥さんが髪の長い知らない男性と話をしていた。


 事情を訊きたいけど、人と話しているなら出直すしかない。


 自宅に戻ろうとしていると、髪の長い男性は帰って行く。


 哲也さんに近づいて話しかける。


「おはようございます。哲也さんに聞きたいことがあるんですけどいいですか?」

「おはよう。いいぞ」

「今日じゅんちゃんと何かありました?」

「何もない」


 哲也さんが嘘を吐いているように見えない。


「何かあったのか?」

「じゅんちゃんの機嫌が悪かったので、哲也さんがその原因だと思って聞きにきました。疑ってごめんなさい」

「気にするな。他に何が用事あるか?」

「ないです」

「そうか」


 家の中に入る哲也さん。


 哲也さんが関係ないとしたら、どうして純は不機嫌になっている?


 純が僕の家を出てから戻ってきた時間は1、2分しか経っていない。


 家を行き来して、着替える時間を考えると他にできることなんてない。


 そもそも、その時間に純が不機嫌になる理由があるのか?


 もしかして、僕が純を不機嫌にさせたのかもしれない……純が友達からもらった服をジュースで汚したから。


 今まで純が僕に不機嫌になることがなかったから、その考えは浮かばなかった。


 いや、僕が気づいていないだけで、今までにもあったのかもしれない。


 こんな所でちんたらしている場合じゃない。


 急いで純の所に行って謝らないと。


「じゅんちゃん! ごめんなさい! 何でもするから嫌わないでください!」


 リビングに入ってすぐに土下座をする。


「私がこうちゃんを嫌うことなんて絶対にない」

「じゅんちゃんが鳳凰院さんからもらった服を僕が汚したから怒ってるんじゃないの?」

「こうちゃんには怒ってない。私が怒っているのは……何でもない」


 純は僕から顔を逸らす。


 続きが気になるけど、聞ける雰囲気ではない。


 ソファに座ると隣にいる純が消え入る声で、「ごめん」と言った。


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