99話目 幼馴染達と夏休み

 ソファに座って、手の伸びた爪を切っていると、


「こうちゃん! こうちゃん! 今日も一緒に宿題しよう!」


 犬の着ぐるみパジャマを着た愛が部屋に入ってきた。


 愛がパジャマで僕の家にくることも珍しい。


 普段整えられたぱっつんボブの髪型に寝癖がついている。


 まだ、6時前。


 起きてすぐに僕の家にきたのだろう。


 いつものこの時間は寝ているからな。


「いいよ。宿題取ってくるから先に始めてて」

「うん! 分かった!」


 ソファから近い机の前に座った愛は勉強を始める。


 僕達が通う坂上高校の夏休みは7月20から。


 愛は8月までに宿題を終わらせると言った。


 でも、今は8月3日。


 プリント1枚もできてないから焦っている愛。


 自室に行き中途半端に切れている指の爪だけを切る。


 宿題を手にしてリビングに戻る。


 元気溌剌だった愛は机に顔をのせて、気持ちよさそうに寝ている。


 夏休みの宿題は1、2週間あれば終わる。


 8月25日が夏休み最終日だから、まだ時間には余裕がある。


 だから、愛を起こさない。


 わけにもいかない。


 寝たら起こしてほしいと愛に言われているから。


 愛は夏休み前の期末テストで2教科赤点。


 そのことを気にして、宿題を把握済ませて自主勉強をすると燃えている。


 愛の体を軽く揺する。


「……うどんには七味もいいけど、デスソースをかけてもおいしいよ……」


 愛は涎を垂らしながら寝言を口にする。


 可愛いなと見惚れてから、今度は少し強めに揺する。


 勢いよく顔を上げる。


「こうちゃん! おはよう!」

「らぶちゃん、おはよう」

「らぶは寝ている場合じゃないよ! 明日東京に行ってしばらく帰ってこないから、宿題を早く終わらせないといけないよ!」

「らぶちゃん、明日東京に行くの⁉」


 驚き過ぎて声が上擦る。


「そうだよ! こうちゃん達に言うのを忘れてたよ! ブクマに参加するよ!」


 夏と冬の年に2回あるブックマーケットのことを言っているのだろう。


 少し前に、漫研女子達がそのことについて熱く語っていた。


 聞き流していたから内容は知らないけど。


 って、今はそんなことどうでもいい。


 愛が東京に行くということは、愛にしばらく会えないってことで……想像しただけで泣きそう。


「らぶちゃんは、いつこっちに帰ってくる?」

「13日に帰ってくるよ!」


 明日の8月4日に愛が東京に行くから……1週間以上、愛に会うことができない。


「ブクマ以外にも、東京には遊ぶ所がいっぱいって、れんちゃんが言ってたから楽しみだよ!」


 満面の笑みを浮かべる愛に行かないでほしいなんて言えない。


「東京は人が多いってよく聞くから、迷子にならないようにね」

「そうだね! れんちゃんと音色がはぐれないように気をつけるよ! お姉さん頑張る!」


 背筋を伸ばしてドヤ顔をする愛。


 僕的には身長の低い愛が人混みに流されることや、可愛い愛が誘拐される心配をしている。


 愛が怒るから口にしないけど。


 気になることを愛が口にしたので訊く。


「音色と会うの?」

「うん! 音色と会うよ! 久しぶりに会うから楽しみだよ!」

「音色と2人きりにならないようにしてね」

「何で音色と2人きりになったら駄目なの?」


 愛は首を傾げる。


 身内の悪口を言うのは気持ちのいいものではない。


 愛の身を危険に晒すわけにはいけないから正直に話そう。


「音色はエッチなことが大好きな変態なんだよ」

「……エッチなことは駄目だよ!」

「らぶちゃんの言う通り。でも、音色は女子が大好きで変態だから、愛と2人きりになったらエッチなことをしようとする。音色と2人きりになったら絶対に駄目だよ」

「うん! 音色とは2人きりにならないようにするよ!」


 念のために確認しておこう。


「音色がもし一緒にお風呂に入ろうと言ってきたらどうする?」

「いいよって言うよ! 音色とのお風呂楽しみだよ!」

「…………」


 ……大丈夫そうじゃない。


 後で、愛と一緒に東京に行く恋に連絡しておこう。


 愛と音色を絶対に2人きりにしないようにと。


 愛がプリントを書き始めたから、僕は愛の隣に座って小説を読む。


 普段は小説を読むことはない。


 読書感想文のために読んでいる。


 適当に本を選んだけど、意外と面白い。


 主人公はやる気のない女子高校生。


 親の借金を返すために、同級生で人気ヨーチュバーのヒロインのメイドになる話。


 主人公のやる気のないボケとヒロインの元気過ぎるツッコミが癖になる。


 中盤を読み終えて、愛に視線を向けると背もたれに体を預けて眠っていた。


 強めに揺すっても起きる気配がない。


 すぐに寝るのは愛の集中力がないからではない。


 勉強に対して苦手意識を持っているから。


 その証拠に愛は漫画を描くことだったら、半日以上集中して描き続けることができる。


「グ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。お腹空いたよ」


 愛のお腹が盛大に鳴ったと思ったら、少しだけ目を開けて僕の方を見ながら呟く。


「すぐに作るね」

「ありがとう!」


 キッチンに向かい、手早く料理を作って机に並べる。


 匂いに反応したのか、目が閉じかけた状態で前後に揺れていた愛が口を開く。


 その中に塩辛くしたハムエッグを入れる。


「もぐもぐもぐもぐ、ごくん、あーん」


 愛は何度か咀嚼して飲み込んだ後、口を開ける。


 餌付けしているみたいで楽しい。


 夢中で食べさせる。


 完食した愛は満足したのか、少しだけ開いていた目を閉じて寝息を立てる。




 朝食を食べてから机に頭を乗せて寝ている愛は根気強く揺らし続けても起きない。


 天使のような寝顔の愛。


 いつもだったら『お姉さんだから撫でたらだめ!』と言われる。


 寝ている今なら、いくら撫でても怒られることがない。


 手を愛の頭上に持っていって止まる。


 ……いや、駄目だな。


 愛が頭を撫でられることを嫌だと分かっている。


 だから、撫でたら駄目。


 ……少しぐらいなら。


「こうちゃん、何してる?」


 ゆっくりと愛の頭に手を下ろそうとしていると、純の声が聞こえる。


 後ろを振り返ると、ジャージ姿の純が目を擦りながら眠たそうにしている。


 猫が顔を洗っているみたいで可愛い。


 いや、猫が顔を洗っているより、純が目を擦っている方が可愛いに決まっている。


「こうちゃん」


 名前を呼ばれて正気に戻る。


 純に何しているのか聞かれたから答えないといけない。


 でも、純は愛が頭を撫でられることを嫌がっていることを知っている。


 素直に答え辛い。


「らぶちゃんが勉強に疲れて寝たから、ソファまで連れていこうとしていた所だよ」


 そう誤魔化しながら、愛を抱えてソファの上にそっと下す。


 純は納得したのか「おう」と言って椅子に座る。


「じゅんちゃん、ココア入れようか?」

「おう」


 キッチンに行きココアを作っていると、純が隣にきた。


「どうしたの?」


 純は返事することなく、僕の肩に頭をすり寄せる。


 視線が合うと、純の耳が真っ赤になってその耳を両手で押さえて俯く。


 ……………………………………………………。


 可愛い⁉


 僕の幼馴染が可愛過ぎる‼


 可愛過ぎて息をするのも忘れそう‼


 心を無理矢理落ち着かせてから、「どうしたの?」と口に出す。


「このままでいていい?」


 少しだけ顔を上げた純が僕の顔を一瞥して、すぐに俯く。


 ぐはっ⁉ 


 これはもう可愛いなんてそんなちっぽけな言葉で表現できる域ではない。


 尊い‼


 ただひたすら尊い‼


 神に感謝‼


 いや、神より優れている愛と純に感謝‼


「……いいよ」


 頭を撫でながらそう答えると、「……ありがとう」と純が消え入る声で言う。


 純がココアで喉を潤してから、純とソファに隣同士で座る。


「じゅんちゃん、夏休みの宿題は終わりそう?」

「終わった」

「早いね。これでたくさん遊べる」

「こうちゃんは宿題終わった?」

「今日で終わる予定だよ」

「……宿題が終わったら遊ぼう」


 僕の手をおずおず摑む純。


 純が可愛過ぎて、宿題をしている場合ではない。


「息抜きしたいから、遊ぼうか?」

「おう」


 握っている純の力が少しだけ強くなる。


「じゅんちゃんは何して遊びたい?」

「外で遊びたい」


 急に僕がいなくなると愛が驚く。


 愛が起きたことに気づけるよう、庭で遊ぼう。


「庭で遊ぶでいい?」

「おう」

「じゅんちゃんはやりたいことある?」

「キャッチ―ボールしたい」

「いいよ。道具を取ってくるから、先に庭に行ってて」

「おう」


 母の部屋の引き出しからグローブ2つと軟球を手にして庭に向かう。


 外に出ると、部屋に戻りたくなるぐらい日射しが強い。


 すぐに汗ばむ。


 小まめに水分補給が必要だな。


 スポーツドリンクとタオルを取りに戻り純の所に行く。


 庭では純が屈伸をしていた。


「今日も暑いから、喉が渇いたら飲んでね」


 リビングの窓を開けて、出入口の近くにスポーツドリンクとタオルを置く。


 純にグローブと軟球を渡して、少し離れた所でグローブを前に突き出す。


「こうちゃん、いくよ」

「いいよ」


 純は軟球を持った方の肘を後ろに向かって曲げてから、天高く腕を伸ばし投げる。


 右耳にビューという音が聞こえたと思ったら、ドンという鈍い音が後ろから聞こえる。


 振り向くと、純が投げた軟球が壁に突き刺さっている。


「もう少し弱く投げた方がいい?」

「手加減しなくていいよ。次は絶対に捕るから」


 壁に突き刺さった軟球を引き抜き、元の位置に戻って純に軟球を投げる。


 純が投げた球は視認できないほど早い。


 摑む所か、触ることすら難しい。


 でも、純には伸び伸びとキャッチボールを楽しんでほしい。


 投げの体勢に入った純を凝視しながらグローブを構える。


 さっきと同じように剛速球だったけど、どうにか球を捕る。


 グローブに球が入った瞬間、手に激痛が走る。


 いってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。


 純に心配をかけたくないから、心の中だけで叫ぶ。


 下手したら指の骨が折れているかもしれない。


「こうちゃん。キャッチボール楽しい」


 笑顔を浮かべる純。


 キャッチボールをやめたいなんて、口が裂けても言えない。


 純が満足するまでどうにかもったけど、手が真っ赤に腫れていた。


 そのことがばれないように氷を袋に入れて、腫れが引くまでトイレに籠り冷やす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る