91話目 イラスト勝負4日目②
「……」
駅の券売機の前で財布を覗きながら棒立ちしている純。
純の月の小遣いは1000円。
隣町にいくための電車代が払えなくて困っているな。
「僕の用事でついて来てもらっているからお金出すよ」
「……おう。ありがとう」
切符を買ってホームのベンチに座って電車を待つ。
「いつもこうちゃんに甘えてばっかりだから、私がこうちゃんに何かしてあげたい。してほしいことある?」
僕が好きでしていることなので気にしなくていいが本音だけど、好きな相手に何かをしたい気持ちは誰よりも分かる。
考えて……特にないな。
いや、一応あるにはある。
愛が純を性的な意味で襲ってほしいという欲求丸出しの願い。
でも、この願いはどちらかと言うと愛にお願いすることだし、その愛は今音色とイラスト勝負をすることに忙しいし、そもそもそんな願いをしたら大好きな幼馴染達に嫌われるかもしれない。
そう思ったら絶対に言えない。
僕が百合好きで、愛と純に百合的なことをしてもいいと言われていても。
前に愛からこうお姉ちゃんと呼ばれたことを思い出す。
女子扱いされる気持ち悪さと、愛を妹のように感じられる嬉しさの複雑な気持ちになった。
もしお兄ちゃんと呼ばれていたら、嬉しさしか残らないんじゃないか。
「僕のことをお兄ちゃんって、呼んでもらっていい?」
「…………」
耳が朱色になった純は小さく左右に首に振る。
……拒否された。
幼馴染でもいきなり、お兄ちゃんと呼んでほしいと言われたらドン引きするのは当たり前。
「気持ち悪いことを言ってごめん。呼ばなくていいから」
「……こうちゃんは、お兄ちゃんって呼ばれたら嬉しい?」
「嬉しいけど、無理しなくていいよ」
「……こうお兄ちゃん」
「…………」
……純が「こうお兄ちゃん」と言った。
なんだろう。
胸の奥から熱くなる感覚があって、叫びたくなる。
「じゅんちゃん! 僕のことをもっとお兄ちゃんって呼んで!」
いや、気がつくと叫んでいた。
叫ばずにはいられない。
こんなに可愛い純からお兄ちゃんと言われて、叫ばないやつは人として終わっている。
「……こうお兄ちゃん」
朱色のままの耳を抑えながらもう1回言ってくれた。
「……他にしてほしいことはないの?」
「お兄ちゃん大好きって言われたい」
「…………こうお兄ちゃん……だ、だ、だ、だ」
純は瞳に涙をいっぱいに溜めて今にも泣きそう。
「調子に乗ってごめんね。お兄ちゃんって呼んでくれてありがとう」
純の頭を撫でようとして……できない。
なぜなら、純が僕に抱き着いてきたから。
「…………こうお兄ちゃん…………大好き…………」
「……」
人は嬉し過ぎると言葉が出てこないと実感。
滅茶苦茶純を甘やかしたい気持ちと、こんなに可愛い純を他人に見せたくない気持ちが戦う。
「…………こうお兄ちゃんに撫でられるの、気持ちいから好き」
可愛過ぎる純を他人に見せたくない気持ちが勝ったから、家に帰って純を甘やかそう。
「じゅんちゃん、今すぐ家に帰ろう!」
「本屋に行かなくていいの?」
「……本屋?」
何で、僕は本屋に行こうとしている……イラストの参考書を買いに行く途中だったことを思い出す。
純が可愛過ぎて忘れていた。
電車に乗り隣町に着いて、駅から見える4階建て本屋まで歩いてる途中で立ち止まる。
「本屋の前にケーキが美味しいカフェがあるから、じゅんちゃんはそこで待つ?」
「私も見たい本があるからこうちゃんと一緒に行く」
純が本を読んでいる所を見たことがない。
本屋に来ても退屈だと思い提案したけど、断られたから2人で本屋の中に入る。
平日にわざわざ隣町の本屋にきたのは、この辺りで1番の品揃えに加えて、店員が相談に乗ってくれると恋が教えてくれたから。
本のタイトルや作者の名前で探してくれるだけではなく、曖昧なこんな感じの漫画が読みたいと言うと、客の要望に応えた本を見つけてくれる。
恋が漫画、アニメとイラストの関係の本が置いてるのは4階と言っていた。
エレベーターでそこに向かう。
4階に着いて店員に相談する前に自分で見ておこう。
途中で通った漫画コーナーの漫画には全てビニールで包装されている。
念のためにイラストコーナーに行くと、イラストの参考書には包装されていない。
可愛い女子2人が抱き合っている表紙の本を取ろうとして、隣にいる純がいることに気づく。
『サルでも分かるイラストの描き方』という本を読んでいた。
純も愛に協力しようとしているんだな。
欲求を丸出しにしている自分が恥ずかしい。
僕もイラストの描き方の本を手に取って読み始める。
1冊読み終えた頭を上げると純は真剣な顔で本を読んでいる。
声をかけずに店員を探すため店内を少し歩くと、女性の店員がすぐに見つかる。
「すいません。イラストを最近描き始めたけど、何を描けばいいのか分からないのでおすすめの本とかありますか?」
「何を描きたいですか?」
「可愛い女子の顔を描きたいです」
短期間でイラストを上達するには的を絞った方がいいと恋に言われた。
可愛い女子の顔だけを描けることに集中しよう。
「分かりました。しばらくお待ちください」
店員はイラストコーナーに向かって、片手に3冊の本を持ってすぐに戻る。
「3冊ともお勧めですが、今までにイラストを描いたことがないのでしたらこの本が1番お勧めです」
渡された本を開いて見る。
色々な女子の顔の角度、髪型、表情の描き方が分かりやすくかったのでこの本を買おう。
レジに向かう途中で漫画のおすすめコーナーに目が止まる。
音色の漫画が並んでいて、ポップには今1番期待されている作家と書かれている。
前に買おうと思っていた。
今は買う気がしない。
店員に選んでもらった本を買って純の所に戻る。
純はまだ『サルでも分かるイラスの描き方』の本を読んでいる。
僕も純と同じ本を手に取って読む。
少しして、視線を感じて隣を見ると純が僕を見ている。
「じゅんちゃん、帰ろうか?」
「おう」
店内を出たら、外は真っ暗になっていて冷たい風を頬に感じる。
スマホで時間を確認すると20時を過ぎていた。
家に帰って作っていたら、純が腹を空かせてしまう。
「そこのカフェで食べて帰ろうか?」
「おう」
早足でカフェに向かう純の後に続いた。
家に着き純は珍しく自分の家で風呂に入ると言ったから別れた。
自宅の玄関の鍵を開けようとしているとドアが開く。
「こう、ちゃん、おかえり」
足元がふらふらで頭を揺らしながら愛は出迎えてくれる。
「遅くなってごめんね」
「まだ、勉強会する21時、きてないから、大丈夫、だよ」
「らぶちゃん眠たそうだから、勉強は明日の朝にしようか?」
「大丈夫。眠たく、ない、から、勉強、する、よ」
指で突いたら倒れそう。
数分かけてリビングの椅子に座り、すぐに机の上に顔をのせて寝息を立てる愛。
家に送って行くために愛を抱きかかえると、目を大きく開いてすぐに閉じる。
「今日はイラストの勉強をしようか?」
「うん! 絵の勉強するよ!」
愛は飛び起きて部屋を出て行く。
ノートパソコンを持って戻ってきた愛は画面を見せながら聞いてくる。
「今からピクシンにイラストを上げるよ! こうちゃんはどれがいいと思う?」
6枚のイラストが表示されていて、どれもきわどい水着を着た凹凸のある女子のイラストが描かれていた。
昨日のイラストより完成度が高いはずなのに、昨日のイラストの方が好き。
モデルが愛だったから。
そのことを言っても、意味がないので口にしない。
6枚のイラストを見比べる。
どれも同じに見える……少しだけ純の顔に似ているイラスを選ぶ。
「こうちゃんはこの絵で音色に勝てると思う?」
ここでお世辞を言っても戦況は変わらないから正直に言う。
「勝てないと思うよ」
「らぶもそう思うよ。たくさんたくさんたくさん絵を描いても、音色の絵に勝てる気がしないよ」
いつも前向きな愛が項垂れながら呟く。
愛を助けられるのは僕じゃなくて、愛と音色の絵の根源になった恋にしかできない。
でも、絵が描けることを愛に黙っていてほしいと恋に言われている。
愛に直接協力してもらうことは無理。
そもそも恋はどうして絵を描けなくなったか気になる。
「恋さんって昔から絵を描いていたの?」
「そうだよ! 小学1年生の時から小学2年生のまで描いているのを近くで見ていたよ!」
顔を上げた愛が微笑む。
愛が2年の春頃に4日間、熱で寝込んでいたことを思い出す。
「でも、転校してからは描かなくなったって言ってたよ! どうしてって聞いたら興味がなくなったって言ってたけどらぶは嘘だと思うよ! いつも楽しそうに絵を描いていたんだよ‼」
後半になるにつれて、愛の語調が強くなる。
「またれんちゃんに絵を描いてほしいよ‼ でも、れんちゃんに嫌われたくないから、れんちゃんに描いてほしいって言えないよ‼」
愛は部屋を小走りで部屋を出て行く。
ソファに座って、恋が愛の前でも絵を描くにはどうしたらいいか考えるけど何も浮かばない。
2人は喧嘩をしているわけでもない。
恋が愛に隠し事をしているだけ。
その隠し事を晒してほしいなんて、僕が言う権利なんてない。
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