87話目 イラスト勝負2日目②

 数時間経って昼過ぎになった今も水1滴も飲まずに、黙々とイラストを描き続ける愛。


 休憩するように何度か声をかけても、聞こえていないのか返事をしない。


 愛にストローでお茶を飲ませようと思い、椅子から立ち上がろうとすると愛が血走った目で僕を見る。


「こうちゃん! こうちゃん!」

「らぶちゃん、何?」

「女装して!」

「……え? どういうこと?」


 いきなりの発言に聞き返してしまう。


「だから、こうちゃん女装して!」

「何で僕が女装するの?」

「こうちゃんが女装したら可愛くなるから、絵も描けるようになるよ!」

「僕には似合わないと思うよ」

「そんなことないよ! 絶対に似合うよ! こうちゃん女装してよ!」

「………………いいよ」

「ありがとう! 今すぐらぶの服持ってくるよ!」


 早足で家に帰った愛は白のワンピースを手にして戻ってくる。


「らぶのお気に入りの服だよ!」


 差し出してきたので受け取って……着たくないな。


 でも、目を輝かせている愛に着たくないなんて言えない。


 おずおずと着ようとしてけど、サイズが小さ過ぎる。


 無理矢理、着たら確実に破れる。


「残念だけど、らぶちゃんの服を僕にはサイズが合わないよ」

「らぶが手伝うよ! 後、もうちょっと!」


 必死に僕の足元にあるワンピースを上げようとするけど、全く上がる気配がない。


 息を切らした愛はワンピースから手を離して、純の所に行く。


「じゅんちゃんの服借りていい?」


 横になっていた純は座る。


「女子っぽい服を持ってないから力になれない」


 純が持っているパジャマ以外の私服は全てジャージ。


 ジャージを借りても女子っぽくはならないな。


「こうちゃん! 可愛い女子みたいに振舞ってもらっていい?」

「……いいよ」


 可愛い女子と言えば、愛と純。


 2人の真似をするなんて僕には絶対できない。


 愛と純の可愛さを冒涜することになるから。


 大好きな幼馴染以外で可愛い女子……。


 音色の作品に出てくる黒髪ロングで大人っぽいキャラの桐生桜きりゅうさくらが頭に浮かぶ。


 桜は主人公の女子を駄目人間にする勢いで世話をしたり、スキンシップを積極的に取る。


 桜の行動をしてみる。


「じゅんさん膝枕をしたいです。いいでしょうか?」

「……おう」


 おずおずと純が頭を上げた所に座り、純の頭を優しく持って自分の膝に下ろす。


「じゅんさんの髪綺麗ですね」

「……おう……ありがとう」

「戸惑っているじゅんさん可愛いです」

「……おう」


 敬語と純の呼び方を変えているだけなのに……女子を演じていると思うと気持ち悪くて吐き気がする。


「らぶちゃん、いつまで続けてたらいい?」

「今日1日は続けてほしいよ!」


 模写している手を止めて、僕の方を見る愛。


 愛のためなら仕方がないから、桜を演じ続ける。


「じゅんさんのためだったら何でもしますよ。だから、遠慮せずに言ってください」

「……」


 耳をゆっくりとなぞると、純は「あんっ」と喘ぎ声を出す。


「気持ちいいですね。もっとしてあげますよ」

「……あ、あんっ。あっ」


 自分の服を噛みながら喘ぐことを必死に我慢する純。


「じゅんさんは本当に可愛いですね」


 耳から手を離すとその手を純は握って言う。


「……もっと、触ってほしい」

「じゅんちゃん可愛いよ! 可愛過ぎるよ!」

「こうちゃん! じゅんちゃんの呼び方と口調が戻ってるよ!」


 純のあまりにも可愛さに素に戻ってしまい愛に注意された。


 それから、しばらくの間膝枕をしたまま純を甘やかし続けていると純は眠る。


 起こさないよう膝から純を下ろしてから立ち上がる。


 昼食後、洗濯を干し終えてリビングに戻ると薄目をあけた純が近づいてきた。


「……こうちゃん、抱きしめてほしい」


 寝ぼけているのか素直に甘えてくる。


「いいよじゃなくて、いいですよ」


 純の背中に手を回して優しく抱きしめる。


「もっとぎゅっとしてほしい」


 強めに抱きしめると、僕に抱き着いていた純の力が弱って寝息が聞こえてくる。


 抱きかかえてソファに運ぶ。


 リビングに掃除機を掛けたいけど純を起こしてしまうからできない。


 買いものに出かけよう。


 愛の方を見るとペンを持ったまま、うんうんと唸っている。


 気分転換した方がいいな。


「らぶさんも買い物一緒に行きますか?」

「らぶは絵を描いているから行かないよ!」

「たくさん買い物をするので、らぶさんがきてくれると助かります」

「今日のこうちゃん女子だったね! 女子1人じゃ大変だから、らぶも一緒に行くよ!」


 部屋の窓が閉まっているか確認してから、愛と2人で家を出た。


「こうちゃん!」

「らぶちゃんどうしたの、じゃなくてらぶさんどうかしましたか?」

「こうちゃんは今女の子だから、いつもと違う呼び方をしたいよ! ……こうお姉ちゃん」


 眉間に皺をたくさん寄せて凄く嫌そうに愛がそう呟く。


「ちゃん呼びはいつもと一緒だし、さん呼びは距離を感じて嫌だから、こうちゃんのことをこうお姉ちゃんって呼ぶね。らぶの方がお姉さんだけど!」


 愛にお姉ちゃんと呼ばれるのはなぜか嬉しくなる。


「らぶさんもう1回、お姉ちゃんって呼んでもらっていいですか?」

「こうお姉ちゃん」

「百合中……君?」


 スーパーの方から歩いてきた剣は僕達の前で立ち止まる。


「うわっ⁉ おばけ‼ こうちゃん‼」


 全身の髪がお腹の所まできていて、顔が隠れている剣のことを見て愛は驚く。


「カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、カッ」


 人見知りを発動させた剣は不気味に笑い始める。


 僕以外と関わる時はだいたいこんな風になることが多い。


「おばけが出たから逃げよう……おばけじゃなくて、剣だよ! 驚いてごめんね!」


 僕の手を摑もうとした愛は急に落ち着く。


「……気にしなくていいです。百合中君じゃなくて、百合中君のお姉さんですか?」


 僕の方を見ながら剣は言う。


「こうちゃんのお姉さんはらぶだけ! ここにいるのはこうちゃんだよ! こうちゃんは女子になったんだよ!」


 胸を張りながらドヤ顔をする愛。


「百合中君が女子なら、これからはわたしが作ったスカートを穿かせ放題ですね!」

「穿かないよ」

「女子ならスカートを穿いても恥ずかしくないですよ! 穿いてください! お願いします! わたしにできることなら何でもしますので!」


 真顔で0距離まで近づいてこようとする剣の頭を摑む。


 愛に許しをもらい、愛がイラストを描くために僕が女子を演じていることを話す。


 人見知りの剣が愛の方に顔を向ける。


「そうだったんですね。わたしでよければ協力しますよ。百合中さんに着せたい服を大量に作っているのでもらってください」

「ありがとう! 困っていたから助かるよ!」

「わたしこそありがとうございます。百合中さんに可愛い服を着てほしいと思っていたので嬉しいです」


 いつの間にか僕が女装する流れ。


「これから時間があるので、わたしの家に来ますか?」

「うん! 行くよ!」


 剣の家はスーパーから歩いて10分ぐらいの場所にあった。


 アパートの鍵を開けている途中で、剣はゆっくりと後ろに倒れたから支える。


「大丈夫?」

「大丈夫です」


 顔が真っ赤になっているから大丈夫そうに見えない。


 額に手を当てると熱い。


 鍵を開けて布団の上に剣を寝かせる。


「久しぶりに友達がわたしの家にきてくれたから、嬉しくて熱が出たのかもしれないです」


 お粥を作って食べさせていると、微笑みながら剣は言う。


 使った鍋と食器を洗って家に帰ろうとすると僕の服の裾を剣が摑む。


「百合中君は女装しないんですか?」

「剣の体調が悪いからやめておくよ。機会があったらするね。らぶちゃんも、それでいいよね?」

「いいよ! 元気なことが1番だからね!」


 愛は大きく頷く。


「……残念ですけど……諦めます」


 ほっとしつつ、愛と剣の家を出る。

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