82話目 ちっぱい

 素直になることの大切さを改めて実感した純は、僕が席に座るとこちらを向いて口を開けている。


 机には今日の晩飯のビーフシチュー、ポテトサラダ、ラスクが並んでいる。


 バターを塗って砂糖をまぶしたラスクを手にして純の口に入れると、一瞬で飲みこむ。


 喉に詰まらせないか心配していると口を開ける純。


「じゅんちゃん、良く噛んで食べてほしいな」

「ごめん。こうちゃんの料理が美味し過ぎて噛むのを忘れてた」

「褒めてくれてありがとう。でも、味わって食べてくれる方が嬉しいよ」

「おう。たくさん噛む」


 口を大きく開いたので、ビーフシチューをスプーンで掬って入れる。


 純の頬が機能していないじゃないかというぐらい緩む。


 口から零れそうになり必死に閉じて何度も噛み続ける。


「甘ければ甘いほど好きだけど、このビーフシチューのように優しい甘さも美味しい!」


 純は目を輝かせながらビーフシチューを見る。


「隠し味に蜂蜜を入れたからそうなっているんだと思うよ」

「蜂蜜すごい! 他に蜂蜜って何に使える?」

「牛乳に入れても美味しいよ。今晩やってみる?」

「おう! 飲んでみたい! こうちゃん」


 僕の名前を呼んだ後に口を開けた純に食べさせていると、『バン』とドアが壊れるぐらい勢いよくドアが開く。


 愛はドタドタと足音を立てて、僕と純の前まで立ち止まる。


「こうちゃん! じゅんちゃん! 助けて!」

「らぶちゃん、どうしたの?」

「愛お姉ちゃんのちっぱいをモミモミさせてほしっす! モミモミが嫌だったらツンツンでもいいっすから! まあ、ツンツンしたらモミモミ所かチュウチュウしたくなると思うっすけど」


 愛の話を聞く前に変態が部屋に入ってくる。


 なんとなく事情を察した。


 愛から変態を遠ざけることを優先して、音色の肩を摑んで自室に連れて行く。


 音色は部屋に入った瞬間、ベッドの下に顔を突っ込む。


「何しているの?」

「百合漫画がないか探してるっす」

「百合漫画はアプリでしか見てないからないよ」


 ベッドの下から顔を出した音色はベッドの上に正座して叫ぶ。


「アプリも悪くないっすけど、紙媒体は紙媒体でいいものっすから1冊は持っていた方がいいっす!」


 その話題について少し話し合いたいけど、今は訊かないといけないことを優先。


「何でらぶちゃんを襲ったの?」

「まだ襲っていないっす」

「まだってことはこれから襲うつもりってことだよね?」

「ぼくが悪いんじゃないっす。高校生で小学低学年ぐらいの身長で、目がぱっちりしていて、頬がプニプニしていて、可愛いを凝縮したような愛お姉ちゃんを人気のない暗闇で見つけたら襲わないとか逆に失礼っす」

「次にらぶちゃんとじゅんちゃんを襲ったら、容赦なく警察に突き出すからね」


 音色に顔を近づけると、怯えながら大きく頷く。


「それで本当に何をしにきたの?」

「本当のこと言ってもいいっすけど、怒らないっすか?」

「らぶちゃんとじゅんちゃんに余計なことをしなければ怒らないよ」

「だから、その顔で近づかないでほしいっす! 本気で怖いっす! ちびってしまいそうなほど怖いっす! ちょっとちびってしまったっす!」


 大袈裟だなと思いながら音色から距離を取る。


「漫研部で見たイラストって愛お姉ちゃんが描いたやつっすよね?」

「……」


 愛は漫画を描いていることを隠しているから、話を逸らそうとしたけど。


「愛お姉ちゃんの漫画は男子同士がエッチなことをしていたっす。確かに思春期の女子だったら隠して当然っすよね。それで、お兄ちゃんはそのことを知っていて、気付いていない振りをしてるっす。だから、ぼくの質問に答えなかったっすよね?」


 音色はいつもの糸目ではなくて、見開いて僕を見つめている。


「それに、お兄ちゃんはぼくの別れる時に言ったっす。愛お姉ちゃんに聞くから新聞の切り抜きを渡してほしいって」


 これ以上誤魔化すことができないな。


「そうだよ。音色が漫研部で見たイラストはらぶちゃんが描いたよ」

「やっぱりそうだったっすね。心配しなくても愛お姉ちゃんがBLエロ漫画を描いていることと、お兄ちゃんがそのことを知ってることは、愛お姉ちゃんに言わないっすから安心してほしいっす」


 百合好きに悪い奴はいないから、少ししか関わってないけど音色は信用できる。


「話も終わったみたいっすから、ぼくはリビングに行くっすね」

「音色がここに何しにきたのか聞いてないよ」

「そうだったっす。忘れていたっす」


 部屋を出て行こうとした音色はベッドの上に戻り胡坐を組む。


「写真の絵を愛お姉ちゃんが描いたのか聞きにきたっす。誤解してほしくないっすけど、お兄ちゃんのことを信用してないから愛お姉ちゃんに直接会いにきたんじゃないっすよ。子どもの頃から憧れた人が近くにいるかもしれないと思ったら待てなかったっす!」

「ここにきた理由も分かったし、誤解もしてないよ。本気で憧れの人と会いたい気持ちが伝ってきて、今まで以上に協力したいと思ったよ」

「ありがとうっす」


 それから僕達は話し合う。


 愛が絵を描いていることには全く触れないで新聞の切り抜きだけを見せて愛の反応をみることにした。


 1階に下りてリビングに行くと、純が愛に勉強を教えている。


「じゅんちゃん、ありがとう。後は僕に任せて」

「おう」


 そう言いながら純はソファに座る。


「らぶは誰からも逃げないよ! だから今度はらぶが音色を抱きしめるよ!」


 両手を広げた愛がおずおずと音色に近づいている。


「合法ロリの方からこっちに来てくれるなんて感激っす! こんなチャンスはないっすから、好きなだけも……まないっす。愛お姉ちゃんに聞きたいことがあるんっすけどいいっすか?」


 音色は僕が睨んでいることに気づいたのか、興奮を抑えて新聞の切り抜きを愛の方に差し出す。


「この写真に乗っている絵に見覚えはないっすか?」

「らぶのじゃないよ。その絵はれ…………れ、れ、れ、知らないよ! らぶは何にも知らないよ!」


 途中から写真から顔を逸らして早口になる愛は明らかに何かを隠している。


「この絵を見た時ぼくは体中がビリビリして、描いたことない絵を描きたいと思ったっす。だから、1度でもいいからこの絵を描いた人に会いたいっす。どんなことでもいいっすから、知っていることがあったら教えてほしっす。愛お姉ちゃん、お願いするっす」


 深く頭を下げる音色を見て愛は口を開いたり閉じたりを何度も繰り返してから言葉を発する。


「嘘を吐いてごめんね、音色。らぶはその絵のことも、その絵を描いている人のことも知ってるよ」

「教えてくれるんっすか?」

「教えてあげたいけど、教えることができないよ」

「何で、教えることができないっすか?」

「……音色、ごめん」

「納得できないっす‼」


 叫びながら音色は愛に近づこうとしたから、後ろから抱きしめて愛から離す。


「教えてくれたら何でもするっすから‼ お願いするっす‼」

「……ごめん。どうしても言えないから」


 音色は強い力で暴れて、放しそうになる。


「らぶちゃん。音色は僕が落ち着かせるから、今日は一緒に勉強するのはなしでいいかな?」

「……こうちゃんごめんね。音色も本当にごめん」


 涙ぐむ愛はそう言って部屋を出る。


 ソファに座っていた純が音色の前にきて胸倉を掴む。


「らぶちゃんを泣かせる人は許さない」

「泣かせたことは謝るっすけど、どうしてもぼくは憧れている人に会いたいっす!」


 純に凄まれた音色は怯むことなく堂々と言い返す。


「2人とも椅子に座ってお茶でも飲もうか。じゅんちゃんはココアがいいよね。音色手伝ってもらっていい?」

「……おう」

「……分かったっす」


 そう話しかけると、純は音色から手を放して4人がけのテーブルの椅子に座る。


「ごめんなさいっす。迷惑かけて本当にごめんなさいっす」


 キッチンに行きココアを作っていると、横にいた音色が呟いた。


「らぶちゃんの様子もおかしかったからしょうがない。気にしなくていいよ」


 頭を撫でると音色は、「本当のお兄ちゃんみたいっすね」と微笑を浮かべる。

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