71話目 大きな幼馴染と包丁

 早朝、着信音で目を覚ます。


 この時間に電話が鳴ることは今までになかった気がする。


 大好きな幼馴染に何かあったのではないかと思い、急いで電話に出る。


「おはよう。こうちゃん。もしかして、寝てたかしら?」

「今起きた所だけど、大丈夫だよ。それにそろそろいつも起きる時間だから」


 自分が脳裏によぎった最悪な知らせではなくて安心しながら、母親に返事する。


「まだ、6時になってないのに起きるなんて、きちんと寝られているの?」

「22時過ぎには寝ているから、十分に睡眠はとれているよ」

「それならいいわ。食事は毎日3食食べている? 生活費は足りてる?」

「うん。食べてるし、足りているよ」


 両親は仕事が忙しくて家に帰ってくるのは年に1回あるかどうか。


 電話がかかってくるのは年に1,2回。


 だから、かかってきた時は山のような質問を母親はしてくる。


 少し面倒だけど、心配してくれていることが伝わってくるので素直に答える。


「元気そうにしているようで安心したわ。何かあったら遠慮せずに電話やランイをしていいからね」


 数分質問攻めにした母親は満足したのかそう口にした。


 ありがとうと言って電話を切ろうとしていると、「少し待って」と止められる。


「こうちゃんに伝えたいことがあって電話していたのを忘れていたわ。今日いと」

「社長おはようございます」


 母親の声とは違う明るくて元気な声が聞こえる。


「社長そんな猫なで声なんてしてどうしたんですか? 何かの病気かもしれないので、病院いきますか?」

「朝早くから、あなたは失礼ね」

「いつもみたいにドスのきいた声で怒らないなんて、もしかして電話の相手は彼氏ですか?」

「夫がいるのに彼氏なんていないわよ。息子と電話しているんだから、勘違いするようなこと言わないでほしいわ!」


 母親の怒気を孕んだ声を始めて聞いて少し驚く。


「いつも通り社長は怖いですね。そうじゃないと、朝目が覚めないですね」

「社長のわたしに堂々と失礼なことを言うのはあなたぐらいよ」

「えへへへ」

「褒めてないからねって、こら、やめなさい! わたしのスマホを奪おうとするのは!」

「ボクも社長の息子さんと電話したいので変わってください」

「嫌よ! あなたは絶対に余計なことを言うから!」

「言わないです! だから、数秒だけでいいんで! お願いします!」

「……」


 電話の向こうからは声が聞こえてこなくなったと思っていると。


「初めまして! ボクの名前は音倉昴だよ! ボクのこと知ってる? 知ってるよね!」


 耳が痛くなるほど大きな声。


 スマホをスピーカーにしてベッドの上に置く。


「ボクの声聞こえてる? ねえ、聞こえてる?」

「聞こえてるよ。えっと音倉さんのことは」

「昴でいいよ! ボクと君の仲だから、名前を呼び捨てにしてよ!」

「音倉さんのことは知らないよ」

「ボクのこと知らないの? 音倉昴だよ。音倉、昴!」


 部屋中に音倉の声が響いてうるさくて、電話を切りそうになる。


 切らなかったのは、真直ぐで元気溌剌な所が愛に似ているから。


「しょうがないな。無知な君にボクの素晴らしさを教えてあげるよ、社長何するんですか⁉」

「……」

「……本気で怒る前の顔をしてる。ボク仕事行ってきます」


 音倉の声が遠ざかっていく。


 母親の本気で怒る前の顔が少し気になる。


「音倉さんはあんなこと言ってけど、わたしが怒るのはほんとに稀なのよ」


 それから母親は自分がどれだけ温厚なのか語り始めた。


「こうちゃん! おはよう! こうちゃんがくるのが遅かったから迎えにきたよ!」


 片手を大きく振りながら愛が部屋に入ってくる。


「迎えに行けなくてごめんね。すぐに準備するから少し待って。らぶちゃんがきたから電話切るね」

「らぶちゃん。久しぶりね。元気にしてた?」


 母親の声を聞いた愛はベッドに置いているスマホの所に行き息をたくさん吸って吐き出す。


「元気にしてたよ‼ 三実も元気?」

「元気よ! らぶちゃんには負けるけどね」

「いつも元気ならぶに勝てる人なんていないよ!」

「ほんとね。らぶちゃんの声を聞くともっと元気が出てきたわ」


 楽しそうに2人の会話を聞きながら、制服に着替える。


 着替え終えても愛と母親はまだ話をしている。


 愛を部屋に残して弁当を作るために1階に下りる。


 リビングのソファには眠たそうに目を擦る純がいた。


 挨拶をしてキッチンに立つと、純が僕の隣にくる。


「私もこうちゃんみたいに料理できるようになりたい」

「……もしかして、僕の料理に飽きた?」

「飽きてない。全然飽きてない」


 その言葉に心の底から安心する。


 飽きたと言われたら、学校をしばらく休んで有名な料理人の所で修行に行くつもりだった。


「いつも美味しい料理を作ってくれるこうちゃんに、料理を作ってあげたいから教えてほしい……」


 こんな可愛い理由を聞かされたら教えないわけがないから、「いいよ」と即答。


 純はほとんど料理をしたことがない。


 弁当より先に簡単な朝食を作ることにした。


 冷蔵庫の中を覗くと卵とハーフベーコンがある。


 ベーコンを炒めるのと、スクランブルエッグを作ることにした。


 使う食材を作業台の上に置いてから作り方を説明していると、純が聞いてくる。


「包丁は使わないの?」

「……使いたいの?」

「料理するなら使った方がいいと思って」

「……」


 中学の時に僕は鈴木という男に包丁で刺されそうになった所を純が助けてくれた。


 自分の所為で僕が危険な目に遭ったと思った純。


 その日から刃物が怖がるようになる。


 しなくていい辛い思いをさせたくないというのが本音だけど。


「……教えてほしい」


 断られると思ったのかしゅんとしながら聞いてきた。


 落ち込む純が可愛い。


 この状態の純を愛が意地悪している所をみて見たい。


 妄想しそうになって……我慢する。


 頑張ろうとしている幼馴染の背中は押さないといけないな。


「いいよ。でも、無理はしないでね」

「おう。分かった」


 キッチン棚から包丁とまな板を取り出して、作業台の上に置く。


 包丁を見た純は1歩後退ってから、ゆっくりと包丁が置かれている作業台に近づく。


 手を震わせながらハーフベーコンの食品包装をはがして、まな板の上に置く。


 おずおずと包丁を摑み、ハーフベーコンを切ろうとするが手がぶるぶると震えていて押さえている右手を切りそう。


「じゅんちゃん1度包丁を置いて」

「……おう」


 純は作業台の上に包丁を置く。


「食べものを押さえる右手を猫の手をしよう」

「猫の手ってこう?」


 右手を軽く握り、その手を見せてくる。


「そうだよ。そうすれば指を切ることがないからね。料理再開しようか」

「……こうちゃんは猫好き?」


 質問の意図が分からないけど「うん」と答える。


「…………ニャ~」


 純は猫の鳴き声で返事をした……可愛い過ぎかよ。


 自然と純の頭に手が伸びて、そのまま撫でる。


「……ゴロ……ニャン」


 左手も軽く握り、消え入る声でまた鳴いた。


 耳を真っ赤にして恥ずかしがっている。


 猫の真似をしているのは僕に甘えたいからだろう。


 めちゃくちゃ甘やかそう!


 空いている手で猫の顎を撫でるように、純の顎を優しく撫でる。


「あ、あんっ」


 甲高い声を口から漏らした純は僕から視線を逸す。


 可愛過ぎて抱き着くと、「……もっと顎を撫でてほしい」と言われる。


 その後、めちゃくちゃ純の顎を撫で続けた。

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