70話目 前髪で顔が隠れている女子が髪を結ぶ
「授業が終わったし、今日は何をしようかなって、百合中君はスマホで何を見てるの?」
後ろの席の女子に声をかけられたから、体をそちらに向ける。
「料理のレシピを見てるよ。家庭科部で今日作るものを探している」
「家庭科部に入るなんて、百合中君は料理を作ることが好きなんだね」
小さい頃から料理をしていて、生活の一部になっているから好き嫌いで考えたことがない。
でも、大好きな幼馴染のために料理を作ることは好き。
料理もそうだけど、僕の原動力は全て愛、純のためだといっても過言ではない。
勉強を真面目に受けるのは愛に勉強を教えるため。
料理のスキルを磨くのは純に毎日美味しいものを食べてもらうため。
2人との時間を減ることを嫌で中学は部活に入らなかった。
そんな僕が高校では家庭科部に所属している。
最初は入るつもりはなかったけど、やむなき事情があったから。
高1の今年の春に百合に目覚めた僕は愛と純を無理矢理キスさせそうになる。
2人から距離を置こうとしていた時に、音倉剣に部活勧誘をされたから家庭科部に入部。
自分の気持ちが制御できるようになったら部活をやめるつもりだった。
剣と一緒にいるのは心地がいいので続けている。
調理実習室に着き扉を開ける。
全身の髪がお腹の所まできている女子が赤色のスカートを自分の下半身の前で持っている。
「ワインレットの色はわたしには派手ですね」
「穿かないの?」
「いつからそこにいたんですか⁉」
「今きた所だよ」
「……よかったです」
剣は深く息を吐いたのか前髪が軽く揺れる。
「そのスカート穿かないの?」
「わたしには絶対に似合わないから穿かないです。でも、百合中君なら似合って可愛いと思うのでこのスカート穿」
「穿かないよ」
「……」
スカートを掲げて僕の方に近づきながら無言の圧力をかけてくる剣。
「穿かないよ」
「……」
「男子の僕がスカートを履くのは誰も得をしないよ。気持ち悪いだけ」
「わたしが得します! それに、百合中君は可愛いです! 可愛いスカートを穿いた百合中君はもっと可愛くなります! 想像したら今すぐスカートを穿いた百合中君の姿が見たくなりました! お願いします! スカートを穿いてください!」
声音を強くしてスカートを僕に押しつけながら言う。
剣は人見知りで、緊張をして消え入る音量しか出せなかった。
今は僕に対して自分の意見をはっきりと主張している。
距離感が近くなっていることに喜びつつ、今の状況は困惑する。
「寒くなってきているから、今日は温かいものでも作ろうか?」
「……」
スカートは絶対に穿きたくないから、話を無理矢理逸らそうとするけど剣は反応しない。
いつもの席に座る。
「剣は温かい食べもので何が好き?」
「……」
「僕は鍋とかいいと思うよ。簡単にできるし、美味しいから。他に意見がなかったら鍋にするけどいい?」
「……」
頑固過ぎるけど、ここで折れることは絶対にしたくない。
大好きな幼馴染にスカートを履くことを頼まれても悩みに悩んで……穿くかも。
愛と純は僕が嫌がることを言わないから、考えなくていい杞憂だけど。
数分経っても剣は動こうとしないので、妥協案を口にする。
「前に言っていたシュシュならつけてもいいよ」
剣は長い髪をなびかせながら僕の所にくる。
「何色がいいですか? 選んでもらわなくても、わたしが持っているシュシュ全部つけてもらえばいいですね!」
冷蔵庫の隣にある引き出しから両手一杯のドーナツ状の髪飾りを持って戻ってきて、それを机の上に置く。
「百合中君、後ろ向いてください」
大量のシュシュを見ながら、今日は料理することはないだろうなと思いながら剣に背中を向ける。
「百合中君のイメージカラーはピンクなので、初めはピンク色の少し大き目なシュシュをつけますね」
「うん」
絶対僕のイメージカラーはピンクじゃないと突っ込みたいけど、剣が楽しそうにしているから黙る。
頭頂部の髪を優しく掴んできて少しくすぐったいけど、我慢できないほどでも……少し痛みを感じた。
我慢はできるけど、この痛みが続くと考えたら嫌だな。
「剣、少しだけ引っ張る力弱くしてもらっていい?」
「ごめんなさい。強く引っ張り過ぎました」
すぐに力加減が弱くなる。
髪を結ばれているだけだと暇で、窓から茜色に染まった雲を見ながら呆然とする。
その間、剣は僕の髪を触っているけど一向にシュシュで髪を束ねようとしない。
「……百合中君が1番可愛く見える髪型はツインテールですかね? 可愛くはなるけど、あざとい可愛さじゃなくて自然な可愛さの方が百合中君には似合います。うーん」
独り言を呟いてから唸る剣。
長くなりそうだから気長に待とう。
しばらくして完全に日が落ちて、窓に僕と剣の姿が映る。
剣はやっと僕の髪をシュシュで結ぼうとするけど、髪が短くて上手くできていない。
そろそろ下校時間。
失敗しても何度も続ける剣に言い辛い。
「剣ちょっといいかな?」
「何ですか?」
「1度手を止めてもらっていい?」
「分かりました」
剣が僕の髪から手を離した後、剣の方を向く。
「前髪を結んでもらっていい?」
髪の短い女子が前髪を結んでいたことを思い出して言う。
「前髪を結ぶ方法もありましたね! その方がもっと百合中君が可愛くなります!」
長い髪を大きく揺らしながら頷いてから、僕の前髪を両手で摑んで真中に集めていく。
「これなら結べそうです」
左手で集めた髪を摑んで、右手に持っているシュシュを使って数秒で結ぶ。
「できました。百合中君凄く可愛くなりました」
髪で顔が隠れていても、満面の笑みを浮かべていることが手に取るように分かる。
「次は大人可愛いで黒の小さなものにしましょう!」
「下校時間過ぎたから帰るよ」
「……」
またしても黙ったまま動かなくなる。
片手で自分と剣の鞄を持ち、開いた手で剣の手を摑んで教室を出る。
「明日の部活でも僕の髪を結んでもいいよ」
「わたし、百合中君に甘え過ぎてますね。……面倒くさいわたしでごめんなさい」
「気にしなくていいよ。剣の面倒を見るのは嫌いじゃないから」
「……これからもよろしくお願いします」
冗談っぽく笑いながら口にすると、剣は握っている手の力を強めた。
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