第45話 ギャレットの主張
「……『カーター』とは、第三公用語で『荷車』ですよね?」
「ローレン大王国の諸侯数多といえど、あの王家だけですよ。貴族の当主家で、『荷車』などという名を子に贈り、親から負うのは。古来、騎士が荷車に乗るなど恥、とされておりましたので」
「荷車に乗るのは騎士の恥……」
それも、シュゼットの知らない常識だった。むむむ、と眉間に皺を寄せる。覚えきれるだろうか。
「ですが昔、とある戦場で、重傷を負った主人の大伯を荷車に乗せ、恥ずかしげもなくロバを御して、戦場から脱出、連れ帰った騎士がいた。主人は命を拾ったわけですが、騎士は騎士仲間からも主人の大伯からも非難され、婚約者の姫にも厭われ、婚約解消。貴族社会からは軽蔑を込めてカーターとあだ名され、居場所はなくなってしまいました」
「ええっ。そんな、だって、ご主人の大伯さまのためになさったことでしょう!?」
「そうです。ですが、騎士の世界、貴族の世界とは、そのようなこともある世界です。ただ、直後、理解者が現れました。合理的で果敢なる忠義の騎士よ、と、とある王から、婿養子に欲しいとまで乞われた」
「わあ、よかった!! いいお話ですね!」
「ええ。かの騎士は喜んでその王家に入った。迎えられる際、誇りを込めて名をカーターと変えた。侮蔑のあだ名を誇りの本名としたのです。それをまた、王は喜んだ。そんな王さまで、そんな初代カーターでした。初代カーターはやがて跡目を継いで王となり、子にも同じ名をつけた。長子には先代王の名、つまりその子の祖父の名をとりましたが、次男には父のかつてのあだ名にして本名、カーターを。以来代々、かの王家の長男と次男の名は同様に。貴族の家なのに、カーターと、平民のような名を誇りをもって授け、授かった方も誇りをもって名乗り、長男が次男に生まれたかったと言い出す。そんな奇特な貴族家のご出身なのですよ、サー・カーターは」
「なるほど! だからサー・カーターは、あのように」
「ええ。大変に理が勝つ。そしてそれを誇りにしていらっしゃいます」
「有名なお話なので、それで、ご本人もリーゼロッテたちも『なにせカーターだからな』と?」
「ええ」
「わあ……」
シュゼットは手をぱちぱちと打ち合わせた。
「ふふっ、ひとつサー・カーターのことが分かりましたし、サー・リーゼロッテたちとも近づきになれた気がします!」
「それはよかった」
ギャレットが、何故か眩しそうに目を逸らして、鼻のあたりをこすり、
「そ、それで、サー・カーターばりに、人力より大弓騎の方が効率がいいからと、貴族らしくもなく行っている土木工事は、壕の改修や土塁の繕いです」
「壕に……土塁……」
「城の防備を固めているのです。もともと廃城で、壕などは崩れていた上、数年前に入植した際に、壕は畑に転用したりしていましたので、戻している、といったところですね」
「廃城……? えっと、こんなに住みよいお城が、捨てられていた、と?」
シュゼットは目をしばたいた。
ギャレットは、
「ああ。これも話しておいた方がよさそうですね。デイムが本拠地としたとき、この城と周辺は、ほぼ原生林でした」
「えっ」
「ここは放棄された、奇跡的な空白地だったのですよ。でなければ、新規の領地など、この大王国には既に無いも同然ですから、デイムが領地を取得できるはずはなかった」
「あの……それは、全ての貴族達が避けていた土地ということでは?」
「! さすが、鋭いことです」
やられた、と顔に書いて、ギャレットは言う。
「ほんとうに、何故あなたはそうなのですか……斑とはいえ、察しがいい。――ええ、呪われた地、と言われていました。もしかして、一六〇年前の大王家の家督問題に思い当たりましたか?」
「いえ、その件も、存じ上げないです」
おそらく、外の世界の人間にとっては常識的なことだ。何故、じぶんは知らないのだろう、とシュゼットは恥ずかしく、少し哀しくなる。
「あの事件の知識なしに、ただ、ひらめいたと仰るのですか。それはまた……」
ぽかんとしたあと、ギャレットは続けた。
「簡単に言うと、謀反人が出て、粛正され、立ち入り禁止となっていた土地でした。なにしろ、謀反人は、隣国では英雄となったほど。顕彰されて、今でもあちらの国では一代爵位が存続している功績にして、このローレン大王国にとっての大逆。隣国の宮廷では、吟遊詩人の定番の恋物語でもあって、何度聴いても、それはそれは胸震え、胸躍る――ああ、余談がすぎました」
ギャレットは急に口をつぐんだ。
短い沈黙が落ちる。
隣国の宮廷での吟遊詩人の定番曲を、何故、そんなに何度も聴いたことがあるのでしょう、この方は――?
少し疑問に思ったが、シュゼットは、それよりも気にかかっていたことを呟いた。
「戦じたく、ですよね……?」
壕や土塁を直すということは、本当に、大王さまの軍が攻め寄せてくる、ということなのでしょうか……!?
シュゼットは半信半疑だった。最初のショックから時がたつと、大王がシュゼットを目標に攻めてくるというのは、少しおかしなことのように思えた。
何故、本当は不美人である私を?
軍を動かしてまで、奪い返しにくる必要が、あるだろうか?
一目千両は、不美人でもできる。どんな不美人でも、美人でも、化粧師ジュリアンの腕にかかれば絶世の美女にできる。
そも、一目千両になりたい女性は沢山いるのではないでしょうか?
その中から、選んで一目千両になってもらえばいいのであって、シュゼットがいなくなったからと、連れ戻す必要はない。
もちろん、シュゼットは、大王のおかげで長い年月生かしてもらっていたのだから、逃げ出したとしたら、捕まえて罰せられるのは当然かもしれない。
けれど、こんなちっぽけな存在を罰するためだけに、軍を差し向けて、割に合うものでしょうか……?
それとも、私がそう思いたいから、そう見えるだけ、なのでしょうか?
「まだ、戦になると決まったわけではありませんよ。話し合いで決着がつくこともある。国王陛下の出方しだいでもあります。そもそも、城の普請とは、敵に攻めても無駄だと戦意を喪失させる狙いでも行うものです」
シュゼットは少しほっとした。
「どうぞ心やすらかに」
ギャレットが重ねて言ってくれて、顔のこわばりも溶ける。
だが、ギャレットは次には釘を刺すように、
「それよりも、あなたはあなたのできることを――やるべきことを」
強く言った。
シュゼットは、
「そうですね!」
明るく言っていた。
「できることと言えば、サー・ポールへの手紙なのですが! ちょっとしたアイデアがありまして、そのためには布や糊や鋏やピンセットが必要で困っています。どうすれ」
――ば、と続ける前に、
「はあ!?」
ギャレットが、のけぞらんばかりに驚き、次には、凄い形相で突っ込んだ。
「この期に及んで、余計なことをしようとなさっていますか? もしかして!? 先ほども言いましたが、今夜は手紙も書かずによく休んで、明日一〇週を終えるくらい、体を回復して、ですね!!」
がみがみと、猛反対を開始する。
シュゼットは、あああ、どうしましょう……!! と、おろおろした。
何でも言って欲しい、とさっきは言ったくせに、いざ言ったら、気に入らない様子だ。
分かる、と言えば分かるのだが、どうすればいいのでしょう、どうすれば、ああ、怒らせてしまいました、と、わたわたと慌てて、焦っていた。
そこへ人影が――夜目にも大きな人影が、現れた。
「サー・プロスペール!」
シュゼットは、ぱっと顔を輝かせる。
「ギャレ・ト・ちゃ、おつ・か・れ。交代!」
にこっとして、ギャレットの肩を大きな手で包むように、ぽんと叩く。
ギャレットは、はっと振り向き、さらに振り返って、笑顔になっているシュゼットを確認し、暗澹とした表情を見せた。
「ああ……シュゼット、あなたには、私より……」
「あ・とは、ぼ・くが、ついて・る・よ」
「わあ、サー・プロスペール、いいのですか!?」
一緒にいてくれるというのだ、シュゼットの声は弾む。
ずい、と割り込むようにギャレットが、プロスペールの前に立った。
「いいえ。プロスペールも労作でお疲れでしょう」
「え……?」
シュゼットには、ギャレットが何か意地になっているように見える。だが、その理由が分からない。
「仮にも妻ですので、面倒は私が見ますよ」
あ、ああ、なるほど、責任感の強い方です!
シュゼットは納得して、けれど、緊張感のみなぎって見えるギャレットに、心配になった。
プロスペールに、ギャレットが休めるように『行っていいよ』と言って欲しい。
けれど、それはギャレットの本意ではないようだから、言わないで欲しい、とも思う。
では、どうすればいいのだろう?
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