第47話 怖いもの

 ひゃあ! 思ったより遅い時間になってしまいました!

 立体的な贈り物は、容器や包装も必要になる。

 手早く作ったつもりだったが、気がつくと、リーゼロッテが去って小一時間ほどもたっていた。

 月の傾きで時間を見ていた窓を閉じて、燭台のロウソクを吹き消す。

 あくびをひとつ。

「うーん」

 両腕を思い切り伸ばしてから、ぺたぺたとベッドへ行く。

 布団に入る。

 初めて寝間着で横になる。なんだか慣れなくて、転々と寝返りを打った。

「……」

 眠れず、毛布の中で身を丸める。

 そっと自分で自分の頭を撫でた。

 リーゼロッテがぐしゃぐしゃと撫でてくれたときの手のひらの温かさを思い出すと、少し安らぐ。

「ふふ」

 笑ってしまう。何故、泣きそうなのだろう。

『あ・りがと、い・い子』

 と、シュゼットの頭をなでようと伸ばされた大きな手も思いだす。

 白髪の巨躯。プロスペールの手。

 シュゼットが花冠をしていたので遠慮されてしまったけれど、

『でも、なでたい・気・持ちだよ』

 撫でられた感触を想像して、そっと自分で、もういちど自分の頭を撫でた。

「ふふ」

 笑ってしまう。何故、涙があふれそうなのだろう。

 先ほどまでは、落ち着いていたのに。

 誰かのために贈り物を作っている間は、心楽しかったのに。

 昼間、ギャレットや騎士たち、街の人々といるときは何の畏れもなかったのに。

 今は果てしなく心細くて、不安で、焦燥に駆られている。

 ドキ、ドキ、と鼓動を大きく打つ心臓。

 この慣れない寝巻きを脱いだら、少し寝やすくなるだろうか?

 いや、子どもの頃は、寝巻きを着て眠っていたはずだ。

 子供の頃から、いつまで?

 裸で寝ることになったのは、いつからだったか。もちろん、一目千両になった途端、その日からのはずだ。

 ただ、どんなふうにそうなったのか。

 それ以前、どんな寝間着を着ていたのか。

 何も思い出せない。

 思い出そうとしたことがなかった。

 忙しくて?

 そう、たぶん。忙しくて。

 いえ、そうじゃない。

 ……?

 ざらりとした感触が、心を通り過ぎる。

 思い出すことはだめだった。思い出話も。

 ジュリアンに蹴られてしまうから。

 思い出している暇はないから。

 そう、忙しくて。

 たぶん、忙しくて。

 ドキドキが大きくなってきた。

 このことを考えてはいけません!! 何か別のことを、そう、別の考えるべき事を、考えましょう!

 そういえば、リーゼロッテに考えるのを中断させてもらったこと。

――裸で歩くこと。ほんとに厭じゃなかったのか?――

 シュゼットは、身体がきゅっと縮んだ。

「厭なんかじゃ、ありませんでした。ぜんぜん、平気で。ほんとに、平気で」

――嘘だよな?――

 厭だったのか、どうか。

 思い出せません。厭ではなかった、と思うのです。そのはずです。

 でも。

 同時に、私の中の何かが。

 シュゼットの胸の中が分裂して、片割れが片割れを拒絶していた。

 どうして。

 相反する証言をしようとする、心の欠片たち。

 裸で歩くのは厭だった。厭じゃなかった。

 引き裂かれる痛みに、胸を抱きしめる。

 悲鳴が喉からこぼれそうだ。口を押さえて、歯をくいしばる。

「う……」

 かたかたと身体が震えていた。

 寒い。

 指が冷たい。

 体が拒絶している。考えることを。

 思い出すことを。

 気持ちを呼び戻すことを。

 真っ白だった。

 何も考えられない。

 弾かれたようにベッドを出て、洗面台に走った。

 胃袋から逆流するものが、喉の弁を裏返す。

 吐いた。

「ごほっ、ごほっ、ごほっ……うぅ」

 誰か来て、と喉まで声が出かかったが、音のない吐息に混ぜ、吹き出した。

「ふうっ……ふぅ……ふぅ……」

 誰もが寝静まっている夜明け前だ。誰も助けには呼べない。一人でなんとかするのだ、と思った。

 手探りで水差しからコップに水をくみ、口をゆすぐ。

 吐いたら楽になった気がしたが、身体が熱っぽく、くらくらした。

 めまいの中、気づいたら床にぶつかっていた。手探りで這っていってベッドにのぼる。

 身を横たえ、世界が回転しているような中、あがいてシーツを握りしめた。

 怖かった。疲れ切っていた。気を失うように、意識が深みに落ちていく。何も考えなくていい。優しい闇へと着地する。楽になる。

 その闇の中から、声がした。

『一目千両』

 神殿の石の神像が、高く高くそびえてシュゼットを取り囲む。

 勝利の女神。

 家々の壁の多色刷りの版画が、竜巻のように取り囲む。

 美の女神。

 沢山の人々に尊崇されていた一目千両。

 国中の人々に憧れられていた一目千両。

『裏切り者』

 断罪の声が響いてきた。

『恩知らず』

 無数の知らない男女の群れが、怒声をあげて、闇の中、一目千両を追いかけてきた。

『奴隷のくせに』『詐欺師め』『裏切り者』『信じていたのに』

 鍬を持ち、釜を持ち、剣を持ち、槍を持ち、ついには硝子の巨人を駆って、王国の民、貴族、騎士という騎士の全てが魔物のような影となって、シュゼットを追い回す。追い詰める。何度も何度も殴り、斬り、踏みつぶし、命を取る。

 シュゼットは悲鳴をあげて、跳ね起きた。

「ああっ、ああっ、ああっ!」

 嗚咽か呼吸か嘆きか分からない音が、胸から喉をついて出た。びっしょりと汗をかいていた。

 いつの間にか、眠っていたのだ。

 どっと涙があふれだす。

「ぐすっ……ひっく……ひっく……」

 暗闇の中で震えていた。吐息が熱っぽい。

 心臓が走り続けている。

 ベッドの上でぎゅっと膝を抱え、涙を呑む。

「ぐすっ……ぐすっ……ふ……」

 どうしたらいいのか。

 こんなに辛いなら、一目千両に戻った方が。こんなに外では価値がない女なのなら。

 もう眠れない。眠るのが怖い。

 罪がシュゼットを追いかけてくる。無能で先が途絶えている。

 ぽたぽたと、涙があとからあとから頬を伝った。

 怖くて怖くてたまらない。早く夜が明けて、誰かのそばに行けたらいいのに。

 また悪夢を見てしまう眠りに、どうしても二度と落ちたくない。けれど目覚めていれば、いらない思いを呼び起こしてしまう。

 もう起きていたくない。眠るのも怖くてたまらない。 

 そのときだった。

 キイ、と窓の鎧戸がひとりでに開いた。いや、外から開けられたのだった。

 びくっと大きく震えた。悪夢の続きだと信じた。

 恐怖にすくむ体。追っ手が来たのだ。とり殺される。引きずり戻される。

 月光が差し込む。

 怪しい光ではない、清浄な光。月の光とともに現れたのは、白髪の巨躯。

「サー・プロスペール!」

 わあっと涙が視界を埋めた。安堵して。嬉しくて。

「どうして!」

 どうして来てくれたのだろう。今シュゼットに会うべき人がいたとしたら、この人以上の人はない。

「泣・く、こえ、が、聞こえ・た・んだ」

 たどたどしい発音。けれどぶっきらぼうではない、優しい声。

 ガラス窓も開けたプロスペールは、軽々と窓枠に体を乗せていた。

 ここは二階だ。しかも壕に面した石垣の壁なのに、どうやって来たのか。だがプロスペールだから、自然な気がした。きっと、どうにかしたのだろう。

 同じく自然なことのように、窓辺に降り立つプロスペール。

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