第42話 食べていいのですか?

「然り」

 ゼアヒルドはうなずいた。

 マルクが、

「やっべー俺なんて差し出がましいことをー」

と、悔恨の呟きを漏らす。

「ふ。そなたらでのやりとりも必要だったのであろ」

 ゼアヒルドが言うと、マルクも、他の騎士たちも安堵した。

「さて、そこな騎士見習い。皆の意見も聞いたのだ、貴様の意見も聞かぬではないぞ?」

 不意に視線を向けられた。シュゼットは、

「は、はい!」

 慌ててガタンと立つ。

「希望を申すがよい。これなる騎士どもの教授を受け入れるか? 受け入れぬか?」

「受け入れます!」

「即答か」

「というより、教えていただけるなんて、ありがたいです! もしそうなら、どれほど嬉しいか」

 えっとプロスペールとギャレットが驚き、ゼアヒルドは、笑い出した。ひとしきり笑ってから、

「さようか。では、次なる問いじゃ。いつからがよい?」

「すぐにも!」

「また即答か」

「はい。私は皆様より年がいっているぶん、すぐにも始めるべきだと思うのです。物覚えだって、私の人生では今日が一番若いのですし!」

 ゼアヒルドはまた、ひとしきりカラカラと笑った。

「そなたはほんに面白いな。自ら年がいっていると言いきるところも痛快じゃ」

 しかし、と、ぴたりと笑いやめて、ゼアヒルドはシュゼットに横目をくれた。

「なんとする? 貴様は三日で内郭を一〇週走る。教授を受けていては、その時間がなくなってしまうぞ」

「あ……と、それは。スキマ時間で走ります……」

「間に合うか?」

「間に合います!」

「どうかのう」

 ゼアヒルドは意地悪く小首を傾げてみせる。

「……」

 どうしましょう! と、シュゼットは両手で頬を抑えた。間に合うと証明する方法を、シュゼットは持っていない。

「困りました、信じて下さいと言葉で言うだけではなんですし、でもご教授は受けたいですし」

「ふふん。どうする、騎士見習い」

 ゼアヒルドはあくまでも、面白そうに見ている。

「デイムはん。僭越ながら、ちょーっと意地がお悪いわあ。わざとに悪い顔しはって、我らが助け船出すんを待ってらっしゃるやろ」

「ほ」

 ゼアヒルドが笑い出した。

「これはやられた。さすがモイーズ、かけひきの達者よ。引っかからぬか」

「何をおっしゃるやら。結局助けるんやから、我らの負け、デイムはんの勝ちどすわ」

 高笑いをまたひとしきりしてから、ゼアヒルドは改めて顎の下に手をくんだ。

「して、なんとする?」

 少女とは思えぬ貫禄だ。

「それがなー。解決する担当は我やのうて、別の騎士がしてくらはります。せやなあ、サー・ウォーレンあたりが」

「また私ですか? 今度こそ、実利主義で効率重視、理屈先行のサー・カーターではないでしょうか」

「ああーっとそうやったわ。御事(おこと)が解決してくらはるんやのうて、解決してくらはるお人を、御事(おこと)が選んでくらはるんやった。そやった、そやった。けんどそれは平たくいうと、御事(おこと)が解決してくらはるいうんちゃうのん?」

「さあ。それは、わたくし指名の騎士が解決できるか否かにもかかっているかと」

「なに、簡単な話だよ、過誤なき指名者、ウォーレン」

と、カーターは言った。

「こうしてはどうか。午前中は、騎士たちもおのおのの勤めがある。教授は午後からとし、シュゼットは午前中、内郭を一〇週走る騎士見習いの課題をすすめ、進捗状況がまずければ、午後からの授業はナシとする」

「え……」

 シュゼットは眉を下げた。が、笑顔になると、

「はい、構いません! 頑張ります!」

 皆が驚き、それから目を和ませた。優しく温かい眼差しが、シュゼットを応援してくれる。

 ギャレットだけは、

「無理です! 絶対できっこありません! シュゼット、あなたは」

「ありがとうサー・ギャレット、心配して下さって。でもやってみたいのです」

「よいぞ、騎士見習い」

 くっくっと喉を鳴らして笑うゼアヒルド。

「はい! きっとたくさん走ってきますね! カーター様もウォーレン様も、ゼアヒルド様も満足してくださるくらい!」

「うむ」

「あぁあ~、なんてことを約束してしまうのです、あなたは。わざわざ自分で敷居を上げて」

 ギャレットが顔をおおって嘆いた。

 ふふふ、とゼアヒルドが笑い、騎士たちもドッと笑う。

 ひとしきり笑い声が弾ける中で、一人、プロスペールが、首をかしげていた。

「サー・プロスペール? あの……何か?」

 見られている、ということに気づいて、シュゼットは首を傾げる。皆もいっせいにプロスペールを見た。

「ど・うして、食べ・ない・の?」

 不思議そうに首をかしげるプロスペール。

 ギャレットが声をあげた。

「あ! 本当ですね。全く手をつけていないではないですか」

「ええと……その」

「き・のうも、ほとんど・食べ・て、ないよね?」

 はっとギャレットがプロスペールを見、シュゼットを見る。

「そうだったのですか? 私は気づかず……」

「えっ、あなたが申し訳ない顔をする必要はないです、サー・ギャレット」

 シュゼットは慌てて手をぱたぱたと振ってしまう。

「では、何故食べないのですか? お口に合わない?」

 ふるふる、とシュゼットは首を振った。

「いえ、ゆうべ少し頂きましたが、それはそれはおいしかったです。厨房の方、素晴らしいと思いました」

「では、どうしたのです、何か嫌いなものや、食べると具合が悪くなるものでも?」

「あの、なんと言ったらいいのか……」

「駄目なものがあれば言いなさい、明日から変わりの食材を出させますし、なんなら毎朝食べたいものがあれば申しつけてさしあげます」

「いえ、いいのです!」

 ギャレットがどんどん先回りして進んでしまうので、シュゼットは慌てて言った。

 ううう~、優しすぎる王子さまです!

「その……、違うのです。なんといったらいいのか……それで、言いそびれて。ええと、言うなれば、ですね」

 シュゼット考えに考え、言った。

「昨日は聞きそびれて、勝手に少し食べてしまったのですが……あの、どれを食べていいのですか……どれは駄目ですか……?」

 皆が、息を飲む音が聞こえた。

 ややあって、エセルバートが、

「……遠慮はいらねえよ。ぜんぶだ。ぜんぶ食べていいんだ、嬢ちゃん」

 気の毒そうに顔をゆがめていた。

「ぜんぶ……?」

「もちろんだ。儂らが咎めるとでも思ってたのかい?」

「え……」

 シュゼットは呆然として、食卓を囲む騎士たちの顔を見渡した。

「皆さん、なぜ涙するのですか?」

「お食べな、ぜぇんぶお食べんなたらええ」

「ぜ・んぶ・食べ・て、いいん・だよ。おかわり・だって・あるよ?」

「ぜんぶ……」

 シュゼットは途方にくれた。

 先ほどの聞き方では駄目だったのかもしれません!

「目当てを、教えてください」

「は?」

「どんな体を目指したら良いのか。それが教えていただけなければ、何を食べたらいいか決めかねます」

「……は?」

「そんなん自分で決めろよ、シュゼット」

と、リーゼロッテが冷えた声で言った。明らかに引いている。

 プロスペールが大きな手のひらでリーゼロッテを制するようにして、ゆっくりと、

「じぶん・で・決め・て、い・いん、だよ」

 優しい声と目だった。

 けれど、シュゼットは意味がわからなかった。

「……意地悪しないで、教えてください。言ってくだされば、必ずそうしますから。

……我が主、ゼアヒルド様」

 途中までしゃべったところで、プロスペールも皆も首を振るのを見た。だがらゼアヒルドへ、最後は言った。

「……お前は、わらわに言われればどんなものでも食べるというのか?」

 ゼアヒルドの低く落ちた声。

「? はい! 食べろと言われたら毒でも食べます。十二人前食べろと言われても平らげますし、一口も食うなと言われればそうして見せます」

「まさか、千両殿では、そうしてきたと?」

 シュゼットは胸を張った。誇らしく答える。

「はい。もちろんです」

 褒めてくれると思っていた。

 ガタン、と立ち上がる騎士があり、涙を目に浮かべる騎士があった。

「そんな! そんなのありかよ!!」

と、リーゼロッテが叫ぶ。

「バカですか」

と吐き捨てたのはギャレットだった。

「毒でも食う!?」

「当然ではないのですか。化粧係……導き手の命じるままに、食べ、もしくは食べないのは、当然です。今、導き手はゼアヒルド様です。ですから……」

「それは普通ではないわ。しなくてよい」

 普通ではない、とゼアヒルドに言われて、シュゼットは信じられなかった。

「でも、ジュリアンは、私のために考えて、命じてくれていました。どうか、ゼアヒルド様」

「違う。お前のためというなら、毒まで食うのが当然などと教育しない。シュゼット、自由に決めて良いのだ」

 ぽかんとした。

 シュゼットは、ゼアヒルドを信じている。彼女の元で騎士になれたらどんなに素敵か、と憧れ、望んでいた。ゆえに否定できず、けれどあっけにとられることを言われた。

「食べて、いいのですか」

「ああ。なんでも、な」

「パンでも、スープでも、果物でも、どれでも……?」

「ああ。どれほどでも、な」

 ゼアヒルドは、うなずいた。

 シュゼットは、信じがたいことが起こった、という思いだった。 

「では、……では……」

 食卓の上を、うろうろと視線をさまよわせる。

 ぱっと思いつくと、

「では、騎士になるのに必要そうな分だけ、食べますね!」

 一斉に騎士たちが笑顔になった。

 それは、シュゼットがそのとき大きな笑顔になっていたからかもしれない。


 シュゼットが内郭を走りにいくと、ギャレットは付き合ってくれた。

「……おや。今日は寄り道をしませんね」

「ふふ。昨日あれだけ遅くまでお祭りをして、しかも、今日はお休みと宣言されていたのですもの」

「なるほど寄り道しようにも、相手がいない! 人が少ないのは、皆、朝寝をしているころですね」

 午前中が終わる頃には、人が出てきて、シュゼットもたびたび行き足を止められるようになったが、

「……信じられません」

「わあ! がんばりました私! ギャレット、あなたが着いてきてくれたお陰です、ありがとう!!」

 はあはあと息を整えながら、シュゼットはギャレットの両手を握ってぶんぶんと振った。

「嘘でしょう、午前中だけで四週……? あと六週足らずで完走?」

 ギャレットは呆然としていた。

 昼食どきに、食堂に集まった騎士たちへ報告し、それならと、シュゼットは午後から教授を受ける許可が出た。

「わあ! 本当に嬉しいです!」

 かくて、シュゼットは各騎士の部屋で個人教授を受けることに。科目は、

算術――マルク

歴史地理――エセルバート

体術――リーゼロッテ

礼儀作法――ウォーレン

読み書き・外国語――カーター

ということになった。

 なお、モイーズは『見せ屋』があるため、教授はしない。

 プロスペールは、

「い・や、僕は・い・いよ。教え・る・のはに・がて・だ」

と言って頭を掻いて見せた。

 その代わり、シュゼットにくっついて騎士王子たちの部屋を回った。

 授業参観をして、その結果、なんと全ての騎士から追い出しをくらった。

「まかせな!とは言ったけどよォ、やりにくい!! プロスペールのアニキ、何もシュゼットの隣に座ってガン見してなくても。ギャレットにみたいに後ろの壁際の椅子に居るとか……ちょっち出ててほしいんすけどー?」

「あのなプロスペールさんよ。別に嬢ちゃんをいじめようってんじゃねえんだが!? 聞くのはいいが、外で聞いててくんねえか」

「受け身のときの注意はこう……って、プロスペールの旦那ぁ、別に痛くしねえよ、んな心配そうな顔すんなよ! ああもう! てめぇ見てねえ方がいいって、行った行った!!」

「サー・プロスペール。尊敬しておりますが、あまり過保護にしますと養い子の成長をはばむことにもなりかねませんよ? どうぞ席を外していただきたく」

「シュゼットを取って食わないかという疑念いっぱいの凝視で微動だにせずいられると、さすがにこたえる。提案なのだが、ゴーホーム」

 毎度、教授が始まると途端に、しょげてすごすごと退場していく巨躯。

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