第39話 化粧係ジュリアンの爪痕

「やばっ! そりゃやべーよ、てっめー相当無理してたんじゃねーか! 厭だったんだよな!?」

 リーゼロッテが、そこではっと息を飲んだ。

「やめろやめろ、顔色が真っ白だぞ!?」

「サー・リーゼロッテ」

 呼ぶ唇が震えていた。頭が重くて閉じていた目を、どうにか開き、

「あの、辛いので、一度考えるのを中断したく。お返事はまた今度でいいですか?」

「だから人の話を聞け! やめろってもう言っただろ!?」

 ああ、クソッ!とリーゼロッテは憤り、腰の曲刀を抜いた。空を一閃、

「そのジュリアンって野郎、オレがぜってーぶったぎる!!」

 言い切った。怒りが烈風になって周囲を吹き荒れた錯覚さえする。シュゼットは怯えた。

「な? だからもう安心しろ」

「そんな……ジュリアンは悪くないのに!? なぜ……ですか?」

 シュゼットは呆然とした。リーゼロッテが分からなかった。

 そういえば昨日も、シュゼットの真意がわからなかったことがあったと思い出す。

「あァ!?」

 愕然としたのはリーゼロッテもだった。

「オメー、変なこと言うな?」

 刀を鞘へと戻すと、首を傾げていたのは一瞬。リーゼロッテらしい唐突さで、

「腹へった! メシ! 食堂、食堂!」

「あ、はい!」

 はつらつと行くリーゼロッテの背中を、シュゼットは追いかけた。


『ふーん、それほどのアザやったん』

『ったく兄はんは。太平楽に寝坊してて儲けたな。あの恐ろしさときたら度肝抜かれたぜ、なあ?』

『完全同意だとも、サー・マルク』

 食堂の扉が少し開いていて、聞こえてきた話し声。シュゼットは、足がすくんで立ち止まった。

 リーゼロッテも横でぴたっと足音をひそめて止まる。

 皆さま、やはりアザも見えていたのですね! 裸であることしか気になさっていないご様子だったのに……!

 咄嗟のことに全員が息を合わせて気をつかったとは。にわかに信じがたかったが、

「あぁ、ダメダメの無能なのが、知られてしまいました……」

 潜めた声で、呻く。情けなくて哀しいシュゼットに、リーゼロッテが、

「またそこか。まあ聞けよ」

 ささやいて、シュゼットの手を握ってきた。

「大丈夫さ」

 中の話し声は続いている。

『ともすれば、どこで拷問を受けたのかと見違えるところでしたね』

『ああ。全面、骨折しねェ程度にとどめた手加減が、ゾッとしねぇ。逆に気色悪ィや』

『プロスペール、そなたは知っておったのか?』

『…………』

『プロスペールも私も、見ても聞いてもおりませんでした。本人からは』

『……ぼ・くは……シュゼ・トちゃ、動きが変だった、から……』

「なっ、違和感があったというのですか!?』

『ほう、うすうす察してはいたと』

『で・も……あ、れほど・とは、思わ・なか・た……んだ……』

 泣きそうなプロスペールの声に、シュゼットは心臓が掴まれたように痛む。リーゼロッテの握ってくれた手を、すがるように握り返した。

「ああ、無能が、プロスペールにまで知れて……!」

「大丈夫だっつってんだろ。そんな顔すんな」

 リーゼロッテがささやく。

 シュゼットは到底信じられず、震えていた。

『なるほど、サー・プロスペールの見立ては、今朝になって裏打ちされた、というところかね』

『プロスペールはんが助けると決めるのも道理やったと、そんだけはっきり知れるとはなあ』

『納得しかねェよ。あれ見ちゃな』

『真実、救われるべき方でしたね。サー・プロスペールはほんとうに善きことをなさいました』

「ほら言ったろ、無能の証なんて思うヤツは、いねえよ。そのジュリアンてヤツがひでえ、と思うだけだ」

「そんな。無能でダメダメの証ですし、ジュリアンはひどくありません……!」

「お前、なんかおかしいぞ、シュゼット。……って、言ってもわかんねェ顔してんなー」

 とんとん、と自らの首の後ろを手のひらで叩くリーゼロッテ。

「ま、いっか」

 繋いだままの手を引っ張って、扉を開けた。

「うーっす、改めておはようございます、我が君、デイム・ゼアヒルド! と、その他の野郎ども!」

「お、おはようございます!」

 シュゼットも努めて元気よく、食堂に入った。

 すぐには騎士たちの 顔がまともに見られない。

 そんな中、リーゼロッテの手が離れていき、

「ほい、てめーの席はここだ」

 長いテーブルの中で、ゼアヒルドからもっとも遠い席。もっとも廊下に近い席。ギャレットの斜め前にあたる席の椅子を、リーゼロッテはうやうやしく引いて、シュゼットをかけさせた。

 シュゼットがぽうっとしてしまうような、格好良い仕草だった。はっ、いけないいけない、イケメンぶりに、見蕩れてしまいました!

 リーゼロッテはどんどん歩いて行き、もっと上座の席についた。

 と、ギャレットがポットを持って行ってリーゼロッテのカップに紅茶を注ぐ。壺の蓋をあけて、湯気のたつスープをスープ皿へ盛りつけ、丸パンの入った篭を置く。かいがいしい世話の焼き方だ。

「サンキュー。あー、うまそうだ! 昨日の残りのチキン、ソースつきでちゃんと出してくれたんだな、厨房の召使いども。いいぞいいぞ!」

 そういえば、シュゼットの前にも、切り分けられた鶏にブラックベリー・ソースの添えられた皿があった。冷製のゼリーのようになった黄金色の脂が、きらきらしている。

 これ、ちぎったパンと食べたら絶対おいしいやつです! と、食欲をいたくそそられた。

 と、ギャレットがポットを持ったままシュゼットの元へ来て、

「ティー、それともコーヒーを?」

「あっはい、コーヒーを」

 やっぱり不思議だ。何故、ギャレットが給仕をしているのだろう。

 ポットを取り替えに行き、シュッゼットの席の脇に佇んでコーヒーを注ぐギャレットを見ていた。

 千両殿では女性が給仕をしてくれていたので、男性の給仕は初めてだったし、

 ……よく考えると、お、王子さまが給仕…! 申し訳ない気持ちです!

 儀式のように静かな動きで、昨日まで見たさまざまな姿とはまた違う新たな格好良さのギャレット。

 目が惹きつけられ、困ってしまう。

 あまり注視するのも失礼かと、目を逸らして、テーブルの表面を見ることにしたほどだった。 

 テーブルの上には、今日も花を生けた花瓶があった。モイーズだろう。王子さまなのにマメだ。

 それとも王子とは、ギャレットしかり、ふつうこのようにマメに立ち働くものなのだろうか?

 いえ、この城の王子さま達が特殊なのだと思いますけれど!?

 注がれたコーヒーの香りをかぐと、体に残っていたさっきまでの混乱が、やっとすべてすうっと溶けて、落ち着いてきた。

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