第6章 一目千両の常識は世間の非常識

第38話 平気です

 シュゼットは、ものを着せかけられて初めて、自分が一糸まとわぬ姿で、それで皆が混乱しているのだとやっと気づいた。

「ひゃーーーーーーーー!?」

 と同時に、廊下をドタドタと駆けてくるブーツの音と、リーゼロッテの声が、

「シュゼーーっト!! この、大バカ女! なんて格好でてめー、あ、プロスペールの旦那、おはようっす!」

「お・はよ」

「リーゼロッテ! どうしよう、見られました、見られてしまいました!」

 シュゼットは、駆けてきたリーゼロッテに泣きついた。

「せっかくあなたに口止めしたのに! アザを……!」

 すると、背後の室内で、がたんがたんがたーん! と椅子や人が滑って倒れる音が響いた。

「アホか! 裸を見られて慌てるとこだろ、ここはァ!!」

と、リーゼロッテはたたらを踏んだ後に喚き、

「ああもう、死んでしまいたい!!」

と頭を抱えるシュゼットに向かって、室内でも口々に、

「待って下さいシュゼット」

「レディ、いったいどういう」

「ご夫君サー・ギャレット、もしかして妻女は」

「裸族ってぇやつかい?」

「それですサー・エセルバート」

「おまっ!? 嘘だろ、まさか、裸で出歩くのは平気、とか言うんじゃ!?」

「はい? 裸で、平気、とは? リーゼロッテ、当然ではないのですか?」

 シュゼットがきょとんとして問うと、余計に周囲が動揺した。

「待・て。シュゼ・トちゃ、待って」

「ほら、さすがのプロスペールの旦那だって慌ててるぜ、嘘だろ? シュゼット」

「あの? あっ! もしかして!」

 シュゼットは、ある可能性に行き当たって、愕然とする。

「中庭へ出るか、別の棟へ行くとき以外、服を着ないのは、そういえば、私一人だけでした……が……その、もしかして」

 しーん、と静寂の帳が降りる。

 シュゼットは悟った。普通は、一目千両殿でも他の美女たちがしていたように、朝から晩まで服を着ているものなのだ。

 裸でいるものではないのだ。

 初めて知って、世界が反転したような心地だった。

 えっ!? あ、あのっ!? 待ってください! 待ってください世界!!

「あいわかった」

と、ゼアヒルドが遂に口を開いた。

 絢爛豪華に美麗な顔の、理想の形そのものの唇が、

「それ以上の話はあとだ。服を着てこい、騎士見習い。せっかくの朝食が、冷めてしまうぞ?」

 さすがはデイム、と、ギャレットがため息まじりに言った。他の騎士も、胸をなで下ろす。

「あっ、私の分もあるのですね。嬉しいです! それと……」

「当然だ、そなたは既にこの館の成員なのだからな、騎士見習い。それと?」

「おはようございます、デイム・ゼアヒルド! 皆さまも!」

 とびきりの笑顔で言って、お辞儀をしたシュゼット。

 再びしーん、と沈黙の帳が降りたあと、起きた反応はさまざまで、

「シュゼット」

「レディ」

「お、おー」

 ギャレットは脱力し、カーターは眉間の皺に指をあてて、廊下では力なく言う騎士がいて、

「おっと……、はっはっは、てぇした嬢ちゃんだ!」

 エセルバートは体を反って笑い、

「あー、もーなんでもいいや! ギュナイドゥン、モーニン、ボンジュール、おはような!」

 リーゼロッテは快活に大口を開けて言い、

「ははは……これはこれは。いえ、おはようございます、シュゼット。挨拶は大切ですね。礼儀、マナーの守れる方をこそ私は愛します」

 ウォーレンはにこやかに、テーブルから会釈をした。

 最も動じなかったのは、やはりプロスペールと、それ以上に、最年少の女騎士にして女城主のゼアヒルドだった。

「うん! シュゼ・トちゃ、いい子!」

「うむ。おはよう、騎士見習い・シュゼット」

 

「ほんとに服着るのへったくそだな、おめェ」

 リーゼロッテが言うのでなかったら、少々傷ついていたかも知れない。リーゼロッテの愛嬌のある口調と人好きのする温かみのある声は、悪口雑言でも、不思議とすんなり胸に落ちる。

「うっうっ、すみません」

 シュゼツトの部屋で、リーゼロッテは、服を着るのを手伝ってくれていた。

 もたもたと袖を通し、ボタンをとめ、ホックをかけて、ベルトを結ぶ。その間、頻繁にリーゼロッテの手が伸びて、やり方を見せてくれたり、やり直してくれたり。

「まあ、慣れてねェだけなんだろ? すぐにできるようにならァ!」

「はい! 私、がんばります!」

 シュゼットは笑顔で言った。

「あ、あー」

 咳払いをして、リーゼロッテが言った。

「昨日の様子を見て、今朝ひとりで服着れんのかね、と心配してはいたんだよなァ。朝、起きれたら手伝いに来てやるつもりだったんだが」

 なんて優しい方だろう、とシュゼットは目を見張る。そんなに気にかけて下さるなんて!

「ふふ。朝、苦手なんです?」

「昨日が昨日だったしなァ」

 くぁ、とあくびをしながら腕を伸ばすリーゼロッテ。

「遅かったですもんね」

「楽しかったぜ、おかげさんで! 大好物もたらふく食えたしな!」

「鶏のブラックベリーソースがけ」

「おう! うまかったァ!」

 快活なリーゼロッテに、くすくすくす、とシュゼットは笑ってしまう。

 リーゼロッテはダンスが好きらしく、宴では高くくくった金髪のしっぽを翻す、とてもキレのある動きで目立ち、町の娘たちの視線をくぎづけにしていた。踊りまくって、踊り飽きるとテーブルに直行して鶏の盛られた皿を掴み、食べまくって、食べ飽きると踊りの輪に加わにに行く、というのを繰り返し、

「幸せだったー! 余(オレ)、毎日宴でもいいなァ。――あ、ブーツの紐の結び方は、よォ」

 シュゼットの肩を優しく押してベッドへかけさせ、ひざまずいてシュゼットのブーツの紐を手に取るリーゼロッテ。お手本を見せてくれる。

 ついでにうつむいたまま、

「あのよ」

 視線を合わせずに、言った。

「裸で歩くこと。ほんとに厭じゃなかったのか?」

 千両殿でのことを聞いている。

 シュゼットは、身体がきゅっと縮んだ。

「厭なんかじゃ、ありませんでした。ぜんぜん、平気で。ほんとに、平気で」

「嘘だよな?」

 存外鋭く見上げる、リーゼロッテの大きな目。 

「……うう、思い出させないでください。そういえば、最初は、厭と言ってしまったような……気が……あら……?」

 頭が、痛い。

 子供の頃のことを思い出そうとしたら、急に強い頭痛が始まって、シュゼットは眉根を寄せた。

 正直、これまで考えたこともない問題だった。厭じゃなかったのか、なんて、聞かれると当惑しかない。恐怖に近いほどの当惑。狼狽。考えてはいけない項目。

「厭と言ったら、いけないので。殴られるので。もう、気にしないんです。私の、私の、そう、役目で、仕事ですから。立派に、立派に……、裸でも、恥ずかしくなんか、なくて。むしろ皆様にご不快なものを見せて、申し訳ないくらいのきも……ち……」

 頭痛は重たく、頭の中で大きくなって、眠たくなってきた。言葉が紡ぎにくくなる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る