第36話 新床の夜のすごし方
そうこうしているうちに、月が傾き、夜更けになって、宴は盛況のうちに幕を閉じた。
ギャレットは、再びシュゼットの背に手を回して、仲睦まじく見えるようにし、宴に来てくれた人々の退場を最後まで見送ると、シュゼットを館のとある一室へ案内してくれた。
「どうぞ。他にも部屋は空いていますので、いつ好きに移動しても構いませんが、まずはここが用意されました。サー・ウォーレンの差配です」
ギャレットが言って、開いてくれた扉の向こうは、リーゼロッテの部屋に似ていた。こうした個室が、館の廊下には並んでいるらしい。
「窓は風通しのために開けていました」
「わあ! 窓です、ギャレット!」
シュゼットは窓に駆け寄った。ギャレットの手のカンテラの明かりだけの中、ソファの間をつっきる。
窓の向こうは、下の中郭の村や畑が一望に見渡せた。
星影の中、中郭の村の広場でも宴が開かれている。ごちそうが振る舞われ、皆がダンスを踊っている。その明かりが見え、篝火の周りで伸び縮みする影は幻想的で、胸に温かい感情が押し寄せた。
「素敵なお城で、素敵な城下ですね!」
「自慢の城です。民はみな、サー・プロスペールの養い子なら、大切にしましょう、と。あなたの話で持ちきりになっている」
「大切に」
「ええ。町人も農民もみな、喜んでいる。普通だったらこうはいきません、プロスペールあってのことですよ」
と、ギャレットは言い、シュゼットもなんとなく分かる気がした。
「ほんとうに、プロスペールのお陰なのでしょうね。すごい方ですよね。あなたにも感謝しています、サー・ギャレット」
「いえ、私など。あなたが受け入れられるには、プロスペールの存在だけで十分で、……ああ待ってください、いやなことに気づいてしまいましたが」
はた、とギャレットは部屋の中ほどで立ち止まり、言った。
「私と結婚せずとも、うまくいったのでは?」
「あっ。そういえば……やっぱり、いやだったですか!?」
ギャレットは、うっと詰まり、それから何かをごまかすように、横を向いて言った。
「ま、まあ、あなたが騎士になるのに、ゆくゆく必要といえばそうなのです。騎士身分になるために、仕方がなかった。必要だった偽装結婚です」
シュゼットは何故かホッとしたが、胸がちくりと痛んだ部分もああった。それが何故かは分からない。
横の壁のドアをあけてのぞき込むと、続き部屋は、寝室だった。シーツのかかったベッドがあり、作り付けの棚やクローゼットがあった。タイルの貼られた洗面台には、たらいと水差しが置いてある。
「ひゃあ、素敵な寝室です! 帰ってきて、寝るのが楽しみです!」
「帰ってきて、とは? え。まさか。これから出かけるつもりですか」
ギャレットが、悪い予感がしたのか頬をひきつらせる。
「はい。最後のお片付けを、手伝おうと思いまして!」
「バカですか! 何度も言っていますが、騎士の花嫁がすることでは」
勢いよく言ったギャレットだったが、はーっとため息をつき、
「聞きませんね、その顔は。分かりましたよ、私も手伝いましょう」
えっと意外に思ったが、ギャレットは、ついてきてくれた。
シュゼットが厨房で皿洗いを手伝っている間、ギャレットは、外のテーブルや椅子を片づける手伝いをすることにしたらしい。中庭で、召使いにしきりに恐縮されていた。
「申し訳ねえ、初夜に、騎士の旦那に、こんな」
「いいえ。我が妻・シュゼットがこうと言うので、これでいいのです。共にあがる約束にしていますので、ご心配なく」
庭から声が聞こえてきて、なるほど、と初めて気がついて頬が火照る。
結婚式をしてみせて、披露宴をしてみせても、その夜、花嫁が新郎を独り寝させて外に出て立ち働いていたら、たしかに疑いを呼んでしまいそうだ。
いい人です……! いい人すぎます、サー・ギャレット……! と、シュゼットはしみじみと思う。
サー・プロスペールと付き合ううちに、ああなったのか。もともと苦労人なのか。
あの二人は、見ていて癒やされるというか、お互いぴったりの、いい師弟、いい義兄弟、それとも、なんだろうか。だいじ!と誰はばかりなく嬉しげに宣言する関係で、大事と宣言されるとウザがりつつもまんざらでもない関係で、叱る叱られるの関係で、呆れるけど付き合うという関係で……ずっと続いてきたし、ずっと続いていくのだ。
ずっとそばで見ていたい、と思うような特別な二人組だった。
厨房で召使いたちのお喋りを聞きながら、お皿洗いを最後まで手伝って、召使いたちが明かりを消すまで一緒に過ごした。おやすみなさいと手を振って別れると、時刻は深夜をとっくに超えて、未明になっていた。
送ってきて、シュゼットの部屋の扉の前でカンテラを渡したギャレットは、
「ここまで一緒に来れば怪しがられないでしょうから、私はこれで。それとも、偽装ではなく実際に共寝(ともね)したいですか?」
ぶるぶるぶる、とシュゼットは大慌てで首を横に何度も振った。どうしてこういうひっかけ問題をちょこちょこ出してくるのだろう、この魔性の貴公子は。
だいたい、はい、とシュゼットがもし返事をしたら、どうしたのか。
あっさり、では、と物慣れた調子で寝室へと手を引かれそうで、それはそれで参る予感がした。
ぶるぶるぶる、とふたたび首を振って想像を追い出す。恥ずかしすぎてろくな妄想もできない!
ギャレットは、
「よかったです。あなたがご自身を大切にする方で、嬉しい」
おやすみなさい、と背中で手を振り、暗い廊下を自身の部屋へと去って行ったギャレット。
どこまでもいい人です! と、シュゼットはふわりと浮かんでくる笑みを自覚した。
足取り軽く、部屋へ入る。
「ふふふ」
シュゼットは、自分でも不思議なほど、疲れてへとへとという感じではなかった。心が浮かれているせいだろうか。
一人、寝室に入って、見回す。
窓からの月明かり。
厚いむく板の床。
置かれた織り地のカーペット。
広すぎるほど大きな、ふかふかのベッド。
ベッドはクッションでいっぱいな方が好きだけど、今はこのままで、十分だ。なんの文句があるだろう。
「一目千両ではなくなったのに、帰る部屋があるのです。千両殿を出たら野垂れ死ぬだけだと覚悟していたのに、なのに。こんな幸せ、あるでしょうか」
シュゼットがこれからずっと毎晩眠っていい部屋。眠っていいベッド。
そう思うだけで、天にも登る気持ちになる。
ベッドの天井に鏡はついていない。部屋の壁のどの面も、一面の鏡などではなかった。
涙が出てきてしまう。
「はっ、いけないいけない、寝支度を」
その後、着替えは、予想していたとおりに難儀した。
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