第2章 王都脱出の弓騎(ゆみき)
第8話 ところで千両って何を千も倒したのです?
色ガラスの太い指の稜線を、陽光の反射がツヤツヤと流れる。硬い物質のはずなのに、人体のようになめらかに動く、大きなガラスのかたまり。現実感がない。
ガラスの手を透かして緑色になった空の光が見える。手には今にも掴まれるだろう。だが引き返せない。後ろからは騎馬の一団が迫っているからだ。
「もう駄目です、降伏しましょう!」
ガラスの巨人の手のひらの下、シュゼットは悲鳴をあげた。
ギャレットは見事に手綱をさばいて間一髪、駆け抜ける。
プロスペールも速力をあげ、矢のように巨人たちの足下を駆けていた。
はらはらして、シュゼットはおろおろと見上げ回す。
囲まれた。
暗い緑色のガラスの巨人のほかに、辛子色や、濃いワインレッドの硝子の巨人も居る。巨人に囲まれて、ここはまるで深いガラスの谷間だ。
「六両もの大弓騎とは。よくもかき集めたものですね!」
「膨らんだスカートのドレスを着た、ドールに見えますが」
細面の顎となめらかな額の間に、鼻と眉の峰が優美な、仮面に似た顔。目はなく、くぼみ程度で、逆に表情を想像させられる。
「ガラス甲冑の草摺がそう見えたせいか、大型化とともに誇張と優美を張り合ううち、貴婦人の形になったと聞きます」
「草摺り」
確かに、ドレスにしては短めかもしれない。
「はっ。六『両』!? 鎧は『両』で数えるから一目千『両』なのですね!?」
「ええ。そして大昔、ローレン大王の御代では馬にガラスの馬鎧だったのが、ガラスで馬も作るようになり」
次々に色ガラスの手のひらが頭上に迫り、とりどりの色ガラスの長大な剣が腰から抜かれて、振り下ろされる。
「自在に駆けさせられるガラスの馬にガラスの甲冑で騎乗していた歴史から、弓『騎』と呼ぶとか」
「なるほど!」
ギャレットが手綱をさばいて、馬に回避行動をさせる。いや、馬が自ら必死で避けるのを助け、導いていた。
「それにしても一目の君、存外な冷静さですね。こんな中、大したものです。なみの姫君なら失神なさるか絶叫か」
「怖すぎて、なんだかもう……それに、お二人が負けぬ顔をなさっているから。というか、あなただって、よく普通に話せるものです!」
ギャレットは、迫る後ろの騎馬の兵士との間合いまで計算しながら、馬術の神業を連発していた。馬にジグザグに駆けさせ、急に止まらせては一瞬後に走らせ、と人馬一体、即妙の技で、騎馬兵も大弓騎も躱す。
巨体がたたらを踏むたび、地面がうねるように揺れ、そうでなくても馬が踊るようで、シュゼットの視界はめまぐるしい。
色ガラスの巨人たちが、プロスペールを馬ごと踏み潰そうとしている。その足裏をかいくくぐって、六両をいっきに抜いたプロスペール。それで生まれた隙を逃さず、ギャレットも馬を駆け抜けさせる。
ここが運命の分かれ道、とばかりに馬に全力疾走をさせるプロスペールとギャレットは併走し、矢と化して距離を稼ぐ。後ろでは、もつれあったガラスの巨人たち。体勢を立て直すのに時間をくう。しかし騎馬兵は、地響きをたてて迫る。
ギャレットが、不意に馬を小回りさせて止まってしまった。追っ手の騎馬へと正対して、剣を抜き、
「食い止めます!! 先に乗って掩護を、プロスペール!」
「うん!」
プロスペールは離れていく。連携なのか。シュゼットは、ギャレットの肩に踊る長い赤毛ごしにプロスペールを目で追った。
プロスペールは、行く手のガラスの巨人を目指す。
そこに、王女のように麗しい大弓騎が片膝をついていた。
透明な、無色透明なガラスの姫。
濃い緑や辛子色、ワインレッドと、暗い色のガラスの巨人ばかり見ていた目に、鮮烈だった。透明なガラスの巨人が、存在するのか。そんな驚きと感嘆。
「えっ乗る? 先に乗ってとおっしゃいましたか!? ガラスでしょう!? どうやって!?」
見る間にプロスペールが馬を降り、馬の尻を叩いて去らせると、透明な巨人の王女を見上げた。にこっとしているのだろうな、と分かる明るい声で、
「『遊ぼ、ペトロニーユ』!」
「あれがサー・プロスペールの励起文言(れいきもんごん)です」
「励起文言?」
次の瞬間、シュゼットは息を飲む。ペトロニーユ、と呼ばれた透明なガラスの姫が、
「目覚めた……えっ、今、目覚めました!?」
光ったわけでもない。動いたわけでもない。けれど突如として命が宿った、そんな気配がした。空気が変わった気がしたのだ。
変化はまったくなかったわけでは無く、ガラスのぼんのくぼの下がするすると開いた。
白髪の騎士は、巨躯にもかかわらずトントンと身軽に大弓騎の背中を駆け上り、気がつくとその胸部に収まっていた。
だが、動くわけがない。完璧な美しさのガラスの彫像。硬質な輝きを持つ無色透明なガラスの乙女が、しかし、降ろしていた優美な手指で大地を押し、膝が動いて、立ち上がる。反射光がそのガラスの表面を滝のように流れて、白い輝きのレースをなびかせるかのようだった。
美しさに、圧倒される。
「きれい……。……って、えっ、ほんとに動いた!? ええっ!? すごい、すごいです……神々のみわざ? 魔術? どうやって?」
「あれらも同じなんですが」
言われてふり返り、注意して見ると、確かに緑やワインレッドのガラスの巨人の胸の中にもそれぞれ、騎士たちの影が透けている。
「なんということでしょう! 今気がつきました。いったいどうやって動かして!?」
「……まったく。あなたという人は」
ギャレットが呆れて額を抑える。が、説明はちゃんとしてくれた。
「妖精の加護なる力を使ってです。宝石魔法の一種ですよ」
そして、特別な想いのこもった声音で、こう告げた。
「これが騎士、これが妖精硝子騎士です」
それはまるで謡うような調子。どこか、古代から響く呪文じみていて、それをギャレットの美声で聞いたシュゼットは、何故かふわふわとめまいがした。
「ああ……」
ため息が出た。
「騎士とは、妖精硝子騎士! こんなに麗しいものだったなんて!」
プロスペールが騎(の)ることで、無色透明なペトロニーユは輝きを増し、ガラスを越えて、ダイヤモンドと見ちがえそうだ。
「何をのんきな。これは戦いの道具です。敵と戦い、命を拾うためのもの」
はっとシュゼットはギャレットの視線を追った。
ギャレットの言う通り、鈍い色の大弓騎たちが、戦意をむきだしにこちらへ向かってくる。
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