第6話 初めて見る外の世界

 絶体絶命、と思うや、

「ギャレ・トちゃ、上へ!」

「承知しました!」

 ギャレットは華麗な数歩の助走で、プロスペールの構えた手のひらを足場に、蹴って飛んだ。壁の上へと一足飛び。バランスをとってシュゼットを受け取る。次にはプロスペールがギャレットに引っ張りあげられて石壁へ登った。

 兵が槍を突きだす間もない早業。

 幅の狭い壁の上を、またシュゼットを胸に抱えたプロスペールは、軽やかに走り出した。ギャレットがしんがりとして続く。

「待て、待てー!!」

 石畳の上を兵たちが、三人を見上げ、こけつまろびつ追う。

 割れ顎の騎士も、追え追え、行け行け!と怒鳴り、町の建物を回り込みながら、兵隊たちとドドドと走る。誰も壁へは登ってこない。千両騎士二人の軽業の真似は、誰もできないらしい。

「弓兵はいますが、矢は飛んできませんね。一目千両の君に当たるのを恐れてでしょう」

「シュゼ・トちゃん、泣かないで、高い・高い!」

 と持ち上げられて周りを見て、シュゼットは目を見開いた。支えるプロスペールが走っているので、景色は後ろへ流れ去っていく。そうして次々流れる眼下に、本の挿絵でしか見たことのない外の世界が、今、広がっていた。

「すごい。これは、ほんもの……? ほんものの、王都……?」 

 声が震えた。

 木骨組の壁に、茅ぶき屋根の家々の通り。

 煉瓦の壁に、瓦屋根の館の通り。

 鐘楼を持つ石作りの神殿と、その広場、参道。

 いく筋もの水路が輝き、たくさんの小舟が行き来している。

 いく筋もの道筋を、無数の人馬が行き来している。

 それら全ての向こうには、小山のような高さの土塁が築かれている。視界の右の端から左の端まで続く大土塁だ。

 その彼方には、緑の丘の盛り上がりがあった。

 さらに遙かには、雪を頂く山脈も霞んで見えた。

 シュゼットはこれまで千両殿の中で、高い壁の向こうの世界を見たいとずっと思っていた。

 それが叶ったのだ。

 叶ってしまった。

 叶って遂に見られた世界は、なんと、こんなにも。

「なんて、なんて美しいのでしょう。外はこんなだったなんて!」

「うん!!」

 プロスペールが笑顔になる。

 沢山の人々が行き交う都。

 馬車にロバの荷車。

 人が引く車も混じっている。

 初めて目にして、シュゼットは、今まで損をしてきた気持ちさえした。

「万華鏡みたいです! 綺麗! 綺麗!! なによりこの、空!!」

 真っ青な空。

「中庭の四角い空とは違います!! どこまでも続いているんですね!! 本物なんですね!!」

 シュゼットの感激に、プロスペールが嬉しそうに笑い、ぽんぽんと宙返りを打ったり側転したりを混ぜながら、壁の上を走る。シュゼットを抱えたまま、足を踏み外しもせず。

「こら! 危なすぎますプロスペール!! 一目千両の君もきゃあきゃあはしゃがないで下さい! 信頼しすぎでは!?」

「あの、これはやっぱり凄いのですか?」

 ギャレットの返事は、絶句だった。プロスペールが走りながら小器用に振り向いて、

「どうしたのギャレ・トちゃ」

「いつも言っていますが、ちゃん呼びはやめて下さい、プロスペール」

 こめかみに血管を浮き上がらせて言い返したあと、ギャレットは真面目な調子になった。

「さてどうします。目指すは弓騎を預けた城外ですか」

「うん!」

「では左前方です。屋根の上を走って元藍染め大路を飛び越え、鵲ヶ丘と水牛土塁の間の見張り台へ」

「わ・ざ・わざ、見張り台・へ?」

「厩があります。馬を奪いましょう。徒歩では都城の外へ出るより先に日が暮れてしまいます」

「あそっか」

 進路を左にとり、石壁の逆側の区画を走りだす。追っ手の兵士は壁に阻まれ、ついて来られなくなった。

 シュゼットは、二人が淀みなく家々の屋根を走るのを、ただただ感心して見ていた。ちょっとの道など、簡単に飛び越す。

 路上からシュゼットたちを見上げる人々が、叫んだり指をさしたりしている。

 それにしても、こんなに混み合っている街では、馬を奪っても速度が出せないのでは? 首を捻ってしまう。いや、これは一目千両しかしてこなかったじぶんが、世間知らずだから思う、見当違いだろうか?


「声があがったぞ!! あっちだ!! こんどはそっちだ!! 追え追え! 行け行けーーーー!!」

 割れ顎の騎士は、人のどよめきを聞いて、一目千両を奪った騎士たちの逃走路を割り出し、追いかけていた。広大な郭の出入り口の見張り台へ、辿り着いたときは、しかし、遅かった。

 二つの塔に挟まれた門の前、累々と転がる負傷者を見て舌を巻く。

「あの野郎ども! さすがは千両騎士だぜ!」

 だが、必ず一目千両は取り戻す。

「今こそご恩を返しますぞ、ジュリアン殿!」

 私的な友人として、割れ顎の騎士は、ジュリアンに強い感謝と尊敬を抱いていた。

「フレデリックの旦那!」

 詰め所の番兵が駆けてきた。見張り台の周囲で、野次馬と化した通行人も含め、騒然とした人々の群れをかきわけて。

「騎士たちが、無理押しに突破をはかり、とどめきれずにこのざまです。あのサー・プロスペールとサー・ギャレットですよ!? すこぶるつきの美女を連れていて、まさか」

「ああ、分かってるぜ。都から逃げられたら終わりだ。だが、奴らの出る門をかためれば」

「無理です! 忘れましたか、この都城は広すぎて、どの門から出るか!」

「忘れてんのはそっちの方だ。騎士が、弓騎を置いてくものかよ」

「あっ。なるほど。市中が弓騎の乗り入れ禁止の故に! それに、預けた門は分かっていると?」

「そうだ。そして門には騎士が弓騎と詰めている。知らせが届きさえすりゃ、いちころよ」

 大王都は巨大な平城(ひらじろ)であるため、外門は彼方。馬で行ってもなお遠い。だが、迅速な連絡手段は、ある。

「ちょい言寄貝(ことよせがい)を貸せ、鍵はどこだ」

「はっ、ここに」

 見張り台下の詰め所で、小部屋の鍵を開けると、机がある。四角い篭が据えてあり、そこに、手間暇かけて飼育されている貴重な生きものがいた。

 餌の葉の陰の、色ガラスで作られた渦巻き貝。宿借りのような姿。たなごころにすっぽり入るが、黄金ほどの価値がある。殻のガラス自体も普通のガラスでなく、妖精硝子と呼ばれるガラス。

「聞こえるか! サー・フレデリックだ。誰かあるか!!」

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