第4話 ガラスの贈り物
シュゼットを胸に抱えた騎士は、階段を降りきると、扉に向かって駆けた。ひょいとシュゼットを片腕だけに抱き替えて、逆の手で扉を押し開けた。
昼なのに真っ暗闇の通路。
「え、どうなっているんです!? 窓がない!?」
ここから先は、シュゼットの知らない空間だった。一目千両に必要なこと以外、ジュリアンはシュゼットに一切教えてくれない。
ぎゅっと騎士の太い首に回す手に力が入ったが、
「怖・く、ない・よ」
と騎士は元気に笑って、ためらいもなく、大きな足で駆け込んだ。
点々と灯る燭台しかないのに、昼間の太陽の下と変わらない足取りで走る。
超人的な騎士が、シュゼットには見えていなかったドアノブを見つけてガチャ、と開けると、そこは明るいこじんまりとした部屋だった。騎士は通り抜けざま、たてかけてあった剣をサッと掴んで、また走った。
「預け・てた」
彼の剣ということだ。
シュゼットは抱えられたまま、大きな玄関ホールに出た。馬蹄型の階段がめぐる足下には泉水があり、天窓からの光が射している。配された植木の鉢の緑がみずみずしい。ここにもローレンとラウラのステンド・グラス。
ガラスは騎士たちにとって特別なものだという。騎士たちは、妖精の加護なる力でガラスを操って戦うのだとか。
千両殿は余人の立ち入り禁止のためか、ここまでは無人だった。
巨大な両開きの扉の向こうは、すぐ外なのか。不穏なざわめき、幾多の人の気配、金属的な響きが聞こえる。
「武器? 鎧? そんな、早すぎないですか!?」
シュゼットはそこでいったん腕から降ろされた。
「名・まえ、は?」
「あっそうか、私の名前は知られていないんですね、本当に!」
慌てて教えると、騎士は、特に発音の苦手な部類の音並びだったらしく、
「スズ、スゼッ、ちゃ。しゅ、ゼ・ト、ちゃん」
とたんにシュゼットは、我知らずぽろぽろと泣き出してしまった。
「えっ? えっ?」
「違うんです、ちゃん付けで、そんなに大事な子どもみたいに呼ばれたのが、なぜか、なぜか、あったかくて。嬉しくて。たぶん私の方が年上ですのに」
美青年の騎士は、赤くなってポリポリと自分の後ろ頭を掻いたが、次には急いで、
「シュゼ・ト、ちゃ、こ・れ、あ・げる」
かがんで、首から外したペンダントをシュゼットの胸にかけた。発音は不器用だが、手指は器用。シュゼットの首の後ろに太い腕を回すやいなや、小さな小さな留め具をはめて、にこっと笑いかける。
菱形の平らな石のペンダントだった。恐ろしく透明で、カットもあいまってキラキラと輝く。
「こ、これは?」
「ガラス・だよ。行こ!」
剣帯をつけ、剣を、鞘の掛けがねをしたまま握った美丈夫。
そっ、そうではなく! なぜこれを私に!? 会ったばかりですのに!? なぜ今!? と矢継ぎ早に聞こうとする。だが、その前に彼は、決然とした横顔になっていた。シュゼットを子どものように片腕に抱き、扉を開けていた。
「ま、待って下さい、私もあなたの名を知りません!」
ジュリアンからの情報に、千両騎士たちの名はなかった。一目千両の仕事には無駄だったり、むしろ邪魔な情報だと判断すると、ジュリアンは何も知らせてくれない。
美丈夫の青年騎士の首にすがっていたシュゼットは、しかし、扉が開いたとたん、高い位置から見ることになった。兵士達が半円を描くように取り囲んでいる。十重二十重なのだと分かる。槍ぶすまだ。突かれたら痛そうな鋭い穂先。気を失いそうになる。もう駄目だ。逃げるどころか、千両殿から離れることすらままならなかった。
「プロスペール、だ・よ」
「え?」
「幸運、て、意・味」
彼の名の話だ、と、はっとシュゼットは彼を見る。
「幸運」
と同時に、
「サー・プロスペール!! お覚悟を!!」
浪々とした声が、兵士たちの中から響いた。顎の割れた渋い顔だちの騎士が、兵を率いる者らしく、抜き身の剣を掲げている。
「高名な騎士であるあなたを殺すのは残念だ!! 大人しく貴婦人を渡せばよし!!」
さもなくば、と続ける声が、消え入った。
魔法にかかったように蕩けた顔は、一目千両・シュゼットをまっすぐに目にしたせいだ。
何十人もの兵たちも、凝然と口と目で三つの輪を作り、魂が抜けていた。
ガランガランガラーン、と何人もが槍を取り落として、石畳を鳴らす。
静寂。
「ここ、これは、まことに」
と、おろおろしている割れ顎の騎士。
「なんたる美か。これが、これが一目千両さまであらせられたか!」
兵士達も、赤面したり、身もだえしたり、ガタガタ震えたり、呼吸が浅く激しくなったり、バタバタ地団駄踏んだり。
惚けて涎を口の端から垂らしてうふふと笑う男もいる。
ジュリアンのメイクアップの腕前は天才的だ。
まるで薬でもまかれたようにおかしくなっている兵隊たち。その中を逃げていくことは可能だろうか。可能そうだ。
だが、割れ顎の騎士が立て直して叫んだ。号令一下、兵達が槍をしっかり構えて、鋭い穂先がギラギラ光る。
「者どもかかれ!! サー・プロスペールを」
「サー・プロスペール!?」
素っ頓狂な声が、兵士の輪の外から響いた。割れ顎の騎士も兵士たちも振り向く。
「ちょっと、通してください! ああもう、こんどはどんな非常識をやったんです、あなたは!!」
兵をかき分けて来る、漆黒の正装の騎士。髪は暗い赤。色白の顔。
ふわ!? とシュゼットはアゴを外しそうになって、慌ててぎゅむっと口を閉じた。
――え。どうしよう。もう会えてしまいました……!? よほど探さないと再会は不可能と覚悟しておりましたのに!?
彼こそ、午前中に謁見した、今日一人めの千両騎士。シュゼットの心を大きく揺らした騎士だった。
と、周囲の兵士たちが、その騎士の出現にどよめき、
「おお、サー・ギャレット!!」
「助かった!」
「あなたの説得ならサー・プロスペールも聞くでしょう。どうかご助力を」
「サー・ギャレット、一目千両が、サー・プロスペールさらわれちまう!!」
ギャレット、というらしい黒衣の騎士は、シュゼットにとっては、謁見の場で、強烈な発言をした騎士だった。
その発言はともかく、ギャレットも相当の色男だった。
まだ十代後半ながら、妖艶な美貌に見えるのは、貴公子ならではの白い顔に、前髪の陰が落ちているせいだろうか。額で左右に分けた暗い赤の長い髪は、流してそのまま肩へかかっている。つややかにして、あでやかだ。
騎士ギャレットは、はっと、プロスペールの腕に座るように抱えられているシュゼットに気づき、
「もしや、一目千両の……君……? 意味がわかりませんサー・プロスペール!! 何を、あなたは!!」
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