悠長なる今

海沈生物

第1話

 胃腸から悲鳴が聞こえてきた。ぼやけた視界に瞬きをする。これは先週に引き続いて眼鏡を忘れたせいなのか、あるいは空腹のせいか。視界の端にアパートが見えてくると、雪崩れ込むようにして部屋へと走った。

 一方通行の「ただいま」を部屋へ投げ付けると、着替えるのとか全部無視してお湯を沸かす。ぐつぐつと水が沸騰している音を聞きながら、棚の奥へと手を突っ込み、緑のたぬきを取り出す。底の部分を親指の爪で切り裂いて袋を開けると、中を見る。相変わらずの鮮やかな色をした小海老天ぷらだ。赤はエビだとして、緑の物体は一体何なのか。ここ数年は毎週金曜日の夜の定番として食べ続けているというのに、未だにその正体は分からない。胃の底から上がってきた唾液を飲み込むと、このまま食べてしまいたい、という気持ちを堪える。


 お湯が沸くまでの時間というのは、とにかくそわそわしてしまう。お湯というものは、即ち数分沸くものだ。とはいえ、その数分がとても長い。

 人は赤を見れば時間を早く感じて青を見れば遅く感じる、という話を聞いたことがある。果たして、緑はどうなのか。凝視して、凝視して、凝視して。栄養成分表の欄を見ながら、「エネルギー 480cal」という表記を見つける。八枚切りのパン三枚程度、だろうか。深夜に食べるものとしては重い、のかもしれない。もう何度も食べる度に見ているはずだというのに、毎回見てしまう。ルーティンというよりは、一種の儀式である。これを見ることによって、数値という形のある味に収束しているのかもしれない。


 ついにお湯が沸いた。身に生える毛がスタンディングオベーションをしている。幸福の始まり、私のための私による私のための緑のたぬき。リンカーンも緑のたぬきが好きだったと歴史の教科書に載っていた記憶が私にはあるし、きっと引用しても許してくれるだろう。

 お湯を注ぎ込もうと取っ手を持つと、「あっ!」と隣人まで聞こえそうな声をあげる。大事なものを忘れていた。カップに手を突っ込むと、袋を取り出す。味の決め手、儀式に使う魔法の粉だ。これがなければ、緑のたぬきは緑のたぬき足り得ない。ただの蕎麦だ。真横へ一直線に切り裂くと、中の粉を天ぷらという名の魔方陣の上へと勢いよく放出する。

 今度こそお湯を注ぐと、ついに魔方陣が完成する。いーひっひっひっと魔女のような声をあげようとしたが、むせて終わった。もうアラサーなのだ。そろそろ無理をすれば、最低一週間の健康に響く。会社の上司たちが「最近、深夜まで起きているのが辛くなってきて」と話している声を聞く度、怖くなっている。


「……こうやって、夜中に蕎麦食べられるのも今だけなのかな」


 蓋を閉める。おもりとしてお箸を置けると、ほっと息をつく。先週にお箸を置こうとしたら、検討違いの場所へ置いてしまい、反り返った蓋から手痛い反逆を受けた。落ちた箸を洗うのも手間だったし、なにより、いつも信じていたものからの裏切りが辛かった。

 いつだって、なんだって、永遠に同じものはない。こんなに私の二十代後半から三十代前半までを支えくれていた緑のたぬきだって、一律であるようでも、毎食毎食、何かが変化していっている。それは小数点第一よりも遥かに遠いレベルでの量の差だったり、あるいは、蓋が反逆してきたりすることだったりする。そういうのに諦観と諦観を持って生きていくのが大人、なのだろうか。


 はっと気が付くと、タイマーをかけ忘れていたことに気付く。いつもならお湯を入れてすぐにかけておくのだが、感傷に浸りすぎてしまったらしい。お箸を退けて中を見ると、白い煙がもわっと頬を濡らす。視界が不明瞭になったが、それがかえって良かった。目をぱっちり開くと、お箸を持つ。

 大きく深呼吸をすると、「いただきます」と小さく声を出す。まずは、蕎麦。お腹が空いていたはずの胃の空腹感はどこかへ行ってしまっていて、思ったよりも胸にも心にも染みない。その代わり、いつもより味がはっきり感じられた。「ルーティン」でも「儀式」でもない。そこにあるのは、今までよりも地味で大きな感慨のない、けれど味のある「食事」だった。


 蕎麦を食べた後に残ったのは、天ぷらだ。いつもより長い間放置していたせいか、汁を吸ってしまい、理想よりも若干ふやけすぎてしまっている。

 それでもお箸で掴んで一口齧ると、じんわりとエビの香ばしい味が広がる。

 そういえば、いつもは気にしなかった緑の物体。これは、もしかして揚げ玉なのではないか。下地が「揚げ」であるという先入観が”盲点”になっていた。こういう日常のふとしたことも、長い間気付かなかったのか。


 汁まで飲み切ってしまうと、その場でゲップを漏らした。このまま床に倒れてしまうのが至福ではある。だが、あえて倒れない。背筋を伸ばして、目をつむる。口の中に残った、汁の余韻。急ぐことはない。どうせ、夜の時間はまだまだあるのだ。悠長で、でも充実している。そんな「今」という時間を、「今」の私は嚙み締めていた。

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