第3話 試行錯誤とツンツン

※今回は自殺を邪魔し始めた頃の相葉とツンツン一之瀬の話になります。


 寿命を手放してから二回目の一月二十八日。火曜日。晴れ。


 この日、一之瀬が五回目の自殺を決行した。


 僕はウロボロスの銀時計で時間を巻き戻し、駅のホームへと先回りして自殺を防いだ。本来なら飛び込み自殺していた一之瀬は手を振る僕の顔を見て、心底嫌そうな顔をする。


 そんな不機嫌な彼女をどうにか説得して電車に乗せたところで、今に至る。


「ストーカーの次は誘拐ですか?」


「人聞きの悪いこと言うなよ」


 七人掛けのシートに座らせた一之瀬はムスッとした顔で、睨みつけてくる。と言っても威圧感はなく、彼女がどんなに睨んだところで怖いという感情は抱かないだろう。昔ネットで見た不機嫌そうな猫の顔に少し似ていて、逆に癒される。


「いつも公園ばかりじゃつまらないだろ。今日はどこか連れていってやろうと思って」


「余計なお世話です」


 プイッと顔を背ける一之瀬は、頬の膨らみから不満感をアピールしてくる。


 僕は内心、「やはり失敗だったかな」と今日の選択を少し後悔する。


 百万円の一件から嫌われた僕は自殺を邪魔するたびに数時間ほど彼女の監視をしている。ウロボロスの銀時計の巻き戻し可能時間まで彼女が自殺しないことを確認しないと取り返しがつかないことになるからだ。


 とはいえ、監視を続けるのはなかなか大変である。一之瀬に怒られながら後をついていく僕の姿は側から見たら酷い絵面だろうし、僕自身も結構恥ずかしかったりする。そもそも警察に通報されたら、かなり面倒なことになってしまう。彼女自身も警察に補導されたくないだろうから、その危険性は少ないにしても我慢を強要させてしまっていることは良くない。


 だから、今回はせめて彼女が楽しめそうな場所に連れていこうと思った。


 本人は嫌がっているが、一度ぐらいは試してみないとわからない。普段行けないところへ遊びに連れていって、地元以外にも居場所があると知ってもらいたかった。


 電車を降りて駅から徒歩十分ぐらいで、目的地に辿り着いた。


 駅舎のような建物には『ようこそ、高尾山へ』と書かれた看板が掲げてある。


 その看板を見えて、一之瀬は僕の方を向いた。


「まさか山登りするわけじゃないですよね?」


「そのまさかだけど」


 僕が答えると、一之瀬は信じられないという顔で驚いた。


「無理ですよ。この服装で山登りなんて」


 彼女の服装は白いコートに、淡いピンク色のスカート。登山という格好ではない。


「ケーブルカーで上まで行って、坂道を歩くだけだから大丈夫だ」


 今、僕達がいる駅舎はケーブルカーの駅。リフトも出ており、どちらも中腹まで行くことができる。そこから少し歩いたところに高尾山薬王院という祈願寺があり、今日はそこまで行くつもりだ。


 薬王院までの道は傾斜があるものの、整備されているから山登りというほどハードな場所ではない。なので、山登りに特化させた服装じゃなくても登ることができる。現に僕達の周りもラフな格好の人が多い。


「ほら、行くぞ」


 乗り気ではない一之瀬の手を軽く引っ張り、ケーブルカーの券売機へ向かう。


 しかし、リフトの乗車券しか売っていなかった。


「ケーブルカー? 今日はメンテナンスで運行していないよ」


 係の人の話によると、どうやら今日はやっていないらしい。


 仕方ないので、リフトの往復乗車券を購入して僕達は乗った。


「相葉さん」


「どうした?」


「なんで一緒なんですか?」


 二人乗りのリフトに乗って数分、隣に座る一之瀬が訊いてきた。


「お前を一人にしたら飛び降りるだろ」


「そんなことしませんよ!」


 同じリフトに二人で乗るのは嫌だろうなとは思った。とはいえ、橋から飛び降り自殺する彼女にそう言われても信じるのは難しい。


「嫌かもしれないが、我慢してくれ」


 そう言うと、一之瀬は「我慢しますよ」と嫌味らしく言う。


 こうなるからケーブルカーに乗りたかったんだ、と心の中でため息をつく。


 この状況になってしまった以上、彼女のストレスにならないように努めるしかない。あまりジロジロと監視せずに遠くの景色を見ておこう。


 と思った矢先のことだった。


「きゃっ!?」


 こちらへ寄ってくる一之瀬に僕は驚いた。


「ど、どうした?」


「虫! 虫が!」


 そう言いながらこっちへ避難してくる一之瀬。羽の生えた小さな虫がブンブン飛んでいるのが見えたが、リフトが揺れて捕まえられる状況ではない。そうこうしているうちに虫を見失い、あたふたする一之瀬だけが残る。


「落ち着けって。もうどっかに飛んでいったから」


 一之瀬は気まずそうに僕から離れていく。


「……いきなり顔の前に飛んできたから少し驚いただけです」


 ツンと拗ねるように言う一之瀬。少し驚いたってレベルじゃなかったぞ。


 それからリフトを降りるまでの十分間、無言だった。

 中腹に着いた僕達は整備された坂道を歩いていく。


 一之瀬の歩行ペースに合わせつつ、「休憩しなくて大丈夫か?」と声をかける。


 しかし、彼女はご機嫌ナナメな顔で「早く行って帰りましょう」と答える。


 途中、有料の望遠鏡が設置されて懐かしく思う。

 子供の頃、里親に連れられて高尾山に来たことがあった。そのときはまだ里親から親しくされていた頃だったから、「望遠鏡見るか?」と訊かれたっけな。結局、僕は里親から距離を置くために里親の善意を無視したのだが。


 今は一之瀬に無視されていて、まさに立場が逆転している状況だ。


 あの小さい虫のこともあって、彼女は非常に機嫌が悪い。人が少ない山なら人の目を気にせず、気分転換できると思ったが、あまり良いチョイスではなかったようだ。そもそも平日なのに割と人が多いし。これじゃ、無理やり山登りさせているようなものだ。どうにか楽しんでもらえないだろうか。


「望遠鏡で景色でも見るか?」


「見たくありません」


 キッパリ断る一之瀬に「そうか? じゃあ、一人で見るかな」とわざとらしく言い、望遠鏡に百円玉を入れる。


 望遠鏡を覗くと、思った以上に遠くの景色が見えて少し驚く。


「あんな遠くまで見えるのか……。なぁ、やっぱり見ないか?」


 望遠鏡で景色を見ながら、隣にいる一之瀬に話しかける。


 けれど、返事はない。無視されているようだ。


「こんなところに連れてきて悪かったよ」


 やはり山登りは悪手だったと反省する。


 しかし、返事はない。許してもらえないようだ。


「楽しくないかもしれないが、せっかく来たんだし……」


 と言いかけている途中で不審に思い、望遠鏡から顔を離す。


 横にいる一之瀬を見ると、そこに彼女の姿はなかった。


 代わりに知らない親子がいた。


「ママー、あの人ブツブツ一人で話しているよ」


「見ちゃダメ!」


 子供の手を引いて逃げるように立ち去る親子。


 僕は慌てて、周りを見渡すと百メートルぐらい先に一之瀬の後ろ姿があった。


 この日、長いため息を声に出して追いかける。


「急にいなくなるなよ」


「早く行って、早く帰りましょう」


 スタスタと早歩きで進む一之瀬に何も言えず、横並びで進んでいく。なかなか気まずいものである。


 少し歩いたところで、お土産屋が見えてきた。


 なにか買っていくか? と話しかけようと思ったが、また迷惑がられそうな気がした。下手に干渉せず、さっさと薬王院に登って帰った方がいいのかもな。


 そう諦めかけていたときであった。


 なんと一之瀬自ら、お土産屋に入った。


 これは予想外な展開である。全く興味なさそうだった一之瀬が寄り道をするなんて。僕はようやく見えた一筋の希望に活路を見いだす。


「なにか欲しいものがあるなら買ってやるよ」


 そう言って、店内を突き進む一之瀬のあとをついていく。


「お、チーズタルトとかも売っているんだな。これ、食べてみないか?」


 なにか見つけるたびに彼女の後ろ姿に問いかける。


 しかし、返事はなく、ようやく振り返ったと思いきや、不満顔。


「ついてこないでください」


「ずっと見ていないと、逃げようとするだろ」


 一之瀬は顔を赤くさせてムスッと怒る。


「お手洗いに行くだけですから!」


「え……あぁ、お土産が見たかったわけじゃないのか」


 またやらかしてしまった、と自己嫌悪に陥る。


「それに逃げられるわけないじゃないですか。帰りの電車賃も持っていないのに」


 ジッと僕の顔を睨んでくる。やっぱり見た目だけなら威圧感はない。けれど、自己嫌悪による罪悪感で、今はかなり効果的に効いてくる。


「そうだよな、疑って悪かった」


 本心から謝ると、一之瀬はトイレに向かった。


 外へ出て、お土産屋の前にあったベンチに腰をかける。


 自分のコミュニケーション力の低さに絶望した。少しでも楽しんでもらえたら、と思ったが、これはダメそうだ。結局、エゴでしかない。自殺を邪魔するのも、こうしてありがた迷惑を押し付けているのも。


 こんなことを続けても意味はあるのだろうか。自問自答を繰り返す。いくら考えても答えは出てこない。そんなことを考えているうちに一之瀬がお土産屋から出てくる。ベンチに座る僕を見つけたようで、近寄ってくる。


「お待たせしました」


 感情がこもっていないような声で話しかけてくる一之瀬。


 僕は一万円札を彼女に差し出す。


「なんですか、これ。欲しい物なんて……」


「持っておけよ。これがあれば帰りの電車賃に困らないだろ」


 一之瀬は困惑していて受け取ろうとしない。


「気が利かなくて悪かった。どうしても帰りたいのなら、これで帰っていい」


 彼女からしたら、僕にお金を出してもらえなかったら帰れなくなってしまう状況。警察に頼ることもできない彼女の立場として考えれば、それは非常に不安だろう。


 交通費を出してもらえないと困るから、こうして山登りに嫌々付き合ってくれているのかもしれない。生殺与奪とまではいかなくても、彼女からしたら弱味を握られているような状況であることを僕は考えていなかった。


「お金はいりませんから」


 軽く手で突き返されてしまう。


「私が帰ったら困るんでしょう?」


「まぁ、あと三十分は一緒にいてくれないと安心できないが」


「言っている意味はわかりませんけど、とにかくお金はいりませんから」


 受け取る気のない一之瀬を見て、僕は財布にお金をしまう。


 その後、無言のまま歩き続けて、あっさりと薬王院に辿り着いた。


 特に目当てがあったわけではないが、せっかくなのでお賽銭をしていくことに。お賽銭の列はそこそこ人が並んでいて、僕達は後ろに並んだ。


「ほら、お賽銭」


「だから、お金は入りませんって」


「いや、お賽銭ぐらいはしていけよ」


 適当な小銭を彼女に渡して、順番を待つ。


 僕達の番になり、お賽銭を投げて鈴を鳴らす。

 二拍手して脳内に願い事を浮かべた。


「なにを願ったんだ?」


 お賽銭が終わり、僕達は来た道を戻る。


「早く死ねますように、って願いました」


 相変わらず拗ねている一之瀬。でも行きよりは話し方に棘がない。


「僕はお前が自殺しませんようにって願っておいたから」


 そう言うと、一之瀬は気恥ずかしそうに「余計なお世話です」とそっぽ向いた。


 ここまで飲まず食わずで歩いてきたが、流石に疲れてきた。


「そこそこ歩いたし、帰る前になにか食べていくか」


 行きに見かけた茶屋に入り、あんみつを二つ注文した。


 一之瀬は「なにも食べません」と意地を張っていたが、結局運ばれてきたあんみつを不満げに食べていた。流石にお腹が空いていたのだろう。


 ウロボロスの銀時計で時間を確認する。時間を巻き戻せる範囲まで時間を稼いだ。これで今日も一安心である。


「ちょっとトイレに行ってくる」


 席から離れて、一人になったあと疲れが一気に出てきた。


 結局、彼女を楽しませることはできなかったな、と情けなく思う。


 思い上がっていたのだ。死にたがりな少女相手なら暇つぶし程度には喜ばせられるだろう、と。でも、今まで散々人付き合いをサボってきた人間には無理だったようだ。


 これを続けた先に彼女が自殺しない未来があるのだろうか?


 正直、今日のことで自信をなくした。自殺を邪魔した日くらいは良い一日になってほしかったが、それすらもできないのだ。次、また彼女が自殺をしたらどうするべきか。時間を巻き戻して自殺を邪魔するべきなのだろうか。


 毎日ニュースを確認して神経を擦り減らしていたこともあり、疲労で思考がまとまらない。鏡に映る自分は少し窶れているようにも見え、それを見て見ぬふりをしてから席に戻る。


 けれど、憂鬱な気持ちは一瞬で晴れることになる。


 一之瀬が今まで見たことのないような幸せそうな顔で、あんみつを食べていたからだ。


 僕に見られていないと油断していたのだろうか。自殺志願者とは到底思えない、普通の女の子がデザートを食べているときの顔だ。あんな顔もできるんだな、と少し驚いたほどである。


 その表情を見て、少しだけ心が救われた。


 これを楽しませたと誇るほど傲慢ではないが、それでも連れてきて良かったと一瞬思えてしまった。


 まだ自殺を邪魔することが、自分や彼女のためになるのかはわからない。


 でも、やっぱりまだ様子を見たいと思えた。


「もう少しだけ頑張ってみるか」


 僕は彼女があんみつを食べ終えてから席へと戻った。

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【番外編】死にたがりな少女の自殺を邪魔して、遊びにつれていく話。 星火燎原 @seikaend

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