第1話 カラカル

 高校一年生の頃、裕人や健二と同じクラスに岩倉智子いわくら ともこがいた。お母さんがフィリピン人で、スタイルが良く凛とした美人だったが、いつも笑わず、話さず、人を寄せ付けずでクラス内では孤立していた。

 声を掛けてきた相手を男女問わず目力めぢからの強い大きな瞳で睨む癖があり、自分のことを「ボク」と言うので、一部の男子に熱烈なファンもいたが、クラスの女子の半数くらいからは嫌われていた。


「ボクとか気持ち悪いんですけど」

「いつも不機嫌」「今日も睨まれた」

「私は孤高ってキャラを絶対につくってる」

「騙されている男子、多いよね」


 そんな陰口を裕人も耳にした。あだ名は「カラカル」や「クーガ」「ピューマ」「タイガー」など大型猫科の野生動物揃いで、これだけでも普段の彼女の雰囲気がわかるだろう。


 裕人も一学期は岩倉智子とは話したことがなく、名前も苗字しか知らなかったが、それが変わったきっかけは、夏休み中の補習授業だった。

 化学の期末テストで29点以下だった11名は、夏休み中に4日間の補習授業を受けるか(受けるだけでOK)、夏休み明けの再試験(50点以下なら再々試験、それで60点以下なら落第)のどちらかを選ぶのだが、部活や旅行、夏季講習や「暑いのに4日も登校したくない」を理由に多くが再試験を選択する中、裕人は補習授業を選んだ。夏休み中は暇だし、出席するだけで単位がもらえるなら、補習だろうという考えだった。


 補習授業の初日に理化教室に行くと、隣の席に岩倉智子がいた。クラスで補習授業を選んだのは二人だけだった。


「あ、岩倉さんも補習なんだ。うちのクラスは二人だけか」


「うん。家にいてもつまんないから補習にした。4日間、よろしくね」


 挨拶をきっかけに話すようになり、2日目からは昼休みに学校を抜け出して一緒にコンビニまでアイスや飲み物を買いに行くことがルーティンになった。そして最終日に智子の方から「今日で終わりだから、自分に御褒美で何か食べに行かない?」と誘ってきたので、駅前のハンバーガー店に寄った。


「補習の前まで里中と話したことなかったけど、ボクって怖い?」


「いや、怖くはないよ。岩倉さんは誰とも話さない人だと思っていたから」


「みんな、そう言うけど、ボクだって本当は話したいんだよ

 でも中学時代、いじめられてたから、変に警戒しちゃって言葉が出ない。

 ボクと違って、里中は誰とでも気軽に話せるから羨ましいんだ。

 里中って、村上と、毎日、いろんな話をしているよね。

 ボク、横で聞いてて、里中は話が上手いなって、いつも感心してた。

 実は、こうやって、二人で話せるのを楽しみにしてたんだ。

 里中が化学の補習を選択するって聞いたんで、ボクも補習にしたんだよ」


 今までノーマークだったけど、岩倉さん、その台詞は、ひょっとして脈ありですか?ということで、メアドと電話番号を交換したら、その夜、さっそく電話があった。


「小6の弟がね、科学博物館に恐竜の骨を見に行きたいって言ってるんだ。

 でもボク、恐竜、わかんないから、里中が一緒に来てくれたら嬉しい」


 そんなの、お安い御用だということで、三人で科学博物館に行く日、会って早々に利発そうな弟さんが尋ねてきた。


「里中さんは、姉ちゃんの彼氏なんですか?」


「どうだろうね?お姉さんに聞いてみて」


「うちの姉ちゃん、狂暴だから、やめておいた方がいいですよ」


 智子の蹴りが弟さんのお尻にクリーンヒットし、彼が痛そうな表情で「ね、言うとおりでしょう」を伝えてくれた。


「変なこと言うなら、ここに置き去りにして、里中と二人だけで出かけちゃうぞ。

 お前は、博物館に連れて行く約束を守ったボクに感謝してるのか?」


「里中さん、さっきのは嘘で、姉ちゃんは、とっても優しいです」


 訂正の効果か、弟さんは放り出されることはなく、無事に三人で博物館に行った。弟さんは大喜びで展示を見学し、裕人は彼の相手をしつつ、智子ともいろんな話ができた。

 

 これ以降、智子から頻繁に連絡がくるようになり、夏休み中は三日に一度くらいのペースで二人っきりで会っていた。最終日前夜には「里中って、工作とか得意?」と電話があり、翌日、彼女の自宅アパートで弟さんの自由研究課題を作らされた。


 この頃には、かなり打ち解けて、裕人が冗談を言うと智子が「ニャー」と言いながら、軽く殴ってくるほどの間柄になっていた。「なんで突っ込むとき、岩倉さんは『おい!』とか『ちょっと!』じゃなくて、ニャーなの?」と裕人が尋ねると「みんながカラカルって呼ぶから」が答えだった。

 裕人は、ニャーが聞きたくて、敢えて智子を揶揄からかったが、彼女も満更ではない様子でニャー、ニャー鳴いてくれた。当人たちが、どう思っていたかはともかく、傍から見れば恋人同士である。


 二学期が始まってからは、学校でも挨拶や会話をするようになり、その様子を見て、何人かの女子が智子と話し始めた。その中から自然と友達ができて、学校祭や体育祭では女子グループの中で智子も笑ったりふざけるようになり、やがて誰も彼女のことを笑わない、話さない、人を寄せ付けないとは言わなくなり、智子も他人を睨むことがなくなった。



 智子から告られたのは二学期の終わり近くで、放課後の教室で二人きりになったときだった。とびっきりの笑顔を浮かべ、大きな瞳で裕人を見つめながら「あのさ、とっくに気付いていると思うけど、ボクは里中のことが好きで、里中だってボクのこと好きだよね?夏休みから、ずっと、こんな状態で、もう二学期も終わっちゃうよ。そろそろ彼女として付き合って欲しいけど、いいよね?」という実に彼女らしい告白で、即OKした。


 夏休み明けから「あの二人は怪しい」とクラスで噂にはなっていたが、翌日から休み時間の度に裕人の席に来るし、お昼は一緒に食べるし、約束したわけでもないのに一緒に帰ろうと待っているので、付き合い始めたことは、すぐに知れ渡った。

 智子に絡む奴はいなかったが、裕人はいじられまくり、大型猫科野生動物を手懐けたということで、その日から「(サーカス)団長」や「猛獣使い」と呼ばれ、事情を知った担任からも「へぇー岩倉と里中か。彼はムツゴロウさんだったんだ」と言われた。


 冬休み中に映画や初詣に行き、三学期が始まると学校帰りに喫茶店やファミレスに寄ったりしてたが、この頃、裕人が家庭の事情でアパートで一人暮らしを始めると智子は、毎日のように彼の部屋に来るようになった。

 高校二年のゴールデンウイーク前には、あの二人は半同棲状態だという噂が学校中に広まったが、智子は全く気にせず、夏休み中もバイトがある日以外は、裕人の部屋に来ていたし、自宅のエアコンが壊れたときは、修理業者が来るまでの二日間、弟を連れて母親公認で泊まり込んでいた。


 終わりはあっけなかった。高校二年の11月に岩倉智子が突然、引っ越して、そのまま音信不通になった。裕人は彼女の引っ越し先を知らなかったし、携帯電話も繋がらなくなっており、連絡する手段が全くなかった。


 引っ越す直前に何か不味いことを言ったかな?と裕人も悩んだが、特に思い当たる節もなく、引っ越し先で、すぐに新しい彼氏ができて、自分との関係を完全に断ちたいのかとも考えた。


 何か手がかりはないかと智子のアパートに行って、隣室に住む老夫婦に聞いてみると、父親が事業に失敗したので一家で夜逃げをしたとのことだった。彼女の両親は智子が中学生の頃から別居中だが、父親は千葉市で小さな建設会社を経営しているとは本人から聞いていた。


「もしかして、あなたは里中くん?ああ、やっぱり。前に来たことあるよね。

 あのね、智ちゃんから伝言があるの。また、必ず会いに行くって。

 夜逃げの前にお父さんが智ちゃんとお母さんの携帯電話を没収してったから

 連絡できなかったんだって」


 立ち直りには結構な時間が掛かった。その頃、裕人は僕っ娘という単語を知らなかったが、岩倉智子がいなくなった直後に彼女の言う「ボク」が結構ツボだったと迂闊にも周囲に漏らしたら「里中は岩倉から呪いを掛けられた」とネタにされ、やがて「僕っ娘から呪いを掛けられた奴」というフレーズに変わり、卒業後も彼を指す代名詞となった。

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