第8話 救済

「ごめんなさい。ボク、里中さんが優しかったから、勘違いしちゃって。

年上なのに中学生みたいな奴から迫られたら気持ち悪いですよね。

里中さんには彼女さんがいるってわかっているのに、

こんなお願いする奴、迷惑で嫌いですよね。あの、ボクは…」


「加奈先輩、やめましょう。そんなこと言ったら里中さんが困っちゃうし、

私だって、すごく悲しくなるから」


 範子の加奈への言葉で裕人は再起動した。そうだ。このままでは拙いぞ。加奈さんは誤解しているし、ノリちゃんも困っている。よく考えろ、今、ベストな回答はなんだ?彼は口を開いた。


「……いやいや、迷惑とか嫌いとか気持ち悪いなんて、全然ないから。

今後も彼女とは付き合っていくつもりだけど、今日はとっても楽しかったんで、

友達なら大歓迎ですよ。これからも加奈さんが読んだ本の話とか聞かせてください。

あと私、ベーコンとかハムとか好きだけど知識がないんです。

今日は聞けなかったから、そういうことも、これから教えてくださいね」


 絶望していた加奈の顔が、みるみる笑顔に変わり目に涙が溢れている。何かを言ったけど、掌を口に当てていたんで、裕人は聞きとれなかった。加奈が彼の手を強く摘んできた。


「里中さん、ボク、ボク…」


 何かを言おうとしているが、言葉が詰まって出てこない。裕人は昔、半泣きで声が出ないのに一生懸命に感謝の言葉を伝えようとする岩倉智子に「何も言わなくて大丈夫」を伝えるべくハグして、落ち着かせたことを思い出した。


 ああ、あのときと同じか。それならと加奈の肩を軽くハグをしてあげたら、一瞬、びっくりしたような顔をした後に泣き始めた。他の参加メンバーが、何事かとこっちを見っている。


 裕人は間違いをしていた。加奈は岩倉智子とは違って恋人ではない。彼は少しだけ、やり過ぎた。だが加奈にとっては、絶望の底から一気に至福の頂点に引き上げられた瞬間だった。


「里中、里中、あんたは優しい。里中、100点!私は100点やるよ!里中!」


 声掛けから肩を抱くまでの一連の流れを見ていた範子が、そう言いながら裕人の背中をパンパン殴ってきた。彼女も涙ぐんでいた。結果的に範子が望む形になったから嬉しい涙だ。そうとは知らない裕人は呑気に「ノリちゃん、力入れ過ぎ。痛いよ」と苦笑しながら返していた。


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 こうしている間にテーブルに置かれたジェラートが少し溶けていた。三人にとっては、とても長い時間だったかもしれないが、実際には、たった数分の出来事だった。


「神大路さん、ジェラート溶けているから、早く食べたほうがいいですよ」


 裕人から声を掛けられ、加奈は我に返ると急に恥ずかしくなり、ごめんなさい、化粧が崩れたからと席を立った。範子が、彼女の後を追う。


 健二が裕人と加奈のジェラート皿をさっと回収し、店の厨房に入って行ったかと思ったら、まだ溶けていない新しい皿を持ってきた。裕人の皿のジェラートは量が倍以上に盛られていた。健二からのささやかな御礼だという。みんなが、それを見て拍手してくれた。


 化粧を直し終え、気持ちも落ち着いた加奈が範子と一緒に戻ってきて、裕人に連絡先の交換をお願いしてきたので、携帯電話の番号とメアドを教えた。ジェラートを頬張りながら、話しをするが、また会えるという余裕からか、加奈から、さっきまでの前のめりな感じがなくなっていた。



 みんなのジェラート皿が空になり、コーヒーを飲み終える頃、健二が「皆さん、宴もたけなわですが、そろそろ…」とお決まりの挨拶をして合コンは終わった。


二次会は、それぞれに任せるということで、レストランの前で解散となった。


 雰囲気の良いカフェがあるのでとコーヒーを飲みに行く二人。

 もう少しだけ飲みたいから近くのワインバーに向かう二人。

 酔い覚ましの秋風に当たるべく、少し散歩をしますという二人。


 どうやら参加メンバー全員がお互いの相手を気に入ったらしい。幹事の役割を終えた健二が「最後は茶漬けでしめたい」と言い、それに乗った範子に誘われて、裕人と加奈も一緒に居酒屋へ行くことにした。加奈は相変わらず裕人のシャツ裾を指で摘まみながら歩いている。



「手を繋ぎますか?」


「いえ、友達なんで裾摘まみでいいです」


「神大路さん、さっき何て言ったの?」


「さっきって、いつですか?」


「神大路さんから友達になって欲しいって言われて、私が返事をした後に両掌で口元を隠していたとき。なんか言ってたけど聞き取れなかった」


「ああ、そっちですか。恥ずかしいけど『生きてて良かった』です。高校生の頃、虐めが酷くて精神的に追い詰められてて、死ぬことばっかり考えていた時期があったんです。田舎の女子校って逃げ場がないんで。もしあのとき馬鹿なことをしてたら、今日、里中さんに会えなかったんだって。ふと思って」


「ボクは里中さんから聞かれた『さっき』って、肩を抱いてもらえたときかと思ってました。そのときは言葉が詰まって言えなかったんですけど、ボク、今日が今まで生きてきて、一番良い日でした。里中さんのこと本当に大好きですよ」


 加奈は、そう言いながら裕人の左手を握ってきた。岩倉智子や美緒より小さいけど、しっかりした手だった。この子は友達ではない関係を望んでいると裕人はわかっていた。


「ありがとう。大好きなのは嬉しい。でも、いろいろ厄介だから、友達としてね」


ちょっと意地悪だったな。また反省だと裕人は言ってから後悔した。


「そうでしたね。自分から言ったんだから、

ボクにはそれしか選択肢がないんですよね。

でも、これからも里中さんと会えるのなら、それでいいです。

ボクは誰よりも里中さんのことが大好きです。

それさえ覚えておいてもらえれば、幸せです」


こうやって洒落た返しができる神大路さんは外見こそ中学生だけど、

中身は言葉を繰れる21歳なんだよなと裕人は感心する。


「これからも、ボクと会ってくれますよね?友達として」


こうして里中裕人と神大路加奈との関係はスタートした。

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