第9話 無自覚な人たらし

  里中裕人の両親は、彼がまだ幼い頃に離婚している。北陸地方の造り酒屋の長女だった母の篠田幸恵しのだ ゆきえは、何不自由なく育てられたお嬢様で、器量は良かったが、超が付くほど我儘な性格だった。

 これが原因で一度は決まった結婚も式の直前に破談となり、以降、お見合いも軒並み断られ続けて、困り果てた両親が親戚に頭を下げまくって探し出した相手が、裕人の父親となる里中直樹さとなか なおきだった。


 1952年(昭和27年)に生まれた里中直樹は、東京都江戸川区の町工場の次男坊で、大学院を卒業後、都内に本社のある大手重機械メーカーに就職して設計開発部門で働いていたが、その会社の常務が篠田幸恵の親戚だった。

 後に直樹は「運悪く常務に目を付けられて、将来を約束するし、何なら別居してもいいからと半強制的に、お前の母親と結婚させられた。あれが俺の人生の転機であり最大の間違いだった」と裕人に語っていたが、将来を約束するは空手形ではなく、父の出世は同期では異例の早さだったらしい。


 結婚して都内に住むことになった幸恵は、趣味だった観劇や同郷の友人との会食、買い物に夢中で、全く家事をしなかったため、家の中は荒れ放題で、父と喧嘩が絶えなかった。やむを得ず彼女の実家の負担で家政婦が雇われた。


 結婚の翌年に裕人が生まれたが、あろうことか幸恵は子育てを放棄して、贔屓にしていた劇団の新人男優と駆け落ちする。仕事で多忙な父が育児などできるはずがないので、裕人は子供がいなかった直樹の兄夫婦に預けられた。


 裕人が二歳になる直前に幸恵が北陸の実家に金の無心に来た。失踪時とは別の若い男と暮らしており、彼と店をやりたいので、開店資金と当面の生活費が欲しいと言う。これには、さすがに幸恵の両親や強引に結婚させた常務も匙を投げて、幸恵と直樹の離婚が成立した。

 幸恵は自分が生んだにもかかわらず、生涯一度も裕人に会いに来ることはなかったので、彼は実の母を写真でしか知らない。彼にとって母親は父の義姉、つまり叔母の顕子であった。


  東京の下町生まれの叔母の里中顕子さとなか あきこは講談師の娘で、すこぶる愛想が良くて話し上手だった。裕人を我が子のように愛情を注いで育て、彼も物心つくまで、顕子を本当の母親だと思っていた。

 顕子の父である神山玄幽かみやま げんゆうもまた、裕人を孫として大層可愛がり、顕子に連れられて台東区入谷にあった彼の稽古場に来た時は、人情話や怪談を披露した。裕人にせがまれたこともあって稽古の真似事もしてやったところ、予想外に筋が良かったので、玄幽は彼を子供講談師にすることを考えていたが、顕子に強く反対されて諦めた。彼の話し上手は顕子と玄幽の影響が極めて大きい。

 また、小さい頃から玄幽のお弟子さんや、玄幽が開催していたアマチュア講談講座の生徒である主婦たちにも可愛がられたので、どうすれば大人が喜ぶを心得ており、後に加奈から「無自覚な人たらし」と呼ばれた人当たりの良さと心遣いは、この頃から身に付いていた。


 小学四年生のときに、顕子の家に父親がやって来て、裕人を引き取って一緒に暮らしたいと告げた。彼は昇進して、時間的にも経済的にも余裕ができたのだ。すっかり裕人の母親となっていた顕子は、どうか小学校の卒業まで一緒にいさせて欲しいと強く願ったが、旦那さんや裕人の祖父母に説得された。


 父は新居を千葉県市川市に買い、家事と裕人の世話のために通いの家政婦を契約するつもりだったが、その話を聞いた顕子が、ぜひ私にやらせて欲しいと申し出て、裕人も強く望んだので、結局、彼女は裕人が中学二年生になるまで成長を見守ることができた。


 父親とは表面上は上手くやっていたが、本心では馴染めなかった。ずっと自分のことを放っておきながら、ときどき偉そうに父親面するところが裕人は大嫌いだった。

 彼が中学二年のとき、直樹は12歳年下の自分の部下だった女性と再婚したので、それから顕子が彼の家に来ることがなくなった。彼にとっては母親ができた喜びより、顕子が来なくなる寂しさの方が大きく、新しい里中家は居心地が良くはなかった。


 高校一年生の二学期、直樹は石川県に新設された勤務先の研究施設の初代所長に就任することとなった。父から市川市の自宅は賃貸物件として誰かに貸して、家族で石川県に引っ越すと告げられたが、希望校に入学して友達もおり、夏休みからは岩倉智子ともいい感じになっていた裕人は「今の学校を転校したくないから、下宿させて欲しい」と父に頼んだ。


 父は最初は難色を示していたが、智子と頻繁に会っていたことに気付いていた母親が「高校生活は勉強だけでなく、友達との思い出も大切だ」と裕人の味方をしてくれた御陰で、三学期から市川市の本八幡でアパート暮らしを始めることができた。


 生活費は父からの仕送りで、足りない場合をバイトで賄うつもりだったが、母が父に内緒で小遣いの名目で毎月、三万円を送金してくれたうえ、裕人が一人暮らしを始めたと聞いた顕子がちょくちょく様子を見に来てくれ、食材持ち込みで数日分の食事を作っては、小分け冷凍しておいてくれるので食費が浮いて、バイトをする必要はなかった。


 彼のアパート暮らしが始まってから岩倉智子は、学校帰りに毎日のように遊びに来ていたので、すぐに顕子と顔を合わせることになった。顕子は怒ったり、驚いたりせず、初対面から彼女に好意的だった。

 中学生の頃から自宅の周辺を、裕人のことを好きな女の子がウロウロしていたのを見てきた顕子にしてみれば、高校生で一人暮らしをすれば、彼女が来るのは当然だろうなという気持ちだった。

 智子は料理を手伝ったり、一緒に買い物に行ったりして、顕子と仲良くなり、休日に裕人抜きで江戸川の土手の散歩や美術館に行くようにもなった。顕子は智子を気に入り「高校生の娘ができた」と喜んでいた。


「智子ちゃん、美人で脚が長くてモデルさんみたいね。

 自分のことをボクって言うし、

 ヒロちゃんのことは里中って呼び捨てだし、面白い子ね。

 でも、とっても礼儀正しくて、素直な良い子で私は大好き。

 こんな素敵な彼女がいたんじゃ、石川県なんか行かないよね」


 智子が突然、引っ越して音信不通になったと聞いたとき、顕子は、あんな良い子が、そんな非礼をするはずがないから、事故でもあったんじゃないかと心配していた。以来、顕子は裕人と会う度に智子から連絡はあったかを尋ねるようになったが、裕人は、敢えて家族で夜逃げしたことを伝えなかった。


 大学生になっても裕人は同じアパートに住み続けた。岩倉智子の再訪を期待していたからだが、やがて、もう彼女が来ることはないと確信しても契約更新を繰り返していた。

 都内に引っ越せばと勧める友人たちに、新しい物件を探すのも面倒だし、家賃も安いし、大家さんも親切で、商店街やスーパーもあって便利だからと言い訳していたが、顕子や智子と楽しく過ごした思い出が沢山詰まった部屋を出たくなかったのが本心だった。

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