第11話 コース料理のディナー



「えーっと、ディナーに行くのはOKだけど、途中、銀行でお金を下していい?」


「あ、そんな必要ないですよ。ボクが予約して誘ったんだから御馳走しますよ。

 割り勘?絶対にダメです。いやダメですって。最初から払うつもりでしたから。

 ボク、大学に入ったとき、父から家族用クレジットカードを渡されてて、

 それで払うから大丈夫です。今まで全く使ってなくて、この前、父から

『たまには世話になっている友達と、豪華な食事にでも行ったらどうだ?

 せっかく家族カードを渡してあるんだから、遠慮せずに使うのも親孝行だぞ』

 とか言われたばかりなんで、それなら親孝行してあげようかと思って」



「合コンの後、健二さんとノリ坊に誘われて居酒屋に行ったでしょう?

 本当はボク、里中さんと二人っきりで飲みたかったんです。

 でも、さすがにノリ坊には文句が言えなくて、我慢してたんです。

 だから、今日は、ゆっくり二人で、お喋りしましょうよ」


 加奈の話を聞いて内心は助かったと思った。いくらバイトをしているとは言っても、やはり3万円近い出費は19歳の大学生には厳しい。


 この思い込んだ相手に対する行動力と大胆さは、岩倉智子と通じるものがあるなと裕人は思った。加奈のことが気になるのは容姿もさることながら、彼女の言動の中に、薄っすらと岩倉智子が見えるからかもしれない。

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 彼女が予約したレストランは表通りから一本入った裏路地にあった。老舗のレストランらしい店構えで、加奈が木製の扉を開けると、アラフィフ女性が愛想よく出迎えてくれた。


「いらっしゃい。えーっ!加奈ちゃん、どうしたのその髪型!

 しかも後ろの人は誰なの?うわー、今日は聞きたいことだらけだ。

 さあ、いつもの奥のテーブル席を用意してあるから、まずは座って」


 加奈の父親は、商談やイベントへの参加などで毎月1~2回は上京をしており、予定が合えば娘と一緒に食事することを楽しみにしていた。このレストランは定宿としているホテルの近所にあるので、よく利用するらしい。


 シェフとホールスタッフを夫婦でやっており、加奈は二人を親し気に「おじさん」「おばさん」と呼んでいる。テーブルに座ると、すぐに夫人がメニューとワインリストを持ってきてくれた。


「この前,来たときは黒髪の肩までのボブにスーツ姿だったのが

 金髪になっててびっくりよ。どうしちゃたの?バンドでも始めた?

 それともコスプレ?でも、加奈ちゃん色白で小顔だから、とっても似合ってる」


「ついでに聞いちゃうけど、こちらのイケメンさんは加奈ちゃんの彼氏さんかな?

 加奈ちゃんが好きな背の高いモデルさんに、ちょっと似てるなって思ったの。

 もしかして金髪にした理由は、この素敵な彼氏さんのリクエストとか?」


 前回は食品フェアで父の出展ブースを手伝ったから、黒髪でスーツ姿だっただけで、今回の金髪は、本格的な就職活動が始まる前に弾けたかったと誤魔化し、裕人のことも彼氏ではなく、今日、浅草を案内してくれた法専大の友達と紹介した。


 渡されたメニューを広げながら加奈が裕人に尋ねる。


「一応、スタンダードコースを予約したんですけど、

 追加で食べたい料理とかありますか?あと里中さんは、ビールですよね?」


 どうやら合コンのとき、裕人が、ずっとビールを飲んでいたのを覚えていたらしい。裕人は別にビールが好きなわけではなく、他のアルコールを飲んだことがないだけだった。


「ロシア料理はボルシチとピロシキしか知らないから、お任せします。

 せっかくなんで今日は神大路さんにお付き合いして、ワインにします」


 コースにはピロシキがないからと追加注文し、ワインリストを広げ、裕人には魔法の呪文にしか聞こえないワイン名を次々と挙げながら、シェフ夫人と相談をしている。ロシア料理店だけあって、フランスやイタリアだけでなく、旧ソ連圏や東欧のワインも置いてあり、加奈の父は、それが目当てで通っており、アルメニアやハンガリー、ジョージア(グルジア)産のワインをよく飲むらしい。


 今回、加奈はスペイン産スパークリングワインのボトルとメインディッシュの際にロシア産の赤ワインをグラスで注文した。このロシア産ワインは、フランスから醸造家を招いて作られたと聞いたから、一度飲んでみたかったとか話している。5日前の合コンでの彼女とは全く異なる顔だった。範子の言うとおり、彼女は育ちの良い社長令嬢なんだなと裕人は再認識した。


 加奈と裕人の前に前菜を盛り合わせた皿が置かれて、シェフ夫人が細長いグラスにスパークリングワインを注ぐ。


 乾杯をした後、加奈はグラスを傾けながら今日一日の出来事を振り返って、嬉しそうに話している。これまで浅草と言えば、父と会食するために、このロシア料理店、すき焼き店、隠れ家的な焼き鳥店にしか行ったことがなく、街歩きをしたのは初めだったし、しかも街歩きの相手が大好きな裕人とあっては喜ぶのも無理はない。


「今日、気付いたんですけど、里中さんも実は、かなりの読書家ですよね。

 大学の教員とか文学部の学生以外で、

 ボクと小難しい会話を普通にできた人は初めてですよ」


 加奈のように全般的ではないが、裕人も特定分野に関しては、かなりの本を読んでいる。父の直樹が読書家でアパート暮らしを始める前の自宅には本棚だけを置いた書庫室があり、小学校の高学年の頃から、そこの蔵書を秘かに読んでいた。


「いや、欧州史とか東西交易とかに関する本ばかりで

 加奈さんには全然、敵わないよ」


「このお店に来る途中、帝政ロシアのことを話したけど

 すごく詳しかったですよね?」


「あれはナポレオンのロシア遠征から第一次世界大戦までの歴史が好きだからで、

 加奈さんみたいに料理やお酒とかは全然、知らないですよ」


「もう参っちゃうな。増々好きになっちゃうじゃないですか。

 あ、料理はまだ前菜だけど、お口に合いますか?

 スパークリングワインは如何ですか?もしビールのほうがよければ、

 遠慮なく言ってくだい。注文しますから」


「料理は美味しくて、気に入りました。スパークリングワインは初めてだけど、

 飲むと口の中がサッパリして、お寿司のお茶みたい。

 出会って5日目の初デートで、コース料理のディナーと言われたときは、

 びっくりだったけど、来てよかった」


 前菜のスモークサーモンと酢漬けイワシ、ビーツを食べて、スパークリングワインを飲みながら、裕人は誘ってくれた加奈に秘かに感謝していた。


「まあ、里中さんからすれば、出会って5日目でしょうけど、

 ボクがノリ坊から里中さんの写真を見せてもらったのが夏休みが明けで、

 それから、ずっと思い続けていたんで、ボクにとっては数ヶ月ですよ」


「コース料理のディナーって、きっと里中さんと何回かデートして、

 もっと親しくなってから誘うのがベストなんでしょうね。

 ボクは、里中さんとやりたいことや行きたいとこが沢山あるけど、

 それが実現できる保証も希望もないんですよ。

 だって、次に里中さんが会ってくれるか わからないんですもん。

 今晩、里中さんに『つまらないから、もう会わない』って思ったら終わりだし、

 来週、彼女さんに気付かれて『もう会わないで』って言われても終わり。

 そうなったら、いくらボクが望んでも食事なんかできないんですよ。

 だから確実に里中さんとコース料理のディナーに行くには、

 今日、誘うしかなかったんです。騙し討ちみたいでごめんなさい」


 酔うほど飲んでいないから絡みではなく、彼女の本音なのだろう。きっと、神大路さんは、友達の枠を壊してくる。そうなれば、ノリちゃんも全力で神大路さんの応援をするだろう。そもそも神大路さんが魅力的だと感じている自分も、いつまで抗えるだろうか?


「今回が最後とか考えるより、また二人でこの店に来れるって考えようよ。

 あのね、合コンに誘われたとき、ノリちゃんが神大路さんのことを

 可愛くて頭が良いって褒めててね。可愛いは会ってすぐわかったけど、

 今日、一緒にいて本当に博学だなって感じた。

 さっきの帝政ロシアの話もそうだけど、あんな会話は、

 彼女とは絶対にできないから、すごく楽しかった。

 だから会うのが、今回で最後ってことは絶対にない。

 今なら彼女が会うなと言っても、神大路さんと会うと思う。

 こんなこと言ったら彼女と破局かな?そうしたら厄介だな。

 まあ、そのときは、そのときだ。

 ただ、今日は神大路さんのお陰で美味しいロシア料理が

 食べられたのは間違いないんで、騙し討ちでも結果オーライでした」


「ごめんなさい。ボク卑屈だから変な話の振り方をしちゃって。

 里中さんは本当に優しいですよね。もちろん、また、ここで食事しましょう。

 いつでも、ボク、御馳走しますよ。あのね、もしも、もしもですよ、

 里中さんが彼女さんと別れたら、ボクね…」


 会話の途中で前菜のお皿を下げられ、シェフ自ら次の料理を運んできたので、そこで話は途切れた。


「加奈ちゃん、今日は来店ありがとう。金髪、すごく似合っているよ。

 お次のキャビア乗せのロシア風パンケーキです。

 普段、うちがコースで使うキャビアはセヴルーガだけど、

 加奈ちゃんやお父さんへの日頃の御愛顧への感謝の気持ちを込めて、

 今日はベルーガにしたから。ぜひ素敵な彼氏さんと味わってください」


 クレープのようなホットケーキの上に緑がかった灰色の粒々が沢山のっている。裕人が、以前、クラッカーにのったキャビアを食べたことがあるけど、もっと黒くて粒も小さかったと言うと加奈が、その黒いのがセヴルーガで、ベルーガは最高級品ですよと教えてくれる。さすが家政学部食品学科。何でも知っているなと裕人は感心する。


「おじさん、追加で頼んだピロシキはボルシチの前ですか?

 もしそうなら、今日はコース料理でお腹一杯になりそうなんで、

 2個追加の合計4個にして、お土産にしてくれませんか。

 明日の朝御飯にします。お土産は、いつものように揚げではなく、焼きで。

 あとウオッカを神大路セットで一本。あ、里中さん、ウオッカ飲みますか?

 じゃあ、ショットグラスは2個で。ウオッカは…どうしようかな?

 ストリチナヤ…いや、やっぱり香りがいいからズブロッカで」

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